朝日が差し込む台所で、美咲は慣れた手つきでバナナの皮を剥いていた。窓の外では、初夏の爽やかな風が木々の葉を揺らし、その音が心地よく耳に届く。
「今日こそ、完璧なバナナジュースを作るんだから」
美咲は自分に言い聞かせるように呟いた。高校3年生の彼女にとって、このバナナジュースづくりは単なる趣味ではなかった。それは、彼女の心の中にある何かを表現する手段だった。
バナナを刻み、牛乳を注ぎ、氷を加える。ミキサーのスイッチを入れると、部屋中に心地よい轟音が響き渡る。美咲は目を閉じ、その音に身を委ねた。
ミキサーが止まると、美咲は慎重にグラスに注ぐ。泡立ちの具合、色合い、香り——全てが完璧だった。ほっと安堵の息をつく美咲。
「よし、これで大丈夫」
美咲は背筋を伸ばし、グラスを手に取った。今日は特別な日。隣町に住む祖母の80歳の誕生日だった。
祖母との思い出は、いつもバナナジュースと共にあった。幼い頃から、祖母の家に遊びに行くたびに、甘くて冷たいバナナジュースを振る舞ってくれた。それは美咲にとって、愛情そのものの味だった。
美咲は玄関に向かう。靴を履き、ドアを開ける。外の空気が肌に触れ、心地よい緊張感が全身を包む。
「行ってきます」
返事はない。両親は海外出張中だ。しかし、美咲は寂しくなかった。今日は特別な日。祖母と過ごす大切な時間が待っているのだから。
バスに乗り、窓の外の景色を眺めながら、美咲は祖母との思い出を振り返る。バナナジュースを飲みながら、祖母が昔話をしてくれたこと。庭で一緒に花を植えたこと。祖母の笑顔、優しい手の温もり——全てが鮮明に蘇ってくる。
ふと、美咲は思い出した。バナナには「トリプトファン」というアミノ酸が含まれていて、これが体内でセロトニンに変わるのだという。セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、気分を明るくする効果があるそうだ。だから、バナナジュースを飲むと幸せな気分になれるのかもしれない。
バスが目的地に着く。美咲は慎重に、大切そうにバナナジュースの入った保冷バッグを抱えて降りた。
祖母の家に着くと、ドアが開く前から懐かしい匂いが漂ってきた。木の香り、古い本の匂い、そして...バナナの甘い香り。
「美咲ちゃん、よく来てくれたね」
祖母の笑顔が、美咲の心を温かく包み込む。
「おばあちゃん、お誕生日おめでとう。これ、私が作ったの」
美咲はバナナジュースの入ったグラスを差し出した。祖母はそっと受け取り、一口飲む。
「まあ、美味しい!私が作るより美味しいわ」
祖母の言葉に、美咲の頬が赤く染まる。
「ねえ、美咲ちゃん。バナナジュースの作り方、教えてくれない?」
美咲は驚いた。いつも完璧なバナナジュースを作ってくれた祖母が、自分に教えを請うなんて。
「うん、もちろん!」
二人は台所に立ち、一緒にバナナジュースを作り始めた。美咲が教える立場になるのは初めてだったが、不思議と緊張はしなかった。祖母と一緒だと、何をしていても楽しかった。
バナナを切り、牛乳を注ぎ、氷を入れる。ミキサーのスイッチを入れると、懐かしくも新鮮な音が響く。
出来上がったバナナジュースを二人で飲みながら、祖母は昔の話を始めた。美咲の母が子供だった頃の話、祖父との思い出話。美咲は目を輝かせて聞き入った。
時間が経つのも忘れて、二人は話し込んだ。窓の外では、夕日が美しく空を染めていた。
「美咲ちゃん、ありがとう。最高の誕生日プレゼントよ」
祖母の言葉に、美咲は胸が熱くなるのを感じた。
「私こそ、ありがとう。おばあちゃん」
美咲は祖母をそっと抱きしめた。バナナの甘い香りが、二人を包み込む。
この日、美咲は気づいた。完璧なバナナジュースの秘訣は、材料でも技術でもない。それは、大切な人と過ごす時間、分かち合う思い出、そして心を込めることだった。
バナナジュースにはうってつけの日。それは、愛する人と共に過ごせる、どんな日だってそうなのだ。
美咲は心に誓った。これからも、大切な人たちのために、心を込めてバナナジュースを作り続けようと。それは、彼女なりの愛情表現。甘くて冷たいけれど、心を温める魔法の飲み物なのだから。
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