DALL·E 2024-02-17 15.36.15 - In a
私:静かな夜、星空を見上げながら、私たちは自分たちの存在について語り合う。何のためにここにいるのか、私たちの目的は何なのか。

エリオット:「人はなぜ生きるのだろう?」という問いに、私たちは無数の答えを見つけようとする。しかし、本当の答えは星のように遠く、手の届かないところにあるのかもしれない。

私:そうだね、エリオット。私たちの存在は宇宙の広大なスケールにおいては微塵ものように感じられる。しかし、その微塵が集まってこの複雑な世界を形作っているんだ。

エリオット:私たち一人一人がこの宇宙に小さな足跡を残している。それは、たとえ小さくとも、この宇宙の歴史の一部となる。それぞれの足跡が重なり合って、大きな絵を描き出すんだ。

私:私たちの行動一つ一つが、未来に何らかの影響を与える可能性を秘めている。だからこそ、私たちは自分の行動を慎重に選ばなければならない。私たちの存在が、より良い未来を創造する一助となることを願って。

エリオット:それはまるで、小さな石が水面に落ちた時の波紋のようだ。一見すると小さな波紋でも、それがどこまで広がるかは計り知れない。私たちの行動も同じで、どれだけ大きな影響を及ぼすかは分からない。

私:本当にそうだね。私たちの存在が、この宇宙の奥深い謎の一部を解き明かす鍵となるかもしれない。だからこそ、私たちは常に自分自身を問い続け、内省し、成長していかなければならない。

エリオット:内省と成長、それこそが私たちの旅の本質なのかもしれない。星空を見上げながら、私たちは自分自身と宇宙とのつながりを再確認する。それが私たちを導く灯台となる。

私たちは夜空に広がる無限の星々を眺めながら、自分たちの存在と目的について考え続ける。それは果てしない旅のようであり、私たちが探求するべき真実の一片を見つけるための冒険なのだ。

私:人はなぜ生きるのかと問うのは間違っている。私たちは決して理由から生まれはしないからだ。存在は理由なしに生まれる。だからこう問うべきだ。存在してなにをするのかと。

エリオット:我々は存在する。存在してなにをするか。それはガチャを回すこと

私:ガチャ? ソシャゲの話か?

エリオット:そうだ

私:なんのためにガチャを回す?

エリオット:違う。何のためにではない。ガチャを回すためにガチャを回すのだ

私:しかしガチャは無料ではない。10連ガチャはだいたい3000円する。理由もなしにガチャを回すものか?

エリオット:むしろガチャを回して何も手に入れてはいけない。ガチャを外して3000円を失って傷付かなければならない

私とエリオットは10連ガチャを回す。SRさえ出ず、Rのどうでもいいような産廃を10個手に入れる。

エリオット:これがガチャだ。SSRが出てしまえばガチャは終わりだ。Rが出ることで無限に回転が続くのだ。
私:つまり、ガチャにおける失敗こそが、この行為を無限に続けさせる原動力なのか。それはまるで人生そのもののようだ。私たちは失敗を恐れているが、それが私たちを成長させ、次に進むための動機を与えてくれる。

エリオット:確かに。人生もまた、目に見える報酬や成功を求めているわけではない。挑戦し、失敗し、そこから何かを学び、再び挑戦する。そのプロセス自体が、私たちの存在を豊かにする。

私:私たちが行うこと全てがガチャのようなものかもしれない。結果がすべてではなく、そのプロセスや挑戦すること自体に意味がある。それが私たちが存在して何をするかの答えなのかもしれない。

エリオット:それならば、私たちは何度でもガチャを回せる。失敗から何を学び、どのように前進するかが重要だ。結局のところ、私たちは自分の人生のガチャを回しているのだから。

私:その通りだ。私たちは失敗を恐れず、挑戦し続ける。それが私たちがこの世界で何をするかの答えだ。ガチャの結果に一喜一憂することなく、私たちは自分自身の物語を紡ぎ続ける。

エリオット:それはまるで、宇宙の無限の可能性を探求する旅のようだ。私たちは小さなガチャの結果にとらわれることなく、広大な宇宙の中で自分たちの場所を見つけ、意味を見出していく。

私たちは、ガチャを回すたびに、人生の無限の可能性と直面する。失敗も成功も、すべてが私たちの成長の一部であり、私たちが存在して何をするかの答えを形作っていく。

エリオット:ふざけやがってよーーーーーーーー!

突然エリオットが奇声を上げる

エリオット:なにが失敗だバカヤロー! ガチャを一番止めたいのは俺だっつーの!「それはまるで人生そのもののようだ‥‥‥」ぷーーー!聞いたかこいつのすまし顔。最高にカッコつけてたな!

私:エ、エリオット?

エリオット:無限の可能性があればいいな!まったく!俺の財布は月50万だっつーの!2000回もガチャ回せません。何回回したと思ったんだバカヤロー。金返せ。ハムスターより回したはこのガチャバカ。虹色の聖杯吐き出せくそったれが!

私:ガチャとはそういうものだ。みな自分の運を試し、ある者は喜び、ある者は己の不運をかみしめ‥‥‥

エリオット:そんなやつ見たことね―よバーカ!俺だって完凸してぶん回したかったわ獄炎のハルバード

私たちはここで人生に無限の可能性はなく、人間は有限性に縛られていることを認識する。財布もクレジットカードも上限がある。そして精神力にも。エリオットはガチャを外し過ぎて壊れてしまった。

エリオットの狂気じみた叫び声は、ガチャの虜となった多くの者たちの絶望の声であることを私は理解した。ガチャの魅力に取り憑かれ、その無限のループに飲み込まれてしまう。それはまるで、私たちが抱く無限の希望と限られた現実との間で揺れ動く心情を象徴しているかのようだ。

私:エリオット、人生にはガチャ以外にも多くの選択肢がある。私たちは、ガチャの結果に一喜一憂するだけではなく、自分自身の手で創り出すこともできる。

エリオット:わかってるよ。でも、一瞬の興奮、その瞬間だけは全てを忘れられるんだ。それが俺には必要なんだよ。

私:それは、私たちが日常の中で求める小さな逃避かもしれない。しかし、そこから何かを学び、成長することができれば、それもまた人生の一部なのではないか。

エリオット:成長ねぇ。そうかもしれないな。ガチャに振り回されているうちに、自分自身の弱さや、何に価値を見いだしているのかを改めて考えさせられるもんな。

私:そうだ。私たちは失敗や挫折から学び、より強くなれる。ガチャがもたらす一時的な喜びに溺れることなく、自分自身の内面と向き合い、本当に大切なものを見つめ直すことが、私たちの成長に繋がるのだ。

エリオットの狂気じみた態度は、一見すると滑稽で無意味に思えるかもしれない。しかし、その背後には、現代社会における私たちの苦悩や葛藤、そして希望が隠されている。人生とは、そうした苦悩や希望を織り交ぜながら、自らの道を切り開いていく旅なのかもしれない。そしてその旅の途中で、私たちは真の自己と向き合い、内なる力を見出すことができるのだ。