実存的な読者の不在

実存的な読者の不在

我々が熱心に追い求める小説の読者は、実際にはどこにも存在していない。あるのは、過ぎ去った時の中で本を手にしたことがある幽霊たちだ。

創作の世界で作者はしばしば読者の存在を確信している。だが、この信念は、実存的な観点から見れば、極めて疑わしい。なぜなら、読んだという行為は過去のものであり、読者もまた過ぎ去った瞬間にのみ存在するからだ。

読者がいるという安心感に包まれながらも、実際には誰もその場にいない。これは、一人で部屋にいるときに誰かの声を聞くようなもの。声はあるが、発している者はいない。同様に、読者は思い出の中にしか存在しない。

したがって、読者のために書くという行為は、実は自分自身のために書いているに過ぎない。なぜなら、実存的には読者は「現在」には存在せず、我々が直接交流できる対象ではないからだ。我々は、読まれることの確証を得ることなく、ただ書き続ける。

この真実を受け入れるとき、創作者は真の自由を手にする。読者の存在を期待しないことで、純粋な創造性のためだけに書くことができるようになる。読者がいないことの寂しさを超え、創作の本質に到達する。

では、読者が実際には存在しないと知ったとき、我々は何のために書き続けるのか? それは、過去に読んだ誰かのためか、あるいは、存在しない読者への手紙としての小説か?

関連項目

  1. 小説家になろう
  2. 誰も読まない本を書く小説家は小説家なのか
  3. 100万人ではなくたった一人のために書け
  4. 一人のために書くべきなら0人のために書く方がもっと良い
  5. 数学的にはー100万人のために書くのが正しいということになる
  6. 実存的に読者は存在せず、ただ過去に観測された歴史的事実が存在するのみ
  7. 読者が実存しなくても小説家は読者のために書くべきである理由
  8. 小説家がおすすめな職業の理由


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