バナナランド
牛野小雪
2023-10-23


私たちは常に真実を追い求め、嘘をつくことを悪だと教えられてきました。しかし、小説「バナナランド」を読み進めていくと、真実だけでは生きていけない現実があることに気づかされます。主人公のユフが体験する一連の出来事は時に非現実的で荒唐無稽に感じられますが、その根底にあるメッセージは私たち現代人にも通じるものがあります。

ユフが創り出した「ウーシャマ教」は明らかに嘘から成り立っています。存在しない神を信じビールを分かち合うという行為そのものが嘘であると皆知りながら人々は夢中になってその教えを広めていきました。そして、その嘘は人々に幸福をもたらし社会に大きな影響を与えたのです。「嘘でもビールを分かち合って楽しもうなんて空虚さに突如として気付いたようだ」とありますが、それまでは多くの人がその空虚さを受け入れ、喜んでいたということです。

またフーカというキャラクターの存在も、真実と嘘の間で揺れ動くユフの心情を表しています。「存在しない」と世界が言っていたフーカが現れたことで、ユフの認識する現実が根底から覆されます。「今や幻となってしまった世界を考えてユフは気が遠くなる」という描写からは、真実と向き合うことの困難さが伝わってきます。

バナナランドの世界では真実よりも上手に立ち回ることが求められています。ユフは自分の正しさを信じて行動しますが、周囲からは狂気の沙汰だと受け止められてしまいます。

では、なぜ嘘が必要とされるのでしょうか。それは、真実だけでは生きていけない、または真実を受け入れられない現実があるからです。「人は幸せでなければ自殺できない」というフレーズは、真実を直視することの苦しみを表しています。自殺するには幸せでなければならない、つまり真実から目を背けることで初めて生きていけるのです。

また「考えてもしかたがないことはある。寝よう。それでたいていのことはどうでもよくなる」という言葉からは、真実と向き合うことの辛さと、それを回避する方法が示唆されています。全ての真実を追求することは不可能であり時には現実から目を背けることも必要なのです。

しかし、だからといって嘘が正当化されるわけではありません。「嘘でもいいから疑いも疑ってみろ。本当にとって存在は必要なのかい?」というセリフは嘘に惑わされずに本質を見抜くことの大切さを訴えています。嘘から出る儲けがあるかもしれませんが、それが本当に必要なものなのか、疑う姿勢を持つことが求められているのです。

バナナランドは真実と嘘、現実と虚構が入り混じる不思議な世界です。しかし、その中で生きる人々の姿は現代社会を生きる私たちと重なります。真実を追求することは大切ですが時には嘘を受け入れ、上手に立ち回ることも必要なのかもしれません。ただし、その嘘に惑わされずに本質を見極める目を持つことが大切だとバナナランドは私たちに教えてくれています。

真実と嘘の狭間で生きることの難しさと、それでも生きていくことの意味を問いかける作品、それがバナナランドなのです。私たちは、ユフの体験を通して、人生において大切なことは何かを考えさせられます。真実を追求することは重要ですが、時には嘘を受け入れ、柔軟に立ち回ることも必要です。そして自分の信念に従って生きることが人生を豊かにすることにつながるのです。

バナナランドが投げかける問いは私たち一人一人に答えを求めています。真実と嘘、現実と虚構の間で揺れ動く人生において、何を大切にし、どのように生きていくのか。その答えはバナナランドを読み終えた後も私たちの胸の内で問い続けられることでしょう。

(おわり)

小説なら牛野小雪がおすすめ【kindle unlimitedで読めます】