2089年、地球は奇妙な危機に直面していた。

世界中の美術館で、ピカソの描いたバナナの絵が次々と消えていったのだ。しかも、絵が消えるだけでなく、その場所から奇妙な滑りやすさが広がっていった。まるで、絵から溶け出した油が床一面に広がるかのように。

最初に異変に気づいたのは、パリのポンピドゥー・センターだった。朝、警備員が巡回していると、ピカソの「静物画:バナナとオレンジ」が額縁から消え、そこから床全体が滑りやすくなっていることに気づいた。警備員は転倒し、警報を鳴らすことすらできなかった。

数時間後、ニューヨークのMoMAでも同様の現象が起こった。そして、マドリッドのソフィア王妃芸術センター、バルセロナのピカソ美術館と、次々と被害は拡大していった。

世界中の科学者たちが頭を抱えた。物理学の法則では説明できない現象だったからだ。しかし、事態は刻一刻と悪化していった。滑りやすさは美術館の外へと広がり、街全体を覆い始めたのだ。

人々は歩くことすらままならず、車は制御不能になった。世界経済は麻痺し、各国政府は非常事態を宣言した。そして、この危機に立ち向かうため、一人の天才物理学者が呼び寄せられた。

アリシア・ラミレスだ。彼女は量子力学と芸術の融合を研究していた変わり者だったが、今や人類の希望だった。

アリシアは、ピカソのバナナの絵に秘められた謎を解くため、過去へのタイムトラベルを提案した。ピカソがバナナを描いた瞬間に何が起きたのかを突き止めるしかない、と彼女は主張した。

危険な賭けだったが、他に選択肢はなかった。アリシアは最新鋭のタイムマシンに乗り込み、1907年のパリへと旅立った。

彼女がたどり着いたのは、モンマルトルの小さなアトリエだった。そこで、若きピカソが熱心にキャンバスに向かっている姿を目にした。

アリシアは息を呑んだ。ピカソの筆から生まれようとしているのは、間違いなくバナナだった。しかし、それは現代のバナナとは少し違っていた。どこか歪んでいて、まるで別の次元から来たかのようだった。

彼女は気づいた。ピカソは単なる天才画家ではなかったのだ。彼は知らず知らずのうちに、異次元のエネルギーを絵に込めていたのだ。そして、その力が100年以上の時を経て、突如として覚醒したのだった。

アリシアは躊躇した。歴史を変えることの危険性は十分承知していた。しかし、人類の未来がかかっている。彼女は決断を下した。

「ピカソさん!」彼女は叫んだ。「そのバナナを描くのは止めてください!」

ピカソは驚いて振り返った。見知らぬ未来の服を着た女性が目の前に立っていた。

「誰だ、君は?」ピカソは困惑した様子で尋ねた。

アリシアは深呼吸をした。「信じられないかもしれませんが、私は未来から来ました。あなたの絵が、100年後の世界を危険に陥れているんです。」

ピカソは一瞬、言葉を失った。しかし、すぐに彼の目に理解の色が浮かんだ。「そうか...私にも感じていたんだ。この絵に込められた不思議な力を。でも、それが危険だとは...」

アリシアは説明を続けた。ピカソの天才的な想像力が、知らず知らずのうちに現実を歪める力を持っていたこと。そして、そのエネルギーが時を超えて暴走し始めたことを。

ピカソは静かに頷いた。「分かった。この絵は描かない。だが、私の創造力を押し殺すわけにはいかない。他の方法で表現しよう。」

アリシアは安堵の息をついた。しかし、同時に新たな不安が湧き上がった。歴史を変えたことで、未来はどう変わるのだろうか。

彼女が現代に戻ると、世界は一変していた。滑りやすさの危機は去っていたが、代わりに街には奇妙な立体的な彫刻が溢れていた。ピカソが平面のバナナの代わりに創り出した新たな芸術の形だった。

それらの彫刻は、重力を無視してふわふわと宙に浮かんでいた。人々はそれらを足場にして、まるで空中を歩くように移動していた。

アリシアは呆然とした。危機は去ったが、世界は全く別の姿に変わっていたのだ。彼女の行動が、芸術と科学の融合を一気に加速させたのだった。

街を歩きながら、アリシアは考えた。芸術の力は、時に危険で予測不可能だ。しかし同時に、人類に無限の可能性をもたらす。今回の出来事は、その両面を如実に示していた。

彼女は空に浮かぶピカソ風の彫刻を見上げながら、微笑んだ。未来は予想外の方向に進んだが、それはそれで素晴らしい。人類の創造力は、常に新たな世界を生み出す。たとえそれが、ときに危険を伴うとしても。

アリシアは決意した。この新しい世界で、芸術と科学の調和を追求し続けよう。ピカソのバナナは消えたが、その精神は形を変えて生き続けている。そして彼女は、その可能性を最大限に引き出す役割を担うのだ。

世界は今、文字通り宙に浮いていた。しかし、それこそが人類の無限の可能性を象徴していたのだ。

309バナナランド 233-144 02

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