ミケは、窓辺で丸くなって昼寝をしていた。彼は、灰色と白のまだらな毛並みを持つ3歳の雄猫だ。その名は、飼い主の大学生、村上拓也が尊敬する作家から取ったものだった。

拓也は机に向かい、キーボードを叩く音を響かせていた。彼は小説家を目指す21歳の青年で、朝から晩まで創作に没頭している。しかし、今日もまた行き詰まっているようだった。

「くそっ、全然いいアイデアが浮かばない」

拓也のため息に、ミケは片目を開けた。人間の言葉は理解できないが、飼い主の苛立ちは感じ取れる。ミケは伸びをして立ち上がり、拓也の足元に歩み寄った。

「にゃー」

ミケが鳴くと、拓也は椅子を回転させ、猫を見下ろした。

「ああ、ミケか。ごめんな、構ってあげられなくて」

拓也はミケを抱き上げ、膝の上に乗せた。ミケは喉を鳴らし、幸せそうに目を細めた。

「君は幸せそうだな。僕みたいに小説のことで悩まなくていいんだから」

拓也は猫の頭を撫でながら呟いた。ミケには、飼い主の言葉の意味は分からない。ただ、優しく撫でられることが嬉しかった。

しばらくして、拓也は再び小説の執筆に戻った。ミケは床に降ろされ、少し不満そうに尻尾を揺らした。そして、部屋の隅に置かれた段ボール箱に目をつけた。

その箱には、拓也が書き上げた小説の原稿が詰まっていた。どれも出版社に送ったものの、採用されずに戻ってきたものばかりだ。ミケは箱の中に潜り込み、紙の上でくるくると回った。

「おい、ミケ!そこは駄目だろ!」

拓也が慌てて駆け寄り、ミケを箱から引っ張り出した。ミケは不満そうに鳴いたが、拓也は構わず床に下ろした。

「もう、勝手に人の原稿の上で寝るんじゃない」

拓也は箱の中の原稿を整理し始めた。ミケは首を傾げて見ていたが、すぐに興味を失い、今度は本棚の方へ歩いていった。

本棚の最上段には、拓也の大切にしている作家たちの著書が並んでいる。ミケは軽々と棚を登り、本の背表紙の間を歩き回った。

「ミケ、そこも駄目だって!」

拓也は再び慌てて猫を捕まえようとしたが、ミケは素早く身をかわした。そのはずみで、何冊かの本が床に落ちた。

「まったく、手に負えないやつだな」

拓也は溜息をつきながら、本を拾い集めた。その時、一冊の本から栞が滑り落ちた。拓也はそれを手に取り、懐かしそうに見つめた。

それは、高校時代の文芸部で賞を取った時の賞状のコピーだった。拓也の小説家への夢は、その時から始まっていた。

ミケは、物思いに耽る拓也の傍らで、尻尾を揺らしながら座っていた。

「ねえ、ミケ。僕はいつになったら小説家になれるんだろう」

拓也は猫に語りかけた。ミケは首を傾げ、「にゃー」と鳴いた。

「そうだな。焦っても仕方ないよな」

拓也は苦笑いを浮かべ、再び机に向かった。ミケは、飼い主の背中を見つめながら、ゆっくりと近づいていった。

そして、拓也の足元で丸くなり、眠り始めた。キーボードを叩く音が、子守唄のように響いていた。

夜が更けていく。拓也はまだ机に向かっていた。ミケは何度か目を覚まし、飼い主を見上げては、また眠りについた。

朝日が差し込み始めた頃、拓也はようやくキーボードから手を離した。

「やっと書き上げた...」

疲れた様子で椅子から立ち上がった拓也は、足元で眠るミケを優しく抱き上げた。

「ありがとう、ミケ。君がいてくれたおかげで頑張れたよ」

ミケは目を覚まし、拓也の胸の中で喉を鳴らした。

拓也は猫を抱きしめたまま、窓際に歩み寄った。朝焼けに染まる街並みを見下ろしながら、彼は呟いた。

「きっと、いつかは僕の小説も日の目を見るさ。そうだろ、ミケ?」

ミケは、ただ柔らかく鳴いて返事をした。彼には、飼い主の夢の重さは分からない。ただ、この腕の中が心地よいことだけは確かだった。

拓也は深呼吸をし、再び机に向かった。新たな物語を書き始める決意が、彼の目に宿っていた。

ミケは、そんな飼い主の姿を見守りながら、再び窓辺で丸くなった。彼にとっては、こうして飼い主と過ごす日々こそが、最高の物語なのだ。

小説家志望の青年と一匹の猫。二人の物語は、これからも続いていく。たとえ世に出ることはなくとも、この部屋の中で、確かに紡がれていくのだ。