私の名は佐藤裕也。35歳、独身。世間からは「モテる男」と呼ばれる存在だ。

表面上、私の人生は輝かしい。高級外車を乗り回し、最新のファッションに身を包み、SNSにはセレブリティとの写真が並ぶ。女性たちは私に群がり、男たちは羨望の眼差しを向ける。

しかし、これらはすべて演技だ。私の本当の趣味は、「モテる男を演じること」。そして、その趣味が私を生き地獄へと突き落としたのだ。

朝、目覚めると同時に化粧が始まる。ファンデーションで肌の色を整え、アイブロウで眉を整える。髪型を決めるのに1時間はかかる。

着ていく服を選ぶのも一苦労だ。今日のイメージは「クールでちょっとミステリアスな男」。そのイメージに合う服を選び抜く。

家を出る前に、鏡の前で練習する。「さりげない微笑み」「知的な横顔」「セクシーな口元」。すべてが計算づくだ。

外に出れば、そこは舞台。私は完璧な「モテる男」を演じ続ける。

カフェでは、さりげなく洗練された雰囲気を醸し出す。本を読みながらコーヒーを啜る姿は、まるで映画のワンシーンのようだ。

すると、案の定。

「あの、よかったらお話しできますか?」

可愛らしい女性が声をかけてくる。内心では疲れ果てているが、表情には出さない。

「ええ、もちろん」

爽やかな笑顔で応じる。これも演技の一つだ。

彼女との会話は、まるで台本通りに進む。自分の魅力を適度にアピールしつつ、相手の興味を引き出す。すべては計算づくの会話術だ。

「モテる」という言葉、実は比較的新しい言葉で、1980年代後半から使われ始めたとされている。それまでは「もてる」と書かれることが多く、「持てる」が語源だという説もある。

私の一日は、こうした出会いと別れの連続だ。レストランでのランチ、アフタヌーンティー、バーでの一杯。すべてが「モテる男」を演じるための舞台となる。

夜、疲れ果てて帰宅する。化粧を落とし、髪を乱す。鏡に映る素顔の自分は、何とも寂しげだ。

SNSを開けば、今日撮った写真の数々。完璧な笑顔、理想的なポーズ。しかし、その裏で私は苦しんでいる。

「いいね」の数は増える一方だ。しかし、心の中は空虚さでいっぱいだ。

友人から電話がかかってくる。

「裕也、今度の合コン来てくれよ。お前がいると、みんな盛り上がるからさ」

断ることはできない。「モテる男」の看板を下ろすわけにはいかないのだ。

「ああ、もちろん行くよ」

軽やかな声で答える。これもまた、演技の一つ。

夜中、ふと目が覚める。静寂の中で、自問自答する。

「これは本当に自分のやりたかったことなのか?」

答えは出ない。ただ、空虚感だけが胸に広がる。

朝が来れば、また「モテる男」の仮面を被らなければならない。それが私の趣味であり、生き方なのだから。

しかし、この趣味は私を蝕んでいく。本当の自分を見失い、演技に疲れ果て、心は乾いていく。

それでも、やめられない。「モテる男」という甘美な毒に、私はすっかり溺れてしまったのだ。

これが私の生き地獄。華やかな外見とは裏腹に、心の中は闇に覆われている。

そして、新たな一日が始まる。今日も私は完璧な「モテる男」を演じるのだ。それが私の宿命であり、自ら選んだ趣味なのだから。

鏡の前に立ち、深呼吸をする。そして、静かに呟く。