俺の名前は藤川悟。三十路を過ぎても彼女一人できたことがない、いわゆる弱者男性だ。コンビニのバイトと、細々としたウェブデザインの仕事で生計を立てている。
ある日、いつものようにネットサーフィンをしていると、「弱者男性よ、立ち上がれ!」というバナー広告が目に飛び込んできた。思わずクリックすると、筋トレサイトに飛んだ。
「マッチョになれば、人生が変わる!」
「女性にモテる!仕事も上手くいく!」
そんな文句が踊る画面を見ながら、俺は苦笑いを浮かべた。こんな安直な考えで人生が変わるはずがない。そう思いながらも、なぜか「無料お試し」ボタンを押してしまった。
翌日から、俺の生活に筋トレが加わった。最初は辛かった。腕立て伏せ10回でも息が上がる。でも、毎日続けているうちに、少しずつ体が変わっていくのを感じた。
1ヶ月が過ぎた頃、鏡に映る自分の姿に驚いた。確かに筋肉はついてきている。でも、それ以上に目つきが変わっていた。以前の虚ろな目ではなく、何かに挑戦している人間の目だった。
2ヶ月目に入ると、周りの反応も変わってきた。コンビニの常連客が「最近、雰囲気変わったね」と言ってくれた。ウェブデザインの仕事の依頼も増えてきた。
しかし、3ヶ月目に入った頃、俺は気づいた。筋トレは確かに俺を変えた。でも、それは見た目だけじゃない。毎日コツコツ続ける習慣が、俺の内面も少しずつ変えていったのだ。
ここで、筋トレに関する興味深い雑学を一つ。実は、筋トレには「筋肉の記憶」という現象があるのだ。一度鍛えた筋肉は、長期間トレーニングを中断しても、再開すると比較的早く元の状態に戻るという。これは、筋肉内の核が増加し、それが長期間保持されるためだとされている。つまり、筋トレの効果は見た目以上に長く続くのだ。
さて、半年が経った。俺の体は確かにマッチョになった。でも、それ以上に大切なものを得た気がした。
毎日コツコツ努力を続ける忍耐力。
自分に厳しく向き合う勇気。
小さな進歩を喜ぶ心。
これらは、筋トレを通じて俺が学んだものだ。
ある日、ジムで知り合った女性から食事に誘われた。以前の俺なら、すぐに舞い上がっていただろう。でも、今の俺は違った。
「ごめん、今日は筋トレの日なんだ。また今度ゆっくり話そう」
女性は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。「わかった。じゃあ、次は筋トレの合間で」
この瞬間、俺は気づいた。弱者男性を卒業したのは、マッチョになったからじゃない。自分の生き方に自信を持てたからだ。
筋トレは、俺にとって単なる肉体改造ではなかった。それは、自分自身と向き合い、再構築する過程だったのだ。
今、俺は考える。弱者男性の筋トレとは何か?それは、必ずしも肉体を鍛えることではない。自分の内面と向き合い、一歩一歩前に進む勇気を持つこと。それこそが、真の意味での「筋トレ」なのではないだろうか。
俺はもう、誰かに認められたいがために必死になることはない。自分の人生に自信を持ち、自分のペースで歩んでいく。それが、俺なりの答えだ。
弱者男性の筋トレ。俺の答えはこれだ。
毎日、自分と向き合うこと。
小さな進歩を積み重ねること。
そして、その過程を楽しむこと。
筋肉がつこうがつくまいが、それは二の次だ。大切なのは、自分自身を鍛え上げること。それが、俺が見つけた真理だ。
今日も俺は、自分なりの「筋トレ」を続ける。それは、ウェイトを持ち上げることかもしれないし、新しい仕事にチャレンジすることかもしれない。形は様々だけど、目指すところは同じ。
より強く、より自信に満ちた自分になること。
そして、いつか誰かに言えるようになりたい。
「弱者男性?ああ、俺もかつてはそうだった。でも今は違う。なぜって?それは...」
その答えを、俺はまだ探している。
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