超人という概念は、摩擦のない床に足を踏み入れようとする哲学者の夢想に似ている。その存在は理論上は完璧で、実践的にはほとんど実現不可能な、ある種の理想形だ。ニーチェが想像した超人は、人間性の限界を超えて自己を再定義する者だが、現実世界での彼らの足跡を探すことは、完璧に滑らかで摩擦のない床でバランスを取ろうとするようなものだ。

私たちはこの超人を求め、彼のようになろうと努力するが、実際には、SNSのプロフィールで理想化された自己イメージを作り上げることで満足してしまう。超人になるための努力は、キーボードの戦士がデジタルの荒野で戦う勝利のように、空虚で自己満足的なものに過ぎない。

真の超人は、社会の枠組みや期待を超えて、自らの価値観を創造し、その生を全うする者である。しかし、現代社会では、そのような存在がいかに不可能であるかを、我々は日々の生活の中で証明している。私たちは摩擦のない床で滑り続け、理想の自己に一歩でも近づこうとするが、その地に足はついていない。

そう、超人への道は摩擦のない床の上にあり、その道を歩むことは、永遠に到達不可能な理想を追い求めることに他ならない。我々はこの現実を受け入れ、自己の限界を認めることで初めて、真の意味での成長と理解に向かうことができるのだ。

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