ワイ、なんJ民。今日もいつも通り深夜のなんJでスレ立て。「純文学って今どうなんや?」
「草」「で?」「どうでもええわ」
レスバトル勃発や。でも、ワイの中で何かが引っかかる。純文学、なんやろか。ググったろ。
「純文学(じゅんぶんがく)とは、芸術性や思想性を重視し、商業的成功よりも文学的価値の追求を目的とする文学作品のことや。」
なるほど。でも、ワイにはよくわからん。ワイ、「クレヨンしんちゃん」のほうが好きや。
翌日、ワイは図書館に行く。司書のお姉さんに「純文学のオススメ教えてクレメンス」と聞く。
「はい、こちらはどうでしょうか。夏目漱石の『こころ』です。」
ワイ、本を受け取る。重い。字が小さい。「あかん、眠くなってきた」
帰り道、スマホでTwitter見てたら、「純文学オワコン説」がトレンド入り。
「草生える」「せやろか」「でもそれ、ポストモダンちゃうんか?」
ワイ、混乱する。ポストモダンって何や。また、ググる。
「ポストモダニズムは、近代主義(モダニズム)以降の思想や文化の潮流を指す言葉や。」
もうわからん。ワイの脳みそバグった。
そんな時、突然、ワイのスマホに謎の着信。出てみると、夏目漱石の声。
「君、なぜ純文学に興味を持ったのかね?」
ワイ、驚愕。「え、漱石先生!?でも先生、もうお亡くなりになってるはずやろ?」
「私は君の想像の中にいるのさ。さて、質問に答えてくれたまえ。」
ワイ、考える。「うーん、なんか、このご時世やし、純文学って大事なんちゃうかなって...」
漱石、微笑む。「そうか。では、君に課題を出そう。純文学の新しい形を見つけるのだ。」
「えぇ!?ワイにそんなん無理や!」
しかし、漱石はもう消えていた。
ワイ、悩む。純文学の新しい形?なんやそれ。
翌日、なんJに書き込む。「純文学の新しい形って何やと思う?」
「草」「どうでもええわ」「でもそれ、AI小説とかちゃうん?」
AI小説?ワイ、閃く。
ワイ、スマホのAIアシスタントに話しかける。「純文学の小説書いてクレメンス」
AIが答える。「申し訳ありません。私は創作活動を行うことはできません。」
ワイ、がっかり。でも、何かを思いつく。
「じゃあ、ワイが書いた小説を純文学っぽくしてくれへん?」
AIが答える。「その方法であれば、お手伝いできるかもしれません。」
ワイ、書き始める。
「ワイ、なんJ民。今日もいつも通り深夜のなんJでスレ立て。『純文学って今どうなんや?』」
AIが答える。「なるほど。では、こんな感じはいかがでしょうか:
『私は、現代のデジタル文化の象徴たる匿名掲示板に身を置く一介の投稿者である。真夜中の静寂を破り、私は問いかける。「純文学の現在とは?」と。』」
ワイ、感動。「すげぇ...これが純文学か...」
そして、ワイは気づく。純文学は死んでない。ただ、形を変えているだけや。
なんJの言葉、ネットスラング、AIとの対話。これらすべてが、新しい純文学の形なんや。
ワイ、スレ立て。「【朗報】純文学、ガチで復活する」
「草」「マ?」「でもそれ、ポストモダンちゃうんか?」
ワイ、答える。「せやで。ワイらが作るんや、新しい純文学を。」
そして、ワイの書いた小説は、なんJで大バズり。「純文学大賞」なるものまで作られる。
審査員から電話がかかってくる。「君の小説が大賞に選ばれました。」
ワイ、驚く。「えぇ!?ワイの?」
審査員が続ける。「ええ。君の小説は、現代のインターネット文化と純文学の融合を見事に表現しています。」
ワイ、感動で涙する。「ありがとうございます...」
電話を切ると、また漱石の声が聞こえる。
「よくやった。君は純文学の新しい形を見つけたね。」
ワイ、答える。「いいえ、漱石先生。ワイらみんなで見つけたんです。なんJ民も、AIも、みんなで。」
漱石、笑う。「そうか。それが君たちの時代の純文学なのだね。」
ワイ、うなずく。純文学は死んでない。むしろ、今までにないほど生きている。
そして、ワイはスマホを手に取り、新しい小説を書き始める。
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