ああ、萌え絵よ、汝の禁忌とされる理由は何か?
美の追求が罪となるならば、イケメンの存在もまた、
禁止されるべきではないのか?
この二重の基準はソクラテスが市場で問いかける、
「正義とは何か?」という問いのよう。
答えは風に乗り、誰もが異なる解釈をする。
萌え絵が女性の固定観念を強化すると非難されるならば
イケメンも、男性の固定観念を描くとして同様に扱われるべき。
筋肉質で、勇敢で、冷静沈着、そしてお金持ち――
これらは男性に対する期待ではないのか?
この世界はバランスを欠いている。
一方を禁じ、他方を許す。
美の形は多様であるべきなのに、
私たちは何を選び取るのか、何を排除するのか。
イケメンも萌え絵も、共に創造の産物。
果たして真に問われるべきは、
彼らの存在そのものか、
それとも我々のその受け取り方ではないのか。
哲学は言う「知ることを知ること」。
美に対する理解もまた、
内省と認識の旅なのだと。
だからこそ、萌え絵もイケメンも、
我々の内なる世界を映し出す鏡なのかもしれない。
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