東京都庁の片隅にある小さな事務所。「NPO法人みんなの笑顔創造機構」の看板が、かすかに傾いている。その中で、理事長の佐藤太郎(45歳)は、額に汗を浮かべながらパソコンに向かっていた。
「くそっ、またバレるところだった...」
佐藤は画面に映る会計報告書を見つめ、ため息をついた。彼のNPOは、表向きは子どもたちの笑顔を増やすための活動をしているが、実態は公的資金を私的に流用する「公金チューチュー」組織だった。
「太郎さん、大丈夫ですか?」
事務員の山田花子(28歳)が、心配そうに声をかけた。
「ああ、なんとかな。今回も上手くごまかせそうだ」
佐藤は作り笑いを浮かべた。しかし、その笑顔の裏には不安が隠されていた。
その日の夜。佐藤は久しぶりに家で晩酌をしていた。テレビからは、ニュースが流れている。
「続いては、NPO法人による公金流用疑惑のニュースです。」
ビールを口に運んでいた佐藤の手が止まった。
「近年、一部のNPO法人による公的資金の不正流用が問題となっています。政府は...」
佐藤は慌ててテレビを消した。冷や汗が背中を伝う。
「まさか...俺たちのことじゃないよな...」
翌日、佐藤は早めに事務所に向かった。が、そこで思わぬ光景を目にする。
事務所の前には、警察らしき人物が立っていた。
「やばい...」
佐藤は咄嗟に身を隠した。そして、山田に電話をかけた。
「花子さん、今日は休みにしよう。ちょっと...様子を見たいんだ」
「えっ、でも理事長...」
「いいから!」
電話を切った佐藤は、近くのファミレスに逃げ込んだ。そこで彼は、自分たちのやってきたことを振り返った。
子どもたちの笑顔のための寄付金。そのうちのいくらかを、自分たちの懐に入れていた。最初は些細な額だった。でも、次第にエスカレートしていった。
「こんなはずじゃなかったのに...」
佐藤はバナナジュースを注文した。甘いバナナの香りが、彼の罪悪感を少しだけ和らげる。
そのとき、テレビから流れるニュース速報に目が留まった。
「NPO法人みんなの笑顔創造機構の公金流用疑惑が浮上。警察が家宅捜索に...」
佐藤の手からバナナジュースがこぼれ落ちた。床に広がる黄色い液体。まるで、彼らの罪を象徴しているかのようだった。
「どうしよう...もう、終わりだ...」
パニックに陥った佐藤は、とっさに逃げ出すことを決意した。財布の中の現金を確認し、空港へ向かおうとした矢先、彼の携帯が鳴った。
発信者名は「山田花子」。
恐る恐る電話に出る佐藤。
「理事長!大変です!警察が...」
「わかってる。もう、終わりだ」
「違います!理事長、聞いてください!」
山田の必死の声に、佐藤は耳を傾けた。
「実は...私、証拠を全部隠しました。警察は何も見つけられないはずです」
「え...?」
佐藤は言葉を失った。
「でも、このままじゃダメです。理事長、私たちで全部返済しましょう。そして、本当の意味で子どもたちの笑顔のために働きましょう」
山田の真剣な声に、佐藤は我に返った。
「...わかった。戻るよ」
佐藤は空港行きのタクシーを降り、事務所に向かった。
事務所に着くと、そこには山田と警察官がいた。
「あ、理事長!」
山田が駆け寄ってきた。
「すみません、警察の方に全部話してしまいました。でも...」
佐藤は覚悟を決めて警察官に向き直った。
「全ての責任は私にあります。処分は甘んじて受けます」
警察官は厳しい表情で佐藤を見つめた。しかし、次の言葉は意外なものだった。
「実は、貴方がたの行為は違法ではありませんでした」
「え...?」
佐藤と山田は驚きの表情を浮かべた。
「確かに道義的には問題がありますが、法的には抜け道を利用していただけです。ただし...」
警察官は続けた。
「これからは、本当に子どもたちのために活動してください。我々も、できる範囲で協力します」
佐藤は涙を流した。
「ありがとうございます。必ず、信頼を取り戻します」
その日から、「NPO法人みんなの笑顔創造機構」は生まれ変わった。
公金をチューチューすることはやめ、本当の意味で子どもたちの笑顔のために働き始めた。社会活動や、学習支援、食事の提供。様々な活動を通じて、彼らは少しずつ信頼を取り戻していった。
1年後。
「理事長、見てください!」
山田が興奮した様子で新聞を持ってきた。
「NPO法人みんなの笑顔創造機構、地域貢献度No.1に選ばれる」
佐藤は感動で言葉を失った。
「やりました...やっと、本当の意味で子どもたちの笑顔を作れるようになった...」
その瞬間、事務所のドアが開いた。
「おじさん、おばさん、ありがとう!」
子どもたちが次々と入ってきて、佐藤と山田に抱きついた。
「みんな...」
佐藤は子どもたちを抱きしめ返した。その顔には、かつてない幸せな表情が浮かんでいた。
そのとき、ふと床に目をやると、そこにバナナの皮が落ちていた。
「あ、危ない!」
佐藤は慌てて拾い上げた。
「みんな、気をつけてね。バナナの皮で滑ったら大変だから」
子どもたちは笑いながら頷いた。
佐藤は、そのバナナの皮を見つめた。かつての自分たちは、まさにこのバナナの皮の上を滑るように、間違った道を歩んでいた。でも今は違う。
彼はゴミ箱にバナナの皮を捨てた。
「さあ、今日も笑顔の種まきに行こう!」
佐藤の声に、子どもたちが歓声を上げた。
窓の外では、東京の街が輝いていた。その輝きは、かつてのような虚飾に満ちたものではなく、本物の希望に満ちていた。
「NPO法人みんなの笑顔創造機構」は、もはや公金をチューチューする組織ではない。彼らは、本当の意味で社会に貢献する存在となったのだ。
そして、彼らの活動は、他のNPO法人にも良い影響を与えていった。公金の使い方がより透明になり、本当に必要な人々に支援が届くようになった。
佐藤は時々、あのバナナジュースをこぼした日のことを思い出す。あの日、彼らの人生はバナナの皮の上を滑るように大きく変わった。でも、それは結果的に良い方向への変化だった。
「人生って、本当に面白いものだな」
佐藤はそう呟きながら、今日も子どもたちと一緒に笑顔の種まきに出かけていった。
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