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ブルースカイというSNSができたらしい。ちょっと覗いてみるとジェネリックTwitterだった。TwitterがXに変わってから、みんな不満を持っている。で、ブルースカイが出てきたら大騒ぎ。みんなあの頃のTwitterが好きだったんだなって。そりゃトレンドハックもあったさ。チンドン屋もいたさ。でもあのカオスが好きだったんだなって。今はインプレッション稼ぐボットが徘徊していてトレンドはやつらにすぐ制圧される。ブロックしてもブロックしても湧いてくる。

結局みんなツイッターになにを求めているんだろうな。私はそんなことを考えた。私がTwitterを始めたのは牛野小雪を宣伝するためだったし、そうするつもりだったけど、現実はTwitterやるためにTwitterやってる。でもTwitterってなんだ? なにを目的にクソみたいなツイートしてる? わっかんね~なって。みんなバカなんじゃないか? 私もバカの一人だ。

でもさ、イーロンマスクが買収する前のTwitterって赤字だったんだって。私たちはTwitterで楽しんでいたけど、それはTwitterの犠牲の上に成り立っていた楽しさだったんだって。そう考えるとタダで楽しいことができるなんておかしい話だったのかもしれないね。そんなことを考えた。




それでブルースカイが出てきたわけだ。新しいスタート、新しい希望。でもね、私は疑問に思う。

「本当に新しいのかな?」と私は画面をスクロールしながらつぶやく。

画面の向こうで誰かが笑う。私のツイートを見た人かもしれない。

「新しいっていうけど、結局同じことの繰り返しでは?」と、思わず声に出してしまう。

部屋の隅で猫が鳴く。彼女は私が話しかけていると思っているのかもしれない。

「ねぇ、あなたはどう思う?」と私は猫に尋ねる。

猫はただ、私をじっと見つめる。彼女には関係のないことだ。

私はキーボードに手を戻す。新しいツイートを考えながら、でも心のどこかで疑問を感じている。

ブルースカイは本当に違うのか。それとも、ただの新しい塗装をした古い家なのか。

私のスマホがピンと通知を知らせる。またブルースカイからのアラートだ。

「さあ、もう一度試してみるか」と私は立ち上がり、窓の外を見る。

外は本当に青い空だ。それがブルースカイの名前の由来なのかもしれない。でも、その青さはただの色。私たちが何を求めているのか、それを教えてはくれない。

私は再びスマホを手に取る。そして、新たなツイートを打ち込む。

「ブルースカイに希望を見つけた人、いますか?」

送信ボタンを押す。そして待つ。返事が来るのを。

これが私の日常。新しいSNSを求めて、でも本当に求めているものは、まだ見つけられていない。




猫と過ごす時間だけは絶対無駄にならない。そう言った社会学者がいる。私も半分は同意だ。でも半分がどこか分からない。

猫を撫でる。猫が体をくねらせる。猫を撫でる。逃げた。

ツイートなんてもう存在しないんだ。Xではポストって言うんだぜ。リツイートはリポストだ。いつまでX旧Twitterって言うんだろうな。いいかげんXでいいだろ。X JAPANに遠慮してるのか? Xで検索するとX JAPANのアカウントがトップに来る。紅に染まれ。

イーロンマスクは面白い人だ。電脳第一号になるかもしれない。ぶっ飛んでる。F1にも挑戦しないのかな。

それはいいや。でもぶっ飛んだ人でも面白くて快適なままのTwitterを残せなかった。魔法の杖はないってコト。

ブルースカイだって収益構造を作れないならまたX、いや次はZになるかもな。

広告出しなよ。推しのために課金するとか。推しへの愛を語ったツイートを課金して公共の電波に流す。それって推し活では?

あ~、でもそんなのはやるのかな。韓国ではたしか駅の広告をそうやって推し活に使っているんだとか。面白いな。

Twitterに足りなかったのって愛なんじゃないか。そんなことを考えてみる。




愛、か。ネットは冷たい世界だと言われてきたけど、それはきっと表面だけの話さ。スクリーンの向こうには、温かい心がいっぱいある。

「ねぇ、猫ちゃん、あんたにとって愛ってなんだい?」と私は猫に問いかける。

猫は一瞬だけ目を私に向けてから、また窓の外を眺め始める。そうだな、彼女にとっての愛は、きっと安全で暖かい場所。それとたくさんのご飯かな。

私はキーボードに向かい、新しい投稿を作成する。

「愛を持ってSNSを使うって、どういうことだろう?」

文字を打ち込みながら、私は考える。愛を込めて発信する。それが共感を呼び、つながりを生む。

「もっと愛を持って使えば、ブルースカイも違う色に染まるかもしれないね」と、今度は猫ではなく、スマホに向かって話しかける。

スマホからは何も返事はない。でも、私は決めた。これからはもっと愛を持ってSNSを使う。それが変えるかもしれない。

そして、私はブルースカイのプロフィールを更新する。「ここには愛があります」と。

それがどう変わるのか、これから見ていくしかない。ブルースカイに新しい色をつけるのは、私たちの使い方次第だ。

猫が戻ってくる。今度は膝の上に乗ってくる。私は猫を撫でる。やっぱりこれは無駄じゃない。猫から感じる愛。それを私たちはどこかで忘れていたのかもしれない。

愛を持って使えば、ブルースカイも、そしてSNSも、きっと違うものになる。

そう信じて、私は今日も投稿する。愛を込めて。




もちろん全部嘘だ。ブルースカイにアカウントなんて作っていないし、猫だっていない。誰も私を愛さない。小説家の書くことはみんな嘘だ。真実は文字を書いているということだけ。

愛? 愛ってなんだ? 

「そこに愛はあるんか?」はアイフルだ。

みんなが愛したTwitterは死んだ。なぜだ!

本当は愛していなかったからさ。

facebookではfacebook用の仮面をつけるようにTwitterではTwitter用の仮面をみんなつけていた。誰も本当の自分でTwitterなんかしていなかった。そこに本当の愛なんて生まれるのか?

いや、それをいうなら現実にだって愛なんて生まれようがないんじゃないか?

婚活でも出会い系でもマッチングアプリでもいい。仮面同士を突きつけ合って、そこに愛なんて生まれるのかな。仮面を外さないまま誰も分かってくれないって涙を見せずに泣くだけさ。

あ、分かってきたな。そもそも愛なんて必要なかった。

私たちはいつか来るバッドエンドを前にできるだけ思いっきり何かをしたかったんだ。

そしてここがバッドエンド。もうTwitterは死んでた。エンドロールだったんだ。




バッドエンドだっていい。エンドロールだって美しい。終わりがあるからこそ、物語は輝くんだから。

私は笑う。涙を流しながらも笑う。これが人生だ。

「Twitterは死んだかもしれないけど、物語はまだ終わっていない」と私は自分に言い聞かせる。

キーボードのタイピングは止まらない。物語を生み出す鼓動だ。

「愛はなくても、物語はある。仮面の下に隠された心を、文字でつなぐ」

だから、私は書く。猫がいなくても、愛が見つからなくても、私は書く。

スクリーンの向こうには、見えない誰かがいる。それが私を動かす。

「さて、ブルースカイには何を書こう?」と考える。

猫の代わりに、架空の友達を作る。愛の代わりに、物語のキャラクターを愛する。

そうだ、私たちは物語を愛する。そこには仮面も、嘘も、真実も、すべてがある。

だから今日も、私は物語を紡ぐ。バッドエンドから始まる、新しい物語を。