小説を読んだ後、感想を求められるのはよくあることだ。だが、今回は違った。読んだ小説はただの物語ではなく、私の心に深く入り込み、何かを変えてしまった。その感覚を言葉にするのは難しい。だが、ここに書き記してみようと思う。

その小説は、普通のホラーとは一線を画していた。恐怖そのものではなく、日常の中に潜む不気味さを描いていた。ページをめくるたびに、何かが背後にいるような感覚に襲われた。物語の主人公は、普通の生活を送っているように見えたが、次第にその生活が崩壊していく様子が描かれていた。

物語の中盤、主人公がふと手にした一冊の本。その本は、まるで生きているかのように感じられた。本の中の言葉が、主人公の現実を変えていく。読めば読むほど、現実と虚構の境界が曖昧になり、主人公は次第に狂気に陥っていく。読者である私も、その狂気に引き込まれそうになった。

ページを進めるごとに、現実が歪み始めた。登場人物たちは次第に正気を失い、日常が壊れていく。主人公の友人や家族も、次々と異変に巻き込まれていく。彼らが見ているものが現実なのか、それとも幻覚なのか、読者としても判断がつかなくなっていった。

物語のクライマックスでは、主人公がその本の秘密を暴こうとする。しかし、真実に近づくほどに、彼の現実はますます崩壊していく。最終的に、彼は自らの存在すら疑うようになる。読者としても、何が現実で何が虚構なのか、もはやわからなくなっていた。

その小説を読み終えた後、私は深い虚無感に包まれた。物語の終わり方が曖昧で、明確な結末が描かれていなかったからだ。主人公の運命も、物語の真実も、すべてが不明瞭なままだった。だが、それがこの小説の本質だったのだろう。

その曖昧さこそが、現実と虚構の境界を曖昧にし、読者を狂わせる要因だったのだ。小説を読み終えた後も、その感覚は私の中に残り続けた。まるで、物語の一部が私の中に入り込み、私自身の現実を変えてしまったかのように感じられた。

しばらくして、私はその小説について誰かと話したくなった。だが、誰に話しても理解されないだろうという不安があった。物語の中の狂気と恐怖を共有するのは容易ではない。だが、私はその感覚を言葉にすることを試みた。

ある日、友人にその小説の話をしてみた。彼もまた、同じ小説を読んでいた。彼の感想も私と似ていた。彼もまた、現実と虚構の境界が曖昧になり、深い虚無感に包まれたと言っていた。私たちはその小説について語り合い、少しずつその感覚を共有することで、何とか現実に戻ることができた。

だが、その小説の影響は完全には消えなかった。夜中にふと目が覚めると、まだあの物語の世界に引き戻されるような感覚に襲われることがある。まるで、その小説が私の中で生き続けているかのように。

その小説の感想を言葉にするのは難しい。だが、確かに言えることは、その物語が私に深い影響を与えたということだ。恐怖と狂気、そして現実と虚構の曖昧な境界。そのすべてが私の中に残り続け、私の感覚を揺さぶり続けている。

そして、ふと思う。あの小説が本当にただの物語だったのか。それとも、私が読んだこと自体が何かの罠だったのか。現実と虚構の境界が曖昧になる中で、私はその答えを見つけることができなかった。

だが、それで良いのだろう。あの小説の本質は、その曖昧さにこそあったのだから。現実と虚構が交錯し、読者を狂わせるその感覚こそが、あの小説の真髄だったのだ。私はその感覚を抱きながら、今日もまた現実を生きている。現実と虚構の境界が曖昧になる中で。



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牛野小雪
2023-10-25