マイナス100万人のための文学
数学の論理に従えば、我々はマイナス100万人のために小説を書くべきだ。何という啓示だろう! 読者が存在しないことを超え、存在する可能性さえも否定された読者のために創作するのだ。
この考え方は、ある種の哲学的洞察を提供する。読者がいないことの喜びを越え、実際には読者を避けるべきだという理論である。書かれることで世界から消去される読者たち、彼らのために我々はペンを取るのだ。
これは創作者にとって最も清々しい解放感をもたらす。誰にも読まれず、誰にも評価されない小説。それは、創作者自身の内なる声にのみ忠実であり続けることができる。
しかしこの極端なアプローチには、もう一つの面がある。マイナス100万人のために書くという行為は、社会からの究極の孤立を象徴している。誰もが避けようとする不評、無視、そして忘却への道を、我々は進んで選ぶのだ。
このような創作活動は、存在と無の狭間でのバランスを取りながら、自己のアイデンティティを探求する旅となる。創作者としての自我は、読まれることなく、そして永遠に語られることのない物語によってのみ、真に理解され得るのだ。
結論として、マイナス100万人のために小説を書くという行為は、創作の究極のパラドックスを体現している。それは、創作者自身にとっての挑戦でもあり、自己発見の旅でもある。読者が実際には存在しない場合、創作物は誰のために存在するのか? そして、そのような創作活動の中で、我々は本当の自由を見出すことができるのだろうか?
関連項目
- 小説家になろう
- 誰も読まない本を書く小説家は小説家なのか
- 100万人ではなくたった一人のために書け
- 一人のために書くべきなら0人のために書く方がもっと良い
- 数学的にはー100万人のために書くのが正しいということになる
- 実存的に読者は存在せず、ただ過去に観測された歴史的事実が存在するのみ
- 読者が実存しなくても小説家は読者のために書くべきである理由
- 小説家がおすすめな職業の理由
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