「弱者男性」っちゅうのはどんな奴らなんや言うと、要はモテない・金がない・社会的地位が低いみたいな男性のことやな。こいつらが最近、社会から冷遇されてるんちゃうか?っちゅう話や。

一方で「ポリコレ」言うたら「ポリティカル・コレクトネス」の略で、要は差別せえへん・弱者に配慮するみたいな考え方のことやで。

ほんで、この二つがガチンコバトルしとるっちゅうわけや。

ポリコレ思想は、本来なら弱者男性にも優しくあるべきなんや。だって「弱者」やろ?でも実際はどうなんや言うと、女性や LGBT、人種的マイノリティには超優しいのに、弱者男性には冷たいんちゃうか?っちゅう疑問が出てきとるんや。

例えば、こんな感じや:
・女性専用車両はあるのに、弱者男性専用車両はない
・女性向けの就職支援はあるのに、弱者男性向けの支援は少ない
・デートDVは女性が被害者っていうイメージやけど、男性も被害者になるって話はあんまり聞かん

こういうの見てると、「ポリコレって本当に平等なんか?」って思うよな。

ほんで、ネットを中心に「弱者男性差別」の声が上がり始めたんや。でも、これがまた物議を醸しとる。

ポリコレ派からしたら「お前らが言うてる『弱者男性』って、ただの甘えやないか?」って思うわけや。「努力せえへんくせに被害者ぶんな」みたいな。

一方で弱者男性側からしたら「俺らだって頑張ってるのに、なんで女やマイノリティばっかり優遇されんねん」って不満が溜まるわけや。

ここで試されとるんが、ポリコレ思想の真価やで。

ポリコレが本当に「全ての人に平等」を目指すんやったら、弱者男性の声にも耳を傾けなアカン。でも、そうすると今まで優遇してきた層から反発くらうかもしれん。

かと言って、弱者男性の声を無視したら、それこそポリコレの理念に反することになるんや。

この板挟み状態がポリコレにとっての試練なんや。

せやけど、ワイ的には、この問題はポリコレvs弱者男性の対立やのうて、もっと根本的な社会の歪みから来とると思うんや。

だってよう考えてみ?なんで「弱者男性」なんてもんが生まれるんや?それは社会が「強い男性」ばっかり求めるからやろ。

金、地位、ルックス...こんなんに縛られた価値観がある限り、誰かが「弱者」にされてまうんや。

ほんまに必要なんは、そういう価値観自体を変えることやと思うんや。人間の価値を一元的な基準で決めつけんと、多様な生き方や個性を認め合える社会にせなアカンのや。

そうなったら、「弱者男性」も「強者男性」も関係なくなるし、ポリコレも本来の意味を取り戻せるんちゃうか?

まあ、こんなん言うてもすぐには変われへんやろうけど、少なくとも問題の本質はそこにあると思うんや。

ポリコレ派も弱者男性も、お互いを敵視せんと、もっと大きな視点で社会全体の問題として捉えるべきやと思うわ。

そうせんと、いつまでたっても「お前が差別主義者や!」「いや、お前のほうがやろ!」みたいな不毛な言い合いになってまうで。

弱者男性差別の問題は、ポリコレ思想の限界を示すと同時に、その真価が問われる機会でもあるんや。

これをきっかけに、ポリコレ思想がより包括的で、ほんまの意味で平等な社会を目指すもんに進化していけばええなと思うわ。

ほんで、弱者男性たちも、ただ被害者ぶるんやなくて、自分らの声を建設的な形で社会に届けられるようになってほしいな。

そうやって、お互いが歩み寄り、理解し合うことで、ほんまの意味での「誰もが生きやすい社会」に近づけるんちゃうかな。

「弱者男性差別でポリコレ思想が試されているのか?」についての話はこんなもんや。難しい問題やけど、みんなで考えていかなアカンで!