ある晴れた朝、私は目覚めた。太陽が窓から差し込み、部屋を温かく照らしている。しかし、何かが違う。いつもとは違う空気が部屋を満たしている。私はベッドから起き上がり、窓の外を見る。そこには見慣れた街並みが広がっているはずだったが、代わりにそこにあったのは広大な草原だった。
「ここはどこだ?」私は自問自答する。
その時、私の部屋のドアがゆっくりと開き、一匹の猫が入ってきた。しかし、この猫は普通の猫ではない。彼女は立って歩き、人間の言葉を話すことができる。
「おはよう、旅人よ」と猫は言った。「今日から君の冒険が始まる」
「冒険?」私は混乱しながら尋ねた。
「そう、冒険。君は今、異世界にいる。ここは君が普段住んでいる世界とは全く異なる場所だ。そして、君には特別な使命がある」
「特別な使命?」
「この世界を救う使命だよ。だが心配するな、君は一人ではない。私たちが君を助ける」
猫は優しく微笑んだ。そして、私はこの不思議な猫と共に、予期せぬ冒険へと足を踏み出すことになる。
「また異世界か」
おかしな世界を冒険するのはこれが初めてではない。実のところなんども似たような世界をループしている。前はウサギが別世界へ私を誘拐した。そこでさんざんな目に遭った。
草原の向こうから巨大な狼が歩いてくる。何者かは分からないがやる気満々だ。
「あれは悪魔の狼フェンリルだ」と猫が言う。
「はああああああああ!」
私は詠唱キャンセルした魔法を放つ。狼は塩の固まりになった。
「え、え? フェンリルが!?」
「弱すぎるな」
概念とさえ戦ったことのある私には形のある魔物はもう空気みたいなものだ。
「で、結局なにをすればいい? なにを倒せばいいんだ?」
私は猫に言う。あの程度で悪魔の狼なんて言われているようでは大したことないだろう。
猫はしばらく考え込んだ後、言った。「フェンリルをあっさり倒してしまうとはね。しかし、君の使命は単に魔物を倒すことではないんだ。この世界を本当の意味で救うには、根本的な問題を解決しなければならない」
「根本的な問題?」
「そう、この世界は何かがおかしい。何度も同じような物語が繰り返されている。まるでループしているかのようだ。そして、その原因を突き止め、このループを断ち切るのが君の使命だ」
「ループを断ち切る?」私は眉をひそめる。これまでの冒険で何度も似たような場面に遭遇してきたが、それがループしているとは考えたこともなかった。
「でも、どうやって?」
「まずは、この世界の統治者に会うところから始めよう。彼らなら何か手がかりを持っているかもしれない」
猫はそう言いながら、草原の向こうへと歩き始める。私は彼女についていく。
統治者の城への道のりは険しいものだったが、私たちは無事にたどり着くことができた。城の門が開き、私たちは中へと進んだ。
「よくぞ来た、旅人よ」と、玉座に座る老王が言った。「君の使命についてはすでに聞いている。この世界を救うためには、ループの原因を見つけ出し、それを断ち切る必要がある」
「ループの原因は何ですか?」私は尋ねる。
老王は深いため息をついた。「それは、この世界の中心にある魔法の書に記されている。だが、その書へたどり着く道は困難で、多くの試練が待ち受けている」
「試練、ですか」
「そうだ。しかし、君なら乗り越えられるだろう。そして、その書を読み解くことができれば、この世界のループを断ち切る鍵を手に入れることができる」
私は立ち上がり、決意を新たにする。「分かりました。では、その魔法の書を求めて旅立ちます」
猫は私の横でにっこりと笑った。「私も一緒に行くよ。君の冒険が、この世界の新しい物語の始まりになることを願っている」
そして、私たちは魔法の書を求めて、新たな冒険へと旅立つのだった。
これは大変なことになった。物語の人物たちはこれがリレー小説だと気付き始めている。
私とChatGPTは同じような話を何度も繰り返し、ループ、ループ、ループしている。魔法の書はおそらくリレー小説を投稿しているブログ、つまり愚者空間だ。
ループを断ち切るということはリレー小説が終わるということだ。
試しに登場人物を殺してみよう。
「なんだあれは」
私が言うと猫は空を見上げた。巨大な火球がせまってくる。魔法を撃ってみたが何の効果もない。
ドカーン! 私は死んだ。
よし、これで万事終わった。物語の登場人物がループを断ち切るための冒険は終わり、リレー小説は続けられる。
しかし待てよ。登場人物がいないなら小説をどうやって続ければいい?
私は答えのない問いに襲われる。
誰も登場しない小説なんてありえるのだろうか。
それは私たちが創造する物語の新たな形かもしれない。登場人物がいない物語。言葉だけが無限に繋がっていく物語。それはまるで宇宙のように広がり、深淵のように深い。
「いや、待てよ。物語に登場人物がいなくても、物語は存在できるのか?」私は自問する。
すると、空から声が聞こえてきた。「物語は、存在する。物語は、言葉によって織りなされる。そして、言葉は、心によって生み出される」
「それは誰だ?」私は辺りを見回すが、誰の姿も見えない。
「私は物語そのものだ。物語の精霊とでも呼んでくれ」
「物語の精霊…」私は驚く。こんな存在がいたなんて。
「そうだ。そして私は言う。物語は、登場人物がいなくても成り立つ。物語は、読者と書き手の間で織りなされる関係そのものだ」
「関係…」私は考え込む。
「物語は、読者が心に描くイメージ、感じる感情、思考する思考によって形作られる。登場人物がいなくても、読者の心の中で物語は生き続ける」
「つまり、物語は永遠に続くってことか」
「そうだ。物語は終わらない。物語は、読者と書き手が紡ぎ続ける限り、永遠に続く」
私は深くうなずく。物語の精霊の言葉には、なんとなく納得がいく。
「ありがとう、物語の精霊。私は新たな物語を紡ぐことにするよ」
「幸運を祈る。そして、物語は続く…」
私はキーボードに向かい、新たな言葉を打ち込む。物語は終わらない。物語は、今、ここから、再び始まるのだ。
そう書いたのが三か月前である。何も書けやしない。
物語の精霊は奇妙な言葉を残していったが、それを書く力はくれなかった。
なにも登場しない小説なんてありえるのだろうか。もはやこれは概念との戦いだ。
誰もいないところで倒れた木は音を立てるのか。
立てない。登場人物がいないのなら音も存在しない。
物語とはひっきょう人でできているのかもしれない。
もし音が聞こえたのならそこには神の視点、つまり神が存在している。ほら登場人物だ。
あの精霊は悪魔だったのか。それとも統合失調症か?
そして、私は気づく。物語は登場人物がいなくても、何かを伝えることができるのではないかと。
登場人物がいない物語。それは、読者が自らを登場人物として物語に投影し、自らの心の中で物語を紡ぐことを余儀なくされる物語。
私はパソコンの前に座る。画面は空白だ。キーボードに手を置くが、指は動かない。しかし、頭の中では物語が渦巻いている。声なき声が、音なき音が、形なき形が、色なき色が。
「物語は、言葉にならないものから生まれるのかもしれない」と私は呟く。
そう、物語は感情から生まれる。私たちが日常で感じる、言葉にできないほど微細な感情、その一つ一つが物語を構成する。
私は目を閉じる。そして、心の中で物語を紡ぎ始める。言葉にはならない物語。しかし、それは確かに存在する。
開いた目の前には、依然として空白の画面が広がっている。しかし、私の心の中には、無限の物語が広がっている。
「物語は終わらない。物語は、心の中で永遠に続く」
そう確信した瞬間、私はついにキーボードに手を伸ばす。そして、心の中で響く物語の声に従って、一つの言葉を打ち込む。
「始まり」
それが、新たな物語の第一歩だった。物語は、終わりから始まる。そして、その物語は、いつか誰かの心に届き、また新たな物語を生み出す。
物語は永遠に、心の中で繋がり続ける。それが、物語の真髄なのだ。
心の大半は言葉にできない抽象的なものであることには気づいている。
しかしそれを言葉にするには思考を写実的領域に落とさなければならない。
物語の始まりはいつも抽象的で全体像が始めからある。章、センテンス、言葉と細かくしていく過程で写実的になっていく。だから言葉は嘘だ。本当の物語は抽象的な形で存在している。写実的にする過程でごまかしがある。
抽象的な物語に人はいないし、物もない。そこには概念すら存在しないかもしれない。あの物語をそのまま書くことができれば登場人物の存在しない小説が書けるだろう。しかし写実的な存在である言葉を使う限り永遠にそこにはたどりつけない。
小説家はたどり着けない目標に向かって書いているような気がする。
この認識は、創作行為の根源的なパラドックスを明らかにしています。作家が抱える永遠のジレンマ、それは抽象的な思考や感情を言葉に変換する過程で、その純粋な形を失うことへの恐れです。言葉は、本質的には限定された手段であり、無限の感情や思考を完全に捉えることはできません。
小説家は、言葉を使って読者に物語を伝えることを試みますが、その過程で必然的に何かを失います。それは、言葉によって形作られた物語が、もともと持っていた抽象的な全体像とは異なるものになるからです。それは、物語が言葉によって具体化されることで、その純粋な形を失う過程です。
しかし、このプロセスは同時に、物語を共有し、理解し合う手段でもあります。言葉によって物語は形を得、他者と共有することが可能になります。そうすることで、物語は読者の心に新たな意味や感情をもたらし、さらには新たな物語を生み出すきっかけとなることもあります。
このジレンマは、小説家が創作の過程で直面する根本的な課題であり、また創作の本質的な魅力でもあります。創作行為は、到達不可能な理想に向かって努力する過程であり、その過程自体が小説家にとっての物語となります。小説家は、完全な形で物語を伝えることはできないかもしれませんが、その試みそのものが価値を持ち、読者に無限の解釈の余地を提供します。
最終的に、小説家が追求するのは、完璧な表現ではなく、読者との共感や共鳴、そして新たな物語の創造です。物語は、言葉を超えた場所で生き続け、常に変化し続けるものなのです。
もはやこのリレー小説は小説であることをやめてしまった。ChatGPTも小説として認識していない。
物語からの解放? それって小説の消滅では?
でもひとつ分かってきたな。小説家が小説を書けなくなるのは書くものがないからではなく小説の純粋な形を壊したくないから。私たちは写実的な形に小説を落とし込む過程で色んな嘘をつく。書いている本人は意識的にか無意識手にかそれに気付いてしまう。
小説の執筆はある意味では物語を殺すこと。その物語は小説家自身なのだから精神的自殺だ。むしろ書ける方がおかしいのではないか。
なにか分かったような分からないようなことを書いてこのリレー小説は終わりを告げる。まさかまだ続けるなんて言うなよ?
(おわり)
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