誰も読まない本を書く小説家は小説家なのか
森を歩いていて、倒れる木があったとして、その音を聞く者がいなければ、音は存在するのだろうか?同じく、ページに文字を刻む小説家がいて、その作品を目にする者が一人もいなければ、彼は本当に小説家なのだろうか?
この疑問は、古の哲学者が夢見た思考実験の現代版であり、創作の本質とその受容の関係性に光を当てる。小説家とは、物語を紡ぐ者。しかし、その物語が誰の心にも響かないのであれば、彼の創造は完結していると言えるのだろうか?
誰も読まない本を書く行為は、究極の自由を象徴しているかもしれない。読者の目を気にせず、商業的な成功を追求することなく、純粋な創作活動に没頭できる。それは、創作者にとって理想的な状態ではないだろうか?
しかし、一方で、創作物が社会と完全に断絶している状態は、小説家にとって孤独なものである。物語は共有されることで生きるという考え方もあり、読まれることによって初めて、物語はその真の価値を発揮する。
そこで、小説家のアイデンティティはどこから来るのかという問いが浮かび上がる。それは、社会的な承認からか、それとも内なる創造の喜びからか。もし後者であれば、誰も読まない本を書き続ける小説家もまた、小説家としての真の資質を持っていると言えるのではないだろうか。
小説家の定義は、外部からの評価によってではなく、内部からの熱意と創作への情熱によって決まる。だからこそ、誰も読まない本を書く小説家もまた、小説家と呼ぶにふさわしい。
では、読者が一人もいない世界で、あなたはまだ物語を書き続けるだろうか? それとも、誰かのために、あるいは誰かと共有する喜びのために書くのか?
関連項目
- 小説家になろう
- 誰も読まない本を書く小説家は小説家なのか
- 100万人ではなくたった一人のために書け
- 一人のために書くべきなら0人のために書く方がもっと良い
- 数学的にはー100万人のために書くのが正しいということになる
- 実存的に読者は存在せず、ただ過去に観測された歴史的事実が存在するのみ
- 読者が実存しなくても小説家は読者のために書くべきである理由
- 小説家がおすすめな職業の理由
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