「モダンの街角で、私は出会った。全てが整然として、未来への希望に満ちていた。」
スチームパンクな雰囲気が漂う街、それが私たちの出発点だ。機械と人間が共存し、未来への一歩を踏み出そうとしている。しかし、その未来への道は一直線ではない。
「しかしポストモダンの混沌へと突入した時、全てが崩壊した。定義は意味を失い、真実は多様性の中で紛れた。」
私たちは道を見失い、迷宮のような街をさまよう。建物は奇妙な形をしており、道は予測不能な方向へと曲がっている。どこに行けばいいのか、何を信じればいいのか、わからない。
「だが、メタモダンの光が見えた時、私たちは理解した。融合と対話、そしてバランス。」
街は変わり、新しい風景が現れる。モダンとポストモダンの要素が混ざり合い、新たな価値を生み出している。街角には、過去と未来、秩序と混沌が共存し、対話を重ねている。
「私たちの旅は終わらない。常に新しい形を求めて、進化し続ける。それが、メタモダンの冒険だ。」
物語はここで終わらない。私たちは常に新しい発見を求め、未知の領域へと足を踏み入れる。モダンからポストモダン、そしてメタモダンへ。私たちの冒険は続く。
メタモダンなんてまだ存在していない。それはモダンへの回帰かポストモダンへの開き直りでしかない。私たちは立ち止るか引き返すしかない。
モダンへの回帰は力強い。なぜならそれは大きな物語を提示するから。たとえ古臭くても私たちはそこに一種の安らぎを感じ、自分という存在を包んでくれる。
それに比べてポストモダンは冷たく空虚だ。全てのことが相対化され冷笑される。自分でさえ例外ではない。切り貼りされた断片、ループする自己参照。ここが最前線と浮かれていられるなら幸せだが、この馬鹿さ加減は自覚的になるほど絶望する。ポストモダンは私たちをどこへも連れて行かないのだ。
「全てが無価値化され、定義づけされずバラバラになっていく。分断ではなく解体だ。それは解体する者自身さえ解体される。そうして残ったのは方向性のないカオス。そしてよみがえる過去の遺物」
文学だけではない、哲学、政治、社会が確かな過去へと、モダンへと回帰する。
もし私がメタモダンを提示できるなら、それはブルーオーシャンだろう。メタモダニストとして小説を書くんだ。私は無根拠にそれが書けると信じる。
しかし、その信念は空回りする。メタモダンを追求すること自体が既にポストモダンの落とし穴かもしれない。メタモダンを定義しようとする瞬間、それはポストモダンの一部となり、新たな概念として成立する前に既存の枠組みに取り込まれてしまう。
「新しい概念を追求することは、既に始まっている物語の中で迷子になることだ。」
私はパソコンの前で立ち尽くす。キーボードに手を伸ばすが、何を打ち込めばいいのかわからない。メタモダンを超える物語、それは一体どんな物語だろうか。
「もしかしたら、私たちが求める答えは物語の中にはないのかもしれない。」
物語の外、現実世界での生き方、考え方にこそ、新たな物語の種があるのかもしれない。メタモダンを超えた先にあるもの、それはもしかすると、私たち自身の日常の中に既に存在しているのかもしれない。
「だからこそ、私たちは物語を超えた場所へと足を踏み出さなければならない。」
そんな思いを胸に、私は再びキーボードに手を伸ばす。今度は物語を書くのではなく、物語を超えた何かを探るために。
(続くかもしれないし、続かないかもしれない。それがメタモダンの冒険だ。)
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