MI6本部、ロンドン。極秘会議室で緊急ミーティングが開かれていた。

「諸君、我が国の威信に関わる重大な危機が発生した」とM長官が深刻な面持ちで切り出した。

007ことジェームズ・ボンドが眉をひそめる。「テロか?核兵器か?」

「いや、もっと深刻だ」M長官は大型スクリーンをポインターで指し示した。「先日発表された『世界の料理ランキング』で、我が国の料理が最下位だったのだ」

一同がどよめく中、Q課長が意気揚々と立ち上がった。「そのために、私が秘密兵器を開発しました」彼はスーツケースを開け、中から取り出したのは...普通のフォークだった。

「これは一体...?」とボンドが首をかしげる。

「見た目は普通のフォークですが、これで食事をすると何を食べても絶品に感じる催眠効果があるのです」

M長官が満足げに頷く。「よし、作戦名は『デリシャス・ブリタニア』だ。世界中の要人にこのフォークで英国料理を食べさせ、イギリス料理は世界一だと思わせるのだ」

数日後、パリ。ミシュランの本部で、審査員たちがイギリス料理のテイスティングに臨んでいた。

「これが噂のイギリス料理か...」と首席審査員が恐る恐るフィッシュアンドチップスを口に運ぶ。その瞬間、彼の目が星型に輝いた。「なんということだ!こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてだ!」

同じように、ローマでは教皇が、ワシントンD.C.では大統領が、東京では首相が、MI6特製フォークでイギリス料理を堪能し、その絶品ぶりに感動の涙を流していた。

しかし、事態は思わぬ方向に進展する。

「もう、フランス料理なんて食べられないわ」とパリっ子たちが嘆く。「イタリアンも、もう古い」とローマっ子たちがため息をつく。世界中で国民食が英国料理に取って代わられつつあったのだ。

MI6本部では祝杯が上がっていた。「やった!我々の作戦は大成功だ!」とM長官。

そこへ、慌てた様子でQが飛び込んできた。「大変です!催眠効果のあるフォークが世界中に出回ってしまいました。もはや、イギリス料理以外食べられなくなる危険性が...」

事態を重く見たMI6は、急遽対策本部を設置。ボンドは世界各地を飛び回り、特製フォークの回収に奔走した。

パリでは、香り高い紅茶とスコーンを求めてカフェが争奪戦に。ローマでは、ピザ職人がフィッシュアンドチップスの技を必死に習得。東京では、寿司職人が懸命にイングリッシュ・ブレックファストの作り方を学んでいた。

そんな中、ロンドンのパブで一人の老紳士が静かにエールを飲んでいた。彼の前には特製フォークで食べかけのシェパーズパイが。

「やれやれ、こんなことになるとは」老紳士は苦笑する。「本当に美味しい料理というのは、こうして静かに楽しむものなんだがな」

その時、店のテレビから緊急ニュースが流れた。

「速報です。世界中で蔓延していた『イギリス料理狂騒曲』とも呼ばれる異常事態は、どうやらテロリストによる毒物散布が原因だったことが判明。各国首脳は『我々は騙されていた』と声明を発表。イギリス料理の評価は一夜にして戻ってしまいました」

老紳士はため息をつく。「まあ、これで世界の料理の秩序は元に戻るわけだ」

そこへウェイトレスがやってきた。「お客様、デザートはいかがですか?本日のスペシャルは特製ブラマンジェです」

老紳士は微笑んで答えた。「ありがとう。でも、私はこのシェパーズパイで十分満足だよ」

彼が使っていたフォークは、どこにでもある普通のものだった。

MI6本部では、この騒動の顛末報告書を作成中のボンドが、ふと呟いた。
「結局、本当に美味しいものは、特殊な道具なんかいらないんだな」

M長官も静かに頷いた。「そうだな、ボンド。我々の真の任務は、イギリス料理の評判を上げることではない。むしろ、多様な食文化を守ることこそが、我々の使命なのかもしれんな」

こうして、MI6の秘密作戦「デリシャス・ブリタニア」は幕を閉じた。しかし、世界中の片隅では、ひっそりとイギリス料理を愛する人々の灯が、今も静かに燃え続けているのだった。

...そして誰も気づかなかった。あの老紳士こそが、かつてMI6で00級エージェントとして活躍し、今や引退していたジェームズ・ボンドその人だったことを。