このタイトルの前半「神は死んだ」っちゅうんは、あのニーチェっちゅうドイツの哲学者が言うたんやで。ほんで、後半の「お前が神や」っちゅうんは、ワイが付け足したんや。

ニーチェが「神は死んだ」言うたんは、別に神様が実際に死んだっちゅう意味やのうて、近代社会になって神様の存在が意味持たんくなったっちゅう意味なんや。つまり、昔は神様が世界の中心やったけど、今はもうそうやないっちゅうことやな。

ほんで、「お前が神や」っちゅうのは、じゃあこれからは人間が神様の代わりになるんやっちゅう意味や。つまり、お前らが自分で考えて、自分で決めて、自分で責任取らなあかんっちゅうことやねん。

これ、ようよう考えたらめっちゃ怖い話やで。だって、今まで神様に頼っとったことを全部自分でやらなあかんってことやからな。でも、同時にめっちゃワクワクする話でもあるんや。だって、自分で人生決められるってことやからな。

ほんじゃあ、もうちょい深く考えてみよか。

まず、「神は死んだ」っちゅうのは、単に宗教の話やのうて、絶対的な価値観がなくなったっちゅう意味も含んどるんや。昔は「これが正しい」っちゅうのんが、神様や宗教で決まっとったけど、今はそうやないっちゅうことやな。

ほんで、「お前が神や」っちゅうのは、じゃあその正しさを自分で決めなあかんっちゅうことや。でも、これめっちゃ難しいんやで。だって、自分で「正しい」っちゅうのを決めるんやから、間違う可能性もあるし、他の人と意見違うかもしれんやろ?

せやけど、ここで諦めたらアカンで。だって、お前が神なんやから、お前が決めなあかんのや。他人に決めてもらうんやったら、それはまた新しい「神様」作っとるだけやからな。

ここで大事なんは、自分で考えることや。ニーチェは「超人」っちゅう概念も提示しとるんやけど、これは要するに自分で考えて、自分の価値観作れる人間のことやねん。お前らもそうなることを目指さなあかんのや。

でもな、「お前が神や」言うても、それは「お前が何してもええ」っちゅう意味やあらへん。むしろ、めっちゃ責任重いんや。だって、神様なんやから、自分の行動に責任持たなあかんやろ?

ほんで、「お前が神や」言うても、他人のことは無視してええっちゅうわけやあらへん。だって、他の人も神様なんやから、お互いを尊重せなアカンのや。つまり、「お前が神や」っちゅうんは、「みんなが神や」っちゅうことでもあるんや。

これ、ようよう考えたら、めっちゃ民主主義的な考え方やな。だって、みんなが平等に「神様」なんやから、誰かが特別やないっちゅうことやろ?

ほんで、「お前が神や」っちゅうのは、自分の人生は自分で決められるっちゅうことでもあるんや。運命とか宿命とか言うて諦めんでもええんや。お前が神やから、お前が自分の人生作っていけるんや。

でもな、これめっちゃ怖いことでもあるんや。だって、失敗したときに言い訳できへんやろ?「神様がこう決めたんや」とか言えへんのやから。全部自分の責任になるんや。

せやけど、それでええんやで。だって、失敗するのも成功するのも全部お前の人生やからな。それを受け入れて、前に進んでいくのが「神」なんや。

ほんで、「お前が神や」言うたら、他人のせいにするんもアカンで。周りの環境のせいにするんもアカンのや。全部自分で受け止めて、自分で解決していかなあかんのや。

これ、ようよう考えたら、めっちゃ自由な考え方やけど、同時にめっちゃ責任重い考え方でもあるんや。自由やからって好き勝手やっていいもんやないし、かといって縛られすぎるのもアカンのや。

「神は死んだ。お前が神や」っちゅうのは、自分の人生は自分で決めて、自分で責任取れっちゅうメッセージなんや。怖いけど、同時にめっちゃワクワクする考え方やと思わへんか?

ほんじゃあ、これからはお前らが神や。自分の人生、どないしていくか、よぉ〜考えてみいや!