第一章「嫉妬の影」
親友のハヤトから久々に連絡が来た。「ショウタ、新作が書店に並んだよ。今度、サイン会もあるんだ」
そう嬉しそうに話すハヤトの声に、僕は思わず眉をひそめていた。
「そうか、よかったな。俺はまだ新作の構想を練ってる途中なんだ」
明るい声を装いながら、電話を切った。
ハヤトは学生時代からの親友だ。一緒に小説家を目指して、切磋琢磨してきた仲だった。
けれど、彼がデビューした後は、僕の中に嫉妬の感情が芽生え始めていた。
まるでハヤトが自分の頭一つ分抜きん出てしまったかのように感じて、焦燥感に苛まれる。
「ショウタさんの新刊、楽しみにしてますよ」
先日、ネット上で読者からそんなコメントをもらった。うれしい反面、プレッシャーも感じる。
自分の作品はKDPで自主出版しているが、ダウンロード数は伸び悩んだまま。ゼロが並ぶ数字を見るたび、情けなくなる。
「ショウタ君、原稿の進み具合はどうだい?」
担当編集者の佐藤さんからメールが届く。返信に窮しながらも「順調です」と嘘をつく。
佐藤さんは僕の才能を買ってくれている数少ない理解者だ。期待に応えたいのに、はかどらない。
「小説は、自分の感情を言葉にする作業。焦っちゃダメだよ」
僕の悩みを見抜いたように、恩師の田中先生がアドバイスをくれる。
田中先生は僕が尊敬する小説家だ。若い頃は何年も無名だったと聞く。
「ありがとうございます。自分のペースで頑張ります」そう答えつつ、胸中は晴れない。
パソコンに向かい、文章に没頭する。登場人物の心情を丁寧に描写していく。
けれど、思うようにストーリーが進まない。「ハヤトにはかなわない」そんなネガティブな考えが頭をもたげる。
はっと我に返る。こんな嫉妬に負けているようじゃ、小説は書けない。
深呼吸をして、再び執筆に取り組む。
「よし、今日はここまで」
パソコンの画面を閉じ、伸びをする。執筆の途中経過に不安を覚えつつも、明日への活力を得た気がした。
嫉妬心と向き合いながら、僕は物語を紡ぎ続ける。
第二章「後悔の日々」
締め切りまであと一週間。焦りは頂点に達していた。
「このままじゃ完成しない...」そう呟きながら、僕は原稿に向かう。
けれど、言葉は空回りするばかりだ。紡ぎ出される文章に生気がない。まるで作者の僕自身のように。
ふと、会社を辞めて小説家を目指すと決意した日のことを思い出す。
「才能があるから、きっとうまくいく」そう自分を鼓舞したあの頃が懐かしい。
今の僕には、過去の選択を後悔する気持ちしかない。情熱だけでは作家にはなれないのだと、思い知らされる日々だった。
「ショウタ、ご飯できたよ」
恋人のマイが食卓に手料理を並べてくれる。優しい彼女は、僕の作家志望を応援し、仕事を辞めた僕を支えてくれていた。
でも最近は、会話らしい会話もなく、ギスギスした空気が流れている。
「ごめん、原稿が終わってないから食べられない」そう告げて席を立つ。一人締め切りに追われる孤独な作家。情けない。
原稿に集中するため、外出を控えるようになっていた。ひっそりと風が吹き抜ける部屋で、一人黙々と言葉と格闘する。
けれど、今日も思うように文章は生まれない。頭をハンマーで殴られたようにズキズキと痛む。このまま締め切りを過ぎたら......考えるだけで皮膚がチリチリとしびれる。
「無理して書いても、いい作品にならないと思う」
心配そうに覗き込むマイの顔。その言葉に、僕は激昂した。
「小説のことなんか、君には分からないだろ!」感情のままに怒鳴り、マイを突き放す。
戸惑いの表情を浮かべるマイ。申し訳ない気持ちになりつつも、謝ることはできない。プライドが許さないのだ。
外は小雨が降り始めていた。ポツリ、ポツリと雨粒が窓を叩く音が、僕の孤独を際立たせる。
小説が書けない自分は、無価値な存在なのだろうか。将来への不安が胸を締め付ける。
「小説家になりたい」その夢を追いかけて、僕は今までいったい何をしてきたのだろう。
スランプの淵でもがく僕。打開策が見いだせない。
恋人との仲も険悪になる一方だ。自分を見失った僕に、明るい未来は見えない。
もはや、後悔だけが心を支配していた。
第三章「愛の試練」
「ねえ、少し休憩しない?」
原稿に向かう僕の背中に、マイが語りかける。優しさに包まれたその声音は、僕を現実に引き戻そうとしているようだ。
「今は無理だ。集中させてくれ」そう言って、彼女の誘いを振り払う。
マイは小言も言わずに、そっと部屋を出ていった。いつも僕のわがままを受け入れてくれる彼女に、僕は甘えていた。
久々の外出。マイとレストランでディナーをしていると、隣のテーブルの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、今話題のあの作家さん知ってる?」「ああ、ハヤトのことでしょ。彼、すごいよね」
ハヤトの名前を聞いて、僕の表情が曇る。対照的にマイは柔らかな微笑みを浮かべている。
「ショウタも負けてられないね。今度のデートは、ハヤト君みたいなベストセラー作家になったショウタとしたいな」
僕は食事に集中したふりをして、マイの言葉を聞き流した。彼女は僕の才能を信じてくれているというのに、素直に喜べない自分がいる。
日々自分と向き合うことに疲弊していた。他人の目なんて気にしないと思っていたのに、書けない焦りから解放されない。
八方塞がりの僕は、マイにあたることが増えていった。
「今日も執筆か。ショウタには私より原稿が大事なんだね」
ふとした会話で、マイがつぶやいた。心の奥底では彼女を愛しているのに、僕はそれを言葉にできずにいた。
ガチャリ、鍵を開ける音。
「ただいま」マイが疲れた様子で帰宅する。
迎えるそぶりも見せずに、僕は原稿に向かったまま。
「ショウタ、私たち、話し合おう」
切り出すマイに、僕は憮然とした表情を向ける。
「君は小説のことを何も分かってない。邪魔しないでくれ」
そんな僕の言葉に、マイは悲しそうに目を伏せた。
翌朝、リビングに置かれた一通の手紙。
「ショウタへ あなたの夢を応援したくて、ずっと支えてきたつもりだった。でも、私の存在はあなたの邪魔なのかもしれない。離れていた方が、あなたの作家人生のためになると思う。ごめんなさい」
視界がブレる。マイの愛を失った喪失感は、まるで体が引き裂かれるようだ。かけがえのないものを失った僕は、泣き崩れた。
マイを失った僕に、小説を書く資格などあるのだろうか。
第四章「努力の果て」
マイに別れを告げられて三日が経った。呆然自失の日々だ。
「俺は何のために小説を書いているんだろう」
ふと、そんな思いが頭をよぎる。小説家になる夢を追いかけてきたはずなのに、今の僕からは情熱が感じられない。
マイを失った喪失感にばかり囚われて、肝心の執筆からは逃避していた。情けない。
重い足取りで家を出る。どこへ行くあてもなく、街をさまよった。
ふと、見慣れない古書店の看板が目に入る。「ケンジの書斎」そう書かれていた。
ガラリと扉を開けると、温もりを感じさせる空間が広がっていた。
「いらっしゃい。お探しの本は何でしょう」
優しげな口調の店主が話しかけてくる。僕は思わず、打ち明けていた。
「小説を書いているんです。でも今は、行き詰まって......」
「そうか。私も若い頃は作家志望だったんだ」
ケンジさんはノスタルジックに微笑む。
「夢を追いかける君を、尊敬するよ。私は途中で諦めてしまったからね」
そう言いながら、ケンジさんが一冊の本を取り出す。
「志賀直哉の『城の崎にて』だ。私の若き日の感動が、この一冊に詰まっている」
そっと本を僕に手渡すケンジさん。
「作家の道は厳しいけれど、その情熱を信じて歩んでほしい。私はずっと応援しているよ」
ケンジさんの言葉に、かすかな灯火が心に灯る。
帰り道、「城の崎にて」を開く。直哉の美しい文章に触れるたび、かつての感動が蘇ってくる。
「そうだ、小説を書くのは好きだったんだ」
当たり前のことを、今更のように思い出す。恥ずかしいくらいだ。
マイを失った悲しみは消えないが、怠惰に流される日々にピリオドを打とう。僕は決意を新たにした。
机に向かい、原稿用紙と睨めっこする。ペンを走らせれば、言葉は自然と湧き出てくる。
登場人物の心情を丁寧に紡ぎながら、僕は一心不乱にストーリーを展開させる。
ヒタヒタと夜が更けても、疲れを感じない。むしろ高揚感で満たされていく。
「よし、これなら形になりそうだ!」
僕はガッツポーズをして、伸びをする。原稿の束を眺めては充実感に浸る。
努力の日々は続く。マイへの思いを胸に、僕は物語の完成へと突き進むのだ。
第五章「不屈の物語」
「あの、ショウタさん宛に荷物が届いています」
編集者の吉田さんから、念願の新刊見本が送られてきた。
「『孤独のカタルシス』......よくぞ完成させたな」
手にとって眺める我が作品。苦労の日々を思い出しては、感慨にふける。
「ネット販売も始まったし、反響が楽しみだね」
吉田さんの明るい声が、電話越しに響く。期待に胸を膨らませつつ、発売日を待った。
一日、また一日と過ぎていく。
「ショウタ、新刊の調子はどう?」
心配そうに連絡をくれる両親。「順調だよ」そう答えるのが、日課になっていた。
だが現実は厳しかった。毎日確認するダウンロード数は、ゼロのままだ。
ポチポチとクリックする指先が、徐々に震えだす。言葉を尽くして紡いだ物語が、誰にも届いていない。絶望感が全身を支配していく。
「ショウタ君、気を落とすな。売れなくたって、君は立派な作家だ」
励ましの言葉をくれるケンジさん。優しさが沁みる。
「小説は君の生きる道だろう?ならば、書き続けることが使命だ」
ズシリと肩に手を置かれ、僕は頷いた。
「そうですね。書くことを諦めたら、僕は終わりです」
涙をこらえながら、そう告げる。小説は僕の人生そのものなのだ。たとえ誰に読まれなくても、物語を紡ぐ日々を止めるわけにはいかない。
PC に向かい、新たな小説のプロットを練る。
登場人物の人物像を膨らませ、ストーリーをアウトラインで組み立てる。
没頭すれば、言葉はサラサラと湧き出てくる。デビュー作を書いていた頃の高揚感が、よみがえるようだ。
チクタク、時計の針が進む音。外は夜の帳が下りているが、僕の創作魂は燃え盛っている。
「終わった......」
一ヶ月に及ぶ執筆の末、僕は新作を脱稿した。読み返せば、また至らない点が見つかるだろう。
けれど今はひとまず、達成感に浸りたい。
ポロリと零れる涙。別れた彼女への想いは、作品に昇華されている。
いつかマイに、僕の小説を読んでもらいたい。その日を夢見て、筆を執り続けよう。
「俺は書くことを止めない」
心の奥底で、固く誓う。ダウンロード0でも、不屈の精神で立ち向かう。
そうして紡がれる物語こそが、僕の生きる証なのだから。
コメント