まず「ニーチェ」って誰やねんって話やけど、19世紀のドイツの哲学者やねん。めっちゃ難しいこと言うてる印象あるけど、実はめっちゃ面白いこと言うとるんや。

で、ニーチェが言うとる「超人(ドイツ語でÜbermensch)」って何やねんって話やけど、簡単に言うと「理想的な人間像」みたいなもんや。でも、ただの理想じゃなくて、人類の次の段階みたいな感じやねん。

ニーチェは「神は死んだ」って言うてんねん。これ、別に神様が実際に死んだって意味やないで。神様への信仰が意味をなくしたって意味なんや。せやから、人間は新しい価値観を自分で作らなアカンって言うとるんや。

そこで出てくるのが「超人」や。超人っちゅうんは、自分で新しい価値観を作れる人間のことやねん。世間の常識とか宗教とかに縛られへんのや。

ニーチェは、普通の人間を「ラクダ」「獅子」「子供」の3段階で例えとるんや。

「ラクダ」は、社会のルールとか常識をただ背負うだけの人間や。「こうせなアカン」「ああせなアカン」言われるがままや。

「獅子」は、そういうルールに反抗する人間や。「なんでそんなルールに従わなアカンねん!」って感じやな。

でも、ニーチェが目指しとんのは「子供」や。子供は、新しいもんを作り出せるやろ?そういう感じで、新しい価値観を作り出せる人間が「超人」なんや。

ただ、ここで気をつけなアカンのは、ニーチェの言う「超人」は別に超能力持ちとかそういうんやないってことや。むしろ、普通の人間が目指すべき姿なんや。

ニーチェは「人間は乗り越えられるべきものである」って言うとるんや。つまり、今の自分を超えて、もっと自由な存在になれってことやな。

でも、これがめっちゃ誤解されてもうてん。ナチスがニーチェの思想を都合ええように解釈して、「アーリア人が超人や!」みたいな感じで使うたんや。これ、完全に間違いやで。

ニーチェの言う超人は、個人が自分の価値観を作ることを重視しとるんや。人種とか国とか関係ないねん。

ほんで、ニーチェの超人思想は現代でも結構通用すると思うで。だって、今の世の中ってSNSとかで「みんながこう言うてるから、ワイもそう思わなアカン」みたいな同調圧力強いやろ?

でも、ニーチェが言うには、そんなんに縛られんと自分の頭で考えて、自分なりの価値観作れって話やねん。

ただ、これめっちゃ難しいで。だって、自分で全部考えなアカンってことやからな。楽ちゃうで。

でも、ニーチェはそこを乗り越えてこそ本当の自由が得られるって言うとるんや。「自由」っちゅうんは「好き勝手やる」んとはちゃうねん。自分で決めたルールに従うことが本当の自由なんや。

ワイ個人的には、ニーチェの超人思想めっちゃ共感できるわ。だって、なんJでもみんな同じような考えになりがちやけど、たまには「これ、ホンマにそうなんか?」って考えてみるのええと思うねん。

もちろん、ニーチェの言うとることが全部正しいわけやないで。批判的に見ることも大事や。でも、「自分で考える」っちゅう姿勢は大事やと思うわ。

結局のところ、ニーチェの超人思想は「自分らしく生きろ」ってことやねん。他人の価値観に縛られんと、自分なりの人生を歩めってことや。

ただ、これは「自分勝手に生きろ」っちゅう意味やないで。むしろ、自分で決めたルールをしっかり守る強さが必要なんや。

ワイらにできることと言えば、日々の生活の中で「これってホンマにそうなんか?」って考えてみることやな。常識やと思うとることでも、たまには疑ってみる。そうやって、少しずつ自分なりの価値観を作っていくんや。

ニーチェの超人思想は、そういう意味で今の時代にもめっちゃ意味があると思うで。SNSとかで流されがちな現代人にとって、「自分で考える」っちゅうのは大事なスキルやと思うわ。