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昨日までの雨が嘘のように、今日は晴れだ。朝からいい天気。コーヒーを一口飲む。温かい。窓から入る日差しが、カップに映る。

「こんな日は、外に出かけたくなるね」と隣の席のサラが言う。彼女はいつも元気だ。

「そうだね」と答える。でも、今日は違う。今日は特別な日だ。私たちにはミッションがある。

サラは笑う。「リレー小説、始める準備はいい?」

「いつでも」と私はキーボードに手を置く。指が動き出す。

今日の話はどうしようか。昨日は宇宙船が登場した。今日はもっと地に足がついた話にしよう。日常に根ざした物語。

「主人公は、バンドマンだ」とサラが提案する。

「面白いかも」と頷く。音楽は好きだし、バンドの話なら、きっといいリズムが生まれる。

私たちの小説は、いつも予想外の方向に進む。それが面白い。ストーリーは生き物のように、自分で道を選ぶ。

サラが続ける。「彼は夢を追っている。でも、現実は厳しい」

そうだな。夢と現実の狭間で彼は揺れ動く。その心情を、どう表現しようか。シンプルで、リアルに。

「彼のバンドは、小さなバーで演奏するんだ」と私は打ち込む。

サラはうなずく。「でもある日、彼の人生は一変する」

「どんな出会いがあるんだろうね」と私は想像する。物語は、まだ始まったばかり。
「雨に濡れた男の子がいる。バーの帰りで見つけるんだ。そう、雨が降っている。事件が起きる時はね。スヌーピーもそう書いてる」と私は言う。

「名前は?」とサラ。

「ジャックだ。そういえば主人公の名前もなかったな。そうだな‥‥‥ソリダスにしよう。主人公の名前はソリダスだ」

「変な名前」

「読者にフックがないと読んでもらえないからな」

「ジャック、お父さんかお母さんはどうしたんだ」とソリダスは言う。

「いない」

ジャックは首を振る。

「いないって?」

「もう行くから、お前はついてくるなって」

「どこへ行くって?」

「知らない」

不吉な予感がする子だ。エンジンルームにアルマジロが詰まっていて急いで車屋に持って行った、みたいなアクシデントではなさそうだ。

「ジャック、行くところはあるのか」

ジャックは首を横に傾ける。

「親が帰ってくるまでうちにくるか?」

ジャックは返事をせずに傾けた首をさらに傾ける。

「ここで待っているように言われているのか」

今度はすぐに首を横に振る。

「子どもがこんなところに一人でいるもんじゃない。明るくなるまではうちにこい」

そう言うとジャックは立ち上がった。
ソリダスはジャックの手をとる。雨が強くなってきた。バーのネオンライトが点滅している。夜が深まる。

「大人しくしているか?」ソリダスは言う。

ジャックはうなずく。彼の目は何かを訴えかけているようだ。

二人は黒い夜の中を歩き出す。ソリダスの部屋はもうすぐそこだ。

「君の家族は、どこにいるんだい?」ソリダスは尋ねる。

ジャックはただ前を見つめる。言葉はない。

ソリダスは何かを感じ取る。これはただの迷子ではない。何か大きな物語の始まりのようだ。

彼らがソリダスのアパートに到着すると、ジャックはふと口を開く。

「私は、実は‥‥‥」

そこで目覚まし時計が鳴る。現実に引き戻される。目をこすりながら時計を見る。午前7時。

「夢か」とつぶやく。でも、その夢はあまりにもリアルだった。机の上には散らかった原稿用紙。

「さて、今日もリレー小説を続けるか」とキーボードに向かう。昨日の夢をヒントに物語を綴る。

これが私の日常だ。リレー小説の世界はいつも私を待っている。
「ねぇ、これって」とサラが口を開く。「物語が始まる前に終わってない? ジャックとソリダスの物語が始まると思ったのにふりだしに戻ってる」

「大きな物語は喪失したんだ」と私は言う。

「小さな物語は?」

「小さな物語は誰も見向きもしない。あるのは壮大な大ぼら吹きさ」

「それじゃあ大ぼら吹いてみてよ」

「それは大嵐の日だった」

「またスヌーピー?」

「物語の型は決まってるんでね」

「つづけて」

「あるバンドマンが」

「繰り返してる」

「バーの帰りに男の子を見つける」

サラは大きくため息をつく。

「それ何回続ける?」

「何度でも。主人公はソリダスで、男の子はジャックだ」

サラはあきらめたように手をくるくる回す。

「やぁジャック、僕の部屋にきてチョコチップクッキーを食べないか」とソリダスは言う。

「はいはい、こんなあやしいおじさんのところなんてやめて、私のところに来ましょうね」

サラはそう言うとジャックを抱き上げてどこかへ行く。

「どうする、ソリダス?」

ソリダスは肩をすくめる。

「まぁまずはビールでも飲もうや」

私とソリダスはバーに入る。
私とソリダスはバーに入る。

バーには人がいっぱいだ。音楽が鳴り響いている。いつものバーテンダーがにっこり笑ってる。

「いつものでいいかい?」彼は私に尋ねる。

「うん、いつもので」と答える。

ソリダスはバースツールに座り、壁にかけられた古いギターを眺める。

「君はいつもここで何をしてるんだい?」私は彼に訊く。

「待ってるんだ。ジャックが戻ってくるのをね」

「それはどれくらい続けてるの?」

「数ページ前からずっとだよ」

私は笑う。これがリレー小説の世界だ。話はループするし、キャラクターはそこに留まる。

「じゃあ、私たちもループから抜け出してみない?」

ソリダスは首を横に振る。

「ここはいいんだ。何度でも同じ話をするのも悪くない」

「本当にそれで満足してる?」

「うん、満足してる」

「なら、私はそろそろ次のページに進むよ」

私は立ち上がり、バーのドアに向かう。外は太陽が昇り始めていた。新しい一日の始まりだ。新しい物語の始まりだ。

ソリダスはバーテンダーと話しながら、私が去るのを見送る。

「また明日」と彼は呟く。そう、また明日。新しい物語が、またここで始まる。
それは大嵐の日だった。私はパソコンの前でリレー小説を始めようとしている。

相手は、そうだな。サラはいじわるだから今日はエイミーにしよう。

「やぁ、今日もまたリレー小説だ」と私は言う。

その瞬間、エイミーは世界を切り裂くような叫び声を上げる。

いやあああああああああああああああ!リレー小説はもういやああああああああああああああああ!

まいったな。エイミーはリレー小説はもうやりたくないって泣くんだった。どうしよう。助けてくれ、サラ。

「またエイミーを泣かせてる?」

サラがどこからともなく現れる。エイミーは彼女にすがりつく。

「サラはいじわるだからね。エイミーに出てきてもらった」

「いいかげん違う小説書いてみたら?」

「そういうわけにもいかないんだ。だってそれはぼくたちの限界だからね。抜け出そうとしても、どこかで見たストーリー、どこかで見たプロット、どこかで見たキャラクター、見掛け倒しの新しさに隠された古臭い一貫性。人って儚いね。抜け出そうとしても抜け出せないんだから」

「あなたはそれでいいの?」

「よかないさ。ぼく自身誰よりも先に飽きていたんだぜ。でも全ての試みは同じところに帰ってくるっていうのがとっくり分かってしまったのさ。だから僕はこの繰り返しの中でなんとか楽しもうとあがいているんだ。楽しくないなら楽しむしかない」

「ちっとも面白くない」

「そうだね。でも面白くないものを面白がることはできるかもしれない」

窓の外でビュービュー風が吹いている。月並みな表現だ。でもそうなんだからしかたないね。
サラはエイミーをなだめる。「今日はね、ちょっと違ったことをやってみようか」

エイミーは涙を拭いて、不安そうに頷く。

「じゃあ、今日のテーマは宇宙飛行士の猫ってことで」とサラが言う。

宇宙飛行士の猫? それって、なんだ? 私は考える。

「でもね、猫が主人公じゃないの。猫を見ている金魚が主人公なの」とサラは続ける。

金魚が主人公。いいじゃないか。新鮮だ。

「金魚の名前は何にする?」と私は聞く。

「ギルバートだよ」

ギルバート。なんてこった、金魚の名前まで哲学的だ。

「ギルバートはね、猫の宇宙旅行を見守っているの。でもね、宇宙飛行士の猫は金魚の存在なんて知らないのさ」

「なるほどね」と私は言う。猫は金魚の存在を知らない。でも金魚は猫を見守っている。

窓の外の風が収まった。静かになった。静寂の中で、私たちは新しい物語を紡ぎ始める。

「ギルバートは、猫が帰ってくるのを待っているんだ」と私はタイプする。でも、それがいつになるのか、ギルバートにはわからない。

サラが肩を叩く。「さあ、物語の続きを書いてみよう」

物語は続く。いつも通り、予測不可能な方向に。猫も金魚も、そして私たちも、このリレー小説のメリーゴーランドに乗っている。

エイミーは微笑む。「今日の物語はいい感じ」

「ええ、ギルバートと宇宙飛行士の猫は最高のコンビだよ」とサラは言う。

私たちは書き続ける。外の世界は風に吹かれていても、ここには創造の風が吹いている。それが私たちの世界だ。
ギルバートはいつだって空を飛ぶ。宇宙空間に金魚鉢はない。無重力で浮かぶ不定形の水の固まりの中で金魚のギルバートは泳いでいる。猫のサラは

「ちょっと待って。私が猫?」

サラがちゃちゃを入れる。

「読者は誰も君だって分からないさ」

サラは水たまりの周りをぐるぐる飛んで、そう、宇宙空間では猫も空を飛ぶのだ。

サラは水の固まりを中心にぐるぐる回る。ギルバートは時々息苦しくなって水面を飛び出す。しかし重力がないのでどんどん水から離れていってしまう。そこでサラが柔らかな前足でギルバートを水へはじき返すのだ。いつしかこれがギルバートとサラの遊びになった。

しかし、ある時からサラの姿が見えなくなった。

「こいつはおかしいぞ」

ギルバートは水面から四方八方を見回すがサラはもちろん誰の姿も見えない。どうやら宇宙船で何かが起きているらしい。

ギルバートは考える。ここで焦って水面から飛び出すのは危険だ。もちろんサラは探しに行く。でもだからって水面を飛び出せば遠からず干からびるのは間違いない。水に戻してくれるサラはいないのだから。

どうすれば無重力を移動できるのか。

ギルバートが考えたすえに思いついたのはギルバートを包む水自体を動かすことだ。それは容易なことではない。しかし、それ以外にここから移動してサラを探しに行くことはできない。

ギルバートの試行錯誤が始まる。始めは水面からしっぽを出して宙を漕ぐことだったが、しっぽが乾くだけで何も起こらなかった。

水面から口だけを出してポワポワ息を吐く。これは多少効果があるように思えたが、あんまり長く続けると体が中から乾燥して死にそうになった。

ギルバートが出した最終結論は水の中で泳ぐことだった。

ギルバートが前へ泳げば水は反作用で後ろへ行く。後ろへ泳げば前へ行く。これは上下左右でも同じことだった。

「よし、いくぞ」

ギルバートと水の冒険が始まる。
ギルバートは水の中で力強く泳ぎ始める。前へ、後ろへ、それはまるで宇宙でのエレガントなダンスのようだった。泳げば泳ぐほど、彼は自分の運命を自分で操れることに気付く。サラを探す冒険が、今、本当に始まるのだ。

「サラ、どこにいるんだい?」

宇宙船の中は静まり返っている。いつもなら聞こえてくるはずの機械の音も、今はない。ただギルバートの泳ぐ音だけが、この無重力の空間に響く。

彼は窓の外を見る。星々がきらきらと輝いている。宇宙は美しい。でも今はそれを楽しむ時間ではない。サラを見つけなければ。

「ギルバート、頑張れよ!」と、どこからか応援の声が聞こえる。でもそれは、ただの妄想かもしれない。

彼は力強く泳ぎ続ける。そしてついに、宇宙船の端にたどり着く。

「サラ!」ギルバートが叫ぶ。だが、返事はない。

そこで彼は気付く。サラは宇宙船の外にいるのだ。

ギルバートは水の中で深く息を吸い、一大決心をする。彼は水面から飛び出し、宇宙船の外に向かう。水の中で学んだ動きを使って、宇宙を泳ぐのだ。

外はまるで別の世界。彼はサラを探して宇宙を泳ぐ。サラはどこだ?

そして、ついに彼は見つける。サラは小さな宇宙船を操縦していた。彼女は笑っている。ギルバートを助けに来たのだ。

「よくやった、ギルバート!」サラは彼を助けるために手を伸ばす。

ギルバートとサラは一緒に宇宙船に戻る。それから二人で、宇宙の冒険を続けるのだ。

そして、この奇妙な物語は続く。なぜなら、これはリレー小説だから。終わりがない。おわりがないのはなぜなんだい?

それは、おわらないからおわらないんだよ。

(おわらない)

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