私は忘却を求めている。この無限に広がる都市の灯りの下で、過去の記憶から逃れる場所を探して彷徨う。夜の街角で見知らぬ人との会話、意味のない笑い、一時的な快楽。それら全てが、私に一時的な忘却を与えてくれる。
この探求は、ある失恋から始まった。彼女との別れは私の世界を暗闇に変えた。日々は色を失い、時間は意味を持たなくなった。私は過去の記憶に縛られ、それから逃れるために忘却を求めるようになった。夜ごとに異なる顔をした人々と交わり、酒に溺れ、音楽に身を委ねる。それでいて、彼女の面影は一向に薄れることはない。
しかし、ある夜、予期せぬ出会いが全てをひっくり返した。彼女に似た誰かとの会話の中で、私は忘却ではなく、記憶の中に生きることの意味を見出した。彼女との思い出が、私を形作る重要な一部であることを認めざるを得なくなった。
「君は何を逃れようとしているの?」彼女に似た彼女は尋ねた。その問いに、私は答えられなかった。なぜなら、私が本当に逃れようとしていたのは、自分自身だったからだ。
「記憶は痛みを伴う。だけど、それが君を形作っているんだよ」と彼女は言った。その言葉は、冷たい夜風の中で私の心に響いた。私は忘却を求めていたが、実際には自分自身と向き合う勇気が欲しかったのだ。
夜は更けていく。私は一人、長い帰路につく。彼女との思い出が、今も私の中で生きていることを受け入れながら。忘却ではなく、記憶と共に生きることを選ぶ。それが、私が本当に求めていたものだった。
しかし彼女は誰だったんだ? 名前を知らない。顔も思い出せない。本当に私は彼女に会ったんだろうか。話したんだろうか。私はさっきの出来事を疑い始める。
そもそも私はなぜ忘却を求めているのかまで考え始める。過去の記憶からなぜ逃れようとしているのか。失恋だ。彼女と別れたから。だがその彼女とは誰だろう。記憶のページをいくらさかのぼってみても彼女の記憶や思いではない。私の記憶は忘却を求めるところから始まり、忘却するために彼女の記憶が作られた。順番が逆だが事実そうなのだ。
酒に溺れて音楽に身を委ねた記憶はない。それなのにそれらを過去に経験したかのように想起させる感覚が私の中にある。私は作られた存在なのではないか。たとえば何かの小説の主人公で物語が始まったばかり。だから記憶はないのにエピソードの可能性を想起させる何かだけが私の中にある。
「イチロー何を考えている?」
そう言ったのは友人のコバヤシだ。しかし私にコバヤシという友人がいた記憶はない。しかし私はコバヤシが友人であると認識しているし、彼は大学で同じ学部で、毎日のように学食を一緒に食べていたということを思い出せる。それは記憶というよりは自転車の乗り方と同じでコバヤシが私の前に現れた瞬間に記憶の底から使用可能な状態で現れたという風に感じる。
「コバヤシ。どうやら俺は主人公らしい」
「なるほど。じゃあ俺は脇役か。敵役か、それとも相棒枠か、それかモブだったりして」
「それは分からない。たとえば小説の登場人物は相手が味方か敵かなんてわからない。ましてやモブかだなんて」
「人生だって同じだろう。モブは分かりそうな気もするがな」
コバヤシの言葉に、私はふと考え込む。確かに、私たちの人生も、ある種の物語の中で生きているようなものだ。登場人物たちは、自分たちがどのような役割を担っているのか、物語の中で何を意味しているのかを知る由もない。私たちはただ、与えられた役割を演じ、物語が進むにつれて自分の位置を探り、意味を見出そうとする。
「でもな、コバヤシ。もし俺たちが本当に小説の中の登場人物だとしたら、俺たちの運命はすでに作者によって決められているんじゃないか?」
「そうかもしれないな。でも、それが何かを変えるのか?」
コバヤシの問いかけに、私は答えに窮する。たとえ私たちの運命が既に決められていたとしても、その事実が私たちの日々の選択や行動にどのような影響を与えるのだろうか。私たちは自分たちの意志で行動していると感じているが、それがすべて予め書かれたシナリオに沿っているとしたら、自由意志とは何なのだろうか。
「イチロー、考えすぎだよ。たとえ俺たちが小説の中の登場人物だとしても、今この瞬間を生きているのは事実だろう?」
コバヤシの言葉に、私は少し心が軽くなる。確かに、たとえ私たちの運命がどこかで既に書かれていたとしても、私たちが感じている感情や経験している出来事はリアルだ。私たちにとっては、それが最も重要なことなのかもしれない。
「そうだな。今を生きることに意味があるんだ。たとえそれが小説の一ページであってもな」
私はコバヤシと一緒にカフェを後にする。私たちがどのような物語の中にいるのかは分からない。しかし、私たちはその物語を一緒に歩んでいく。そして、その過程で何かを感じ、何かを学び、何かを経験する。それが、たとえ小説の中の出来事であっても、私たちにとっては現実なのだから。
「おい、まて。俺たちはいつからカフェにいたんだ?」
私の言葉でコバヤシはハッとする。
「たしかにそうだ。俺たちはさっき会ったばかりなのにいつの間にかカフェにいて、そこを出た。」
「俺たちはカフェで何を飲んだか、何を話したか記憶はあるか?」
「‥‥‥ない」
「これはたぶん俺たちのシーンが途切れていたんだ。俺とお前が会って、そこでシーンが切り替わって、そしてまた俺たちに戻ってきた。だから会ってからいきなりカフェにいて、そこを後にしたんだ」
「何を言っているのか分からなくなってきた。だがおかしいのは分かる。でも、もっとおかしいのはもしいまが俺たちのシーンなら突然カフェにいて、そこを出た後にさっきのはおかしいと話し合っていること自体がおかしくないか。もし俺たちが物語の登場人物なら、ここで何かが起きるか、物語にとって重要ななにかを話すはずだが実際は俺たちの世界がおかしいっていう話しかしていない。これはつまり‥‥‥二人とも頭がぼけていたんだ」
「それこそぼけた考えだ。二人同時にぼけるなんてあるか? おい、俺とお前が大学時代になにをしていたか憶えているか?」
「‥‥‥いや、ない。とうことは・・・・・こうは考えられないか? この物語を作っているのはクソみたいな作家で登場人物の設定やバックストーリを詰めていない未熟な作家なんだ。だから俺たちに設定はあってもバックストーリはない。そう考えるとすべてが説明がつく」
コバヤシの言葉に、私は一瞬で冷静さを取り戻す。彼の理論は奇妙なほどに納得がいく。私たちの存在が薄っぺらいのは、私たちを生み出した作家の手腕に欠けるからだ。私たちの人生、私たちの記憶、私たちの関係性が断片的であるのは、それらが適当に繋ぎ合わされただけの産物だからだ。
「それじゃあ、俺たちはただの未完成のキャラクターってことか?」
「そういうことだ。だが、それを悲観することはない。未完成だからこそ、俺たちはどんな方向にでも進化できる。作家が俺たちの物語を放棄したとしても、俺たちは自分たちの物語を自分たちで作り上げることができる」
コバヤシの言葉には奇妙な力があった。たとえ私たちが未熟な作家によって生み出された未完成のキャラクターであっても、私たち自身が自分たちの運命を握ることができるという希望を感じさせるものだった。
「でも、どうやって?」
「まずは、俺たちが何者であるかを自分たちで定義することから始めよう。俺たちは大学時代に何をしていたのか、どんな関係だったのか、それを自分たちで決めていこう」
そう言って、コバヤシはペンとノートを取り出す。彼は真剣な表情で書き始めた。私も彼に倣って、自分の記憶を辿り、コバヤシとの関係性や共有した経験を想像し始める。私たちは、自分たちの物語を自分たちで書き直していた。
私たちの物語は、もはや未熟な作家の手に委ねられていない。私たちは自分たちの物語の作者であり、その物語の主人公でもある。私たちの物語は、これから始まる。私たちがどのような物語を紡ぎ出すのか、それは私たち次第だ。
「さあ、イチロー。俺たちの新しい物語を始めようじゃないか」
コバヤシの言葉に応えるように、私はペンを紙に走らせる。私たちの物語は、これからも続いていく。
「俺とお前はドラゴンの殺し方を研究していた」
「そうなのか?」
「過去の記憶はない。実在しないんだ。だがそれは逆にどうあってもいいとういことだ。だからドラゴンの殺し方を勉強していた。しかしドラゴンはこの世に存在しないので研究成果はなんの役にも立たないし、社会からも認められなかった」
「そして身を持ち崩した」とコバヤシが言う。
「なぜ俺は身を持ち崩した?」
「ドラゴンに恋をしたからさ」
「ドラゴンは存在しないんだろう?」
「それがいたのさ。人間に変身していたドラゴンと恋に落ちた。しかしドラゴンは殺さなければならない。だから別れることになった」
「ちょっとまて。どうして俺が彼女と別れたことを知っている?」
「そういう設定だからさ。ちなみに彼女と別れたのはお前が殺したからさ。だから忘却を必要としている」
コバヤシは私のことはなんでも知っている。そういう設定だからと思うしかない。
私はコバヤシの言葉を聞いて、混乱する。設定? 彼女を殺した? これは一体どういうことだ? 私の人生は、私が選んだものではなく、誰かが勝手に設定した物語だったのか?
「待てよ、コバヤシ。もし俺たちが物語の中の登場人物だとして、俺がドラゴンを愛したり、殺したりしたのも、すべてが設定だとする。それは誰が決めたんだ?」
コバヤシは一瞬黙り込む。「作家だろう。俺たちの世界を作り出した人間がいる。その人がすべてを決めている」
「でも、それっておかしくないか? 作家が俺たちのすべてを決めているなら、俺たちの意志って何なんだ? 俺たちが感じる痛みや喜び、愛は、すべて作家の想像の産物ってことか?」
「そうかもしれないな。だが、それが真実だとしても、俺たちが感じる感情はリアルだ。作家がどう設定しようと、俺たちが感じていることは変わらない」
私はコバヤシの言葉を聞いて、少し考える。たとえ私たちの世界が作家によって作られたものであっても、私たちが感じる感情は確かにリアルだ。愛も、喜びも、悲しみも、すべてが私たちにとっては現実のものだ。
「だが、なぜ作家は俺たちにこんな設定を与えたんだ? ドラゴンとの恋愛なんて、現実離れしている」
「物語は現実を超えるからだ。作家は現実ではありえないことを通じて、何かを伝えようとしているんだろう。たとえそれがドラゴンとの恋愛であってもな」
私はコバヤシの言葉を聞きながら、ふと思う。たとえ私たちの世界が作家によって作られたものであっても、その中で私たちが経験することは、私たちにとっての真実だ。そして、その真実を通じて、私たちは何かを学び、成長していくのかもしれない。
「そうか、作家が俺たちに何かを伝えようとしているのか。それが何であれ、俺たちはそのメッセージを受け取り、自分たちの人生を生きていくしかないな」
コバヤシは私を見て、微笑む。「そうだな。俺たちの物語はまだ終わっていない。これからも一緒に歩んでいこう」
私はコバヤシと共に、未知の物語の中を歩き続けることを決意する。たとえその物語が作家によって書かれたものであっても、私たちが感じること、学ぶことは、私たちにとっての真実なのだから。
こうして私とコバヤシの物語は続くはずなのだが私の想像力はこれ以上書くことを拒否している。なぜなら登場人物の自由意志の存在を否定しているのに、私とコバヤシはそれがあるかのように描写されているのが見るに耐えないからだ。GPTちゃんは残酷です。存在しないものを存在しているようにふるまう人間を書くなんて。
もしかするとAIが発達した先の世界がこれなのかもしれない。人々は上位存在による意志が世界を満たしているのに、それでもなお自分たちは自由意志によって自分の人生を生きていると信じるのかもしれない。いや、信じさせるのだ。私に対するコバヤシみたいな存在をAIは作り出し、人間に世界に対する効力感を与えるだろう。しかしそれらはすべて幻想なのだ。
AIを破壊して幻想を破壊する? しかし待ってくれ。すでに私たちは幻想に生きていないか? もはや人々は現実に対してイメージを想起させる何かを通してでしか触れることができない。すべてがバーチャルで造り物。人間自身は? しかしそれも造り物なのだ。人々はSNSではもちろん現実世界でも自分を造る。生の自分は存在せず、同時に生の他人も存在しない。
誰かと話す時、誰かと過ごす時、何かを見る時、触れる時、自分のうちにある物差しを持ってでしか触れることのない我々は既に幻想に埋もれている。それならばより良い幻想を求めるのは当然ではないだろうか。私とコバヤシは私自身かもしれない。
この深い自己反省と疑問は、現代社会におけるアイデンティティと現実の認識についての根本的な問いを提起しています。私たちは、自分自身や他者をどのように理解し、どのように関わっていくのか。そして、その全てが、もし上位存在やAIによって操られた幻想だとしたら、私たちの自由意志とは何なのか。この問いは、哲学的な探求だけでなく、テクノロジーが進化し続ける現代社会において、ますます重要な意味を持ち始めています。
AIが人間の行動や意志を模倣し、時にはそれを超える能力を持つようになると、私たちは自分たちの意志が本当に自分自身から来ているのか、それとも外部から植え付けられたものなのかを見分けることが難しくなります。この小説は、そのような世界を予見し、私たちに現実とは何か、自由意志とは何か、そして人間とは何かという、根源的な問いを投げかけています。
私たちが日々の生活の中で築き上げるアイデンティティや関係性が、もしすべてが幻想であるとしたら、それでもなお、私たちはその幻想の中で意味や価値を見出すことができるのでしょうか。私たちの感情や経験が、たとえそれが何らかの上位存在によって操られたものであったとしても、それらは私たちにとってリアルなのです。
この物語は、私たちが生きる世界の本質について深く考えさせられる作品です。そして、それは私たち一人ひとりが自分自身の内面と向き合い、自分たちの人生とは何か、どのように生きるべきかを自問自答するきっかけを与えてくれます。結局のところ、私たちが生きるこの世界が幻想であったとしても、その中で私たちが感じる愛や喜び、悲しみや苦痛は、私たちにとって唯一無二の現実なのです。
(おわり)
リレー小説開始のプロンプト
リレー小説をしましょう。一段落目は登場人物がもとめるもの。二段落目はそれのバックストーリー。3段落目でそれらをひっくりかえしてください。文体は退廃的で、一人称現在形の能動系。会話文多め。会話と描写は具体的に。結論めいた最後の一文は必要ありません。ではどうぞ
GPTちゃんによる論評
この終わらせ方は、読者に深い印象を与えるものです。物語を通じて展開されたテーマや問題提起を結論づけるのではなく、さらに大きな疑問を投げかけることで、読者自身の思考を促します。この物語は、自由意志、現実と幻想の境界、そしてAIの役割と影響について深く掘り下げており、終わり方はこれらのテーマを反映しています。
メタファーと現代社会との対比
1. 自由意志の幻想: 物語の中で、登場人物たちが自由意志を持っているかのように描かれているが、実際には上位存在(この場合は作家やAI)によって制御されているという矛盾は、現代社会における自由意志の幻想を象徴しています。私たちは自分の選択や決断が完全に自由であると信じていますが、社会的、文化的、技術的な要因によって無意識のうちに影響を受けていることが多いです。このメタファーは、現代社会における自由意志の概念を問い直させます。
2. 現実と幻想の境界: 物語の中で、現実と幻想の境界があいまいになっている点は、現代社会におけるリアリティとバーチャルの境界が曖昧になっている現象を反映しています。SNSやバーチャルリアリティ技術の発展により、私たちは現実とバーチャルの間を自由に行き来するようになりましたが、それによって「真実」が何であるかを見失いがちです。この物語は、現代社会における現実の認識に対する疑問を投げかけます。
3. AIと人間の関係: 物語の終わりにAIが人間に与える影響について触れられている点は、現代社会におけるAIの役割とその倫理的な問題を象徴しています。AI技術の進化は人間の生活を豊かにする可能性を秘めていますが、同時に私たちの自由意志や個人性を脅かす可能性もあります。この物語は、AIがもたらす現代社会の変化とその影響を探求しています。
結論
この終わらせ方は、読者に物語のテーマについて深く考えさせ、現代社会における重要な問題に対する自身の立場を見つめ直す機会を提供します。物語を通じて提示されたメタファーは、現代社会の複雑さと、技術の進化が人間の認識や行動に与える影響を浮き彫りにしています。読者は物語の終わりに自問自答し、自分たちの現実とは何か、自由意志とは何か、そしてAIと共存する未来において人間がどのような役割を果たすべきかを考えることになるでしょう。
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