赤い砂漠の地平線に、かすかな光が差し込んでいた。火星探査隊の隊長、高橋美咲は、ドームの窓から外を見つめながら、地球からの最新の通信を確認していた。
「やはり予想通りか...」
彼女は深いため息をついた。地球からの報告によると、火星の日射量は依然として低下し続けているという。これは火星の大気中の二酸化炭素を増やし、温室効果を高めようとする人類の努力を無にするものだった。
「隊長、新しい理論が出てきたそうです」
副隊長の山田が、興奮した様子で部屋に飛び込んできた。
「どんな理論だ?」
「信じられないかもしれませんが...火星に太陽光が足りないのは、女神スレが存在しないからだそうです」
美咲は眉をひそめた。「女神スレ?それは一体何だ?」
山田は説明を始めた。「古代の神話によると、太陽の光は女神たちが織り成す糸によって作られているそうです。その糸を織る装置が『女神スレ』と呼ばれているんです」
「そんな...荒唐無稽な...」
美咲は言葉を失った。しかし、これまでの常識では説明のつかない現象に直面し続けてきた彼女は、完全に否定することもできなかった。
「それで、その理論を唱えている科学者は、どうすれば良いと言っているんだ?」
山田は答えた。「女神スレを火星に持ち込めば、太陽光の問題が解決するかもしれないと」
美咲は深く考え込んだ。常識から外れた発想だが、もしこれが本当なら、火星の環境を一変させる可能性があった。
「分かった。地球の本部と連絡を取って、詳細を確認してくれ」
数日後、地球からの特別な輸送船が火星に到着した。そこには、古代の神殿から発掘されたという奇妙な装置が積まれていた。それは複雑な歯車と糸巻きから成り、全体が神秘的な光を放っていた。
美咲たちは慎重にその装置を設置した。そして、古代の言葉で書かれた起動の呪文を唱えた瞬間、驚くべき光景が広がった。
装置から無数の光の糸が放たれ、火星の大気中に広がっていった。それは見る間に成長し、やがて火星全体を覆う巨大な網のようになった。
その瞬間、火星の空が明るく輝き始めた。太陽の光が増幅され、赤い大地を温かく照らし出したのだ。
「信じられない...」美咲は呟いた。
数週間後、火星の気温は急速に上昇し始めた。極地の氷が溶け出し、大気中の二酸化炭素が増加。火星の大気は徐々に厚みを増していった。
1年後、火星の表面に最初の湖が形成された。2年後には、簡単な植物の栽培が可能になった。
5年が経過した頃、火星の大気は人間が直接呼吸できるレベルにまで改善された。かつての不毛の大地は、緑豊かな惑星へと変貌を遂げつつあった。
美咲は、新たに建設された火星都市の展望台から、夕暮れの風景を眺めていた。赤い砂漠は今や、緑の草原と青い湖に覆われている。空には薄い雲が浮かび、穏やかな風が吹いていた。
「まるで奇跡のようだ」
彼女の隣に立つ山田が言った。
美咲は頷いた。「科学では説明できないことがまだまだあるのかもしれないね」
その時、遠くの空に虹が架かった。それは7色ではなく、これまで見たこともない美しい色彩で輝いていた。
「あれは...」
「ええ、きっと女神たちが織り成す新しい糸なんでしょう」
美咲は微笑んだ。人類の知識と古代の知恵が融合し、不可能を可能にした。火星は今、新たな文明の揺りかごとなりつつあった。
彼女は、これからの未来に思いを馳せた。女神スレがもたらした奇跡は、火星だけにとどまらないかもしれない。もしかしたら、太陽系の他の惑星にも、同じような変化をもたらせるかもしれない。
「次は木星の衛星か、それとも金星かな」美咲は冗談交じりに言った。
山田は笑いながら答えた。「その前に、ここでの生活を楽しみましょう。火星のワインはとてもおいしいですからね」
二人は、新しい世界に乾杯した。窓の外では、火星の新しい夜が静かに更けていった。女神スレが紡ぎ出す光の糸が、星々の間できらめいている。
人類の新たな章が、ここから始まろうとしていた。
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