よっしゃ、なんJ民のみんな、ちょっと真面目な話するで。ニーチェっちゅう哲学者知っとるか?「神は死んだ」とか「超人」とか言うてた奴や。そいつの「超人」の考え方、ワイらみたいな一般人には無理ゲーやないか?って話や。
まず、ニーチェの「超人」っちゅうのはな、既存の価値観をぶっ壊して、自分で新しい価値観作るような強い意志を持った人間のことやねん。普通の人間の価値観や道徳を超越した存在ってわけや。かっこええやん?
でもな、ここでワイが思うんや。そんなん、普通に働いてる奴にできるわけないやろって。だって考えてみい。朝っぱらから晩まで会社で働いて、残業して、家帰ってきたらくたくたで、休日は寝るだけ...。そんな生活してる奴に、既存の価値観をぶっ壊す余裕なんかあるわけないやん。
ニーチェの言う超人になるには、まず時間がめっちゃ要るで。既存の価値観をぶっ壊すっちゅうことは、今ある価値観をめっちゃ勉強して、それを批判的に考えて、そんで新しい価値観を作り出さなあかんのや。そんなん、暇がなきゃ無理やろ。
それに、超人になるには孤独に耐えられなあかんのや。だって、みんなと違う価値観持つってことは、周りから浮くってことやからな。普通の人間関係保ちながら超人目指すなんて、ほぼ不可能やで。
ほんで、超人になるには精神的にも余裕がなきゃアカンのや。毎日の生活に追われてる奴が、高尚な思想なんか考えられへんやろ。家賃の心配とか、上司の機嫌とか、そんなんで頭いっぱいの奴に、新しい価値観なんか作れるわけないで。
つまりな、ニーチェの言う超人になるには、時間、孤独、精神的余裕...全部必要なんや。そんなもん、普通に働いてる奴には無理や。結局のところ、超人になれるのは暇人だけちゃうんか?
ワイらみたいな一般人が超人目指したらどうなるか想像してみい。朝から晩まで働いて、帰りの電車でニーチェの本読んで、「よっしゃ、価値観ぶっ壊したろ!」って意気込んでも、家帰ったら疲れて寝るだけや。休日も「よし、今日こそ超人や!」思っても、結局ソファーでダラダラしてまうんやろ。
それに、仮に超人になれたとしても、普通の生活送れへんようになるで。だって、周りとまったく違う価値観持っとったら、会社でうまくやっていけへんやろ。「いや、ワイは超人やから、そんな規則には従いませんわ」なんて言うたら、即クビやで。
ほんで、ニーチェ自身のこと考えてみい。あいつ、大学の教授やったけど、病気で早々に辞めて、年金暮らしみたいになったんや。つまり、暇人やったわけや。そんな奴が「超人」なんて言い出しても、ワイらには「はいはい、暇人の戯言や」としか思えへんで。
でもな、ここで一つ考えなあかんのは、ワイらが「超人」になれへんからって、ニーチェの考えが全部アカンってわけやないってことや。例えば、既存の価値観をちょっとでも疑ってみるとか、自分の人生の主人公は自分やって意識するとか、そういうのは大事やと思うで。
要するに、ニーチェの超人思想を、ワイらの日常生活に合わせてアレンジするってことや。例えば、会社の理不尽な規則に疑問を持つとか、自分の人生の選択は自分で決めるとか、そういう感じやな。
ほんで、もしかしたら、ワイらなりの「超人」の形があるんかもしれん。毎日必死に働きながらも、ちょっとずつ自分の価値観を作っていく。そんな生き方もアリやと思うで。
ニーチェの言う超人そのものは、暇人じゃないとなれへんかもしれん。でも、その考え方のエッセンスは、ワイらの生活にも活かせるんちゃうか。
ニーチェ曰く、「汝の人生を汝自身の意志によって生きよ」らしいで。ワイらにできるんは、毎日の生活の中で、ちょっとずつでも自分の意志で生きていくことやと思う。それが、ワイらなりの「超人」への道なんかもしれんで。
ってなわけで、ニーチェの超人思想、暇人じゃないと無理やけど、でもワイらにも活かせるところはあるで。みんなも、たまにはニーチェのこと考えてみるのもええんちゃう?そんな余裕あるかどうか知らんけどな!
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