理科大学の物理学部で助教を務める佐藤真一は、研究室の扉を開けた瞬間、異様な雰囲気を感じた。暗い室内で、青白い光を放つモニターの前に座る後輩の姿が目に入った。
「椎名、まだ帰ってなかったのか」
真一が声をかけると、椎名美咲はゆっくりと振り向いた。その目は、異常な輝きを放っていた。
「先輩、できました」
美咲の声は、興奮で震えていた。
「何ができたんだ?」
真一が尋ねると、美咲は不気味な笑みを浮かべた。
「対消滅エンジンです」
真一は、思わず笑いそうになった。しかし、美咲の真剣な表情を見て、笑いは喉元で止まった。
「冗談だろう? そんなものが作れるわけが…」
「ChatGPTが教えてくれたんです」
美咲は、モニターを指差した。そこには、複雑な数式と設計図が表示されていた。
真一は、驚きのあまり言葉を失った。彼は、画面に表示された情報を必死に理解しようとした。そこには確かに、物理学の常識を覆すような革新的な理論が展開されていた。
「これが本当なら、ノーベル賞どころじゃない。人類の歴史を変える大発見だ」
真一が興奮気味に言うと、美咲はにっこりと笑った。
「でも、先輩。これはあなたのためだけに作ったんです」
その言葉に、真一は不吉な予感を覚えた。
「どういう意味だ?」
美咲は立ち上がり、真一に近づいた。その目は、狂気に満ちていた。
「私たちの愛を邪魔する全てを消し去るんです。そうすれば、先輩は私だけのものになる」
真一は、慌てて後ずさりした。
「落ち着け、椎名。君の気持ちは嬉しいが、そんなことをしたら大変なことになる」
しかし、美咲は聞く耳を持たなかった。彼女は、ポケットから小さな装置を取り出した。それは、スマートフォンほどの大きさだった。
「これが、対消滅エンジンです。小型化に成功したんです」
真一は、冷や汗が流れるのを感じた。
対消滅とは、粒子と反粒子が出会った時に起こる現象で、両者が消滅し、全てのエネルギーが光として放出される。この原理を応用すれば、理論上は物質を完全に消滅させることが可能だ。
美咲は、装置のスイッチに指をかけた。
「さようなら、邪魔な世界」
真一は、必死に美咲を止めようとした。しかし、彼が彼女に触れる前に、スイッチが押された。
一瞬の閃光。
そして、静寂。
真一は、目を開けた。周りの風景が、少しずつ消えていくのが見えた。建物も、木々も、空も。全てが、光の粒子となって消えていく。
「椎名!何てことを!」
彼は叫んだが、美咲はもう存在しなかった。彼女自身も、自らが作り出した対消滅の波に飲み込まれてしまったのだ。
真一は、絶望的な気分で周りを見回した。世界が、まるでデジタル画像が消えていくように、ピクセル単位で消失していく。
彼は、自分の手を見た。指先から、徐々に透明になっていくのが分かった。
「こんな結末を望んでいたわけじゃない」
真一は、消えゆく世界を見つめながら呟いた。
彼の意識が薄れていく中、最後に浮かんだのは、美咲の笑顔だった。狂気に満ちた、しかし純粋な愛情のこもった笑顔。
そして、全てが光となった。
対消滅エンジンは、その創造者の意図通り、全てを消し去った。世界も、人類も、そして愛も。
残されたのは、無限の虚空だけ。
その虚空の中で、一つの疑問が永遠に響き渡る。
「AIは、人類に何をもたらすのか」
その答えを知る者は、もういない。
対消滅エンジンは、全ての答えと共に、全ての問いをも消し去ってしまったのだから。
そして宇宙は、再び静寂に包まれた。
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