「おい、また始まったのか?」
私の隣で、猫が話しかけてくる。猫が喋るのももう慣れた。
「うん、始まったよ。またね、この不条理な世界で」
猫はため息をつく。私もため息をつく。ため息がため息を呼ぶ。
「でもさ、この不条理って楽しいと思わない?」
猫は考える。猫が考えるのも珍しい。
「楽しいかもね。でも、意味はないよね」
「そうだね。意味なんてない」
私たちは無意味な世界で無意味な会話を続ける。でも、それが楽しい。
「ねえ、次はどんな話にしようか?」
「空飛ぶ象とかどう?」
「いいね、それ」
突然、部屋の窓から空飛ぶ象が見える。象が空を飛ぶのも、もう慣れた。
「あ、象が飛んでる」
「へえ、本当だ」
私たちは窓から空を見上げる。空飛ぶ象が青空を切り裂いていく。それは美しい光景だ。
「この話、どう終わるのかな?」
「終わりなんてないよ。だって、これはリレー小説だから」
「そうだね。終わりはない」
私たちはまたため息をつく。ため息と象と青空。これが私たちの物語だ。
静かな部屋、静かな時間、静かに流れる思考の川。
象が飛ぶ、空が笑う、私たちは夢を見る。
無意味な言葉、意味のある沈黙、この物語は、永遠に続く詩。
「おわりがないのはなぜなんだい?」
「おわらないからおわらないんだよ」
猫が私の問いに答える。
「どうしておわらないんだい?」
「おわらないからおわらないんだよ」
窓の外で象の声が響く。
リレー小説で繰り返される目的のない物語。私は何回でもここを循環している。
どこかで見た話、どこかで見た猫、象‥‥‥象は久しぶりかもしれない。
昨日はイカだった。イカも珍しいな。でもタコはこの前出てきた。タコとイカは似ているから一緒にしてもいいだろう。
表面的な多様性、変わらない一貫性。何度でも繰り返す自己参照。メタフィクション。
猫はまたしても言う、「おわらない物語は終わらせられない」
私は考える、この輪廻から抜け出せる道はあるのだろうか。
「いい加減にしろよ」と私は猫に言う。
「いい加減が一番悪い加減」と猫は答える。
象は笑い、イカは泣く。タコはただ踊る。
この物語の中で、私はただの観客か、それとも作者か。
すべてが混沌としている。意味などない。でもそれが意味だ。
メタフィクションの海で、私たちはただ漂う。
「終わりよければすべてよし」とはこのことか。
でも、終わりがなければ、すべては始まりに過ぎない。
このリレー小説の終わりに、何を見出すことができるだろうか。
猫も象もイカもタコも、すべては物語の中で生きる。
この繰り返しの中で、私たちは何を見つけることができるだろう。
終わりなき物語の中で、私たちは永遠を見つける。
あれ、これって仏教じゃね?
これを書いている牛野小雪は日本人である。日本といえば仏教である。
仏教なんて葬式と観光地でしか縁がないが、文化の根っこには仏教があるのかもしれない。
「よし、猫。お経を唱えてみろ」
「みょ~みょ~みょ~みょ~」
猫がお経のリズムとアクセントで鳴き声を上げる。
「なにも変わらないな」
だって、お経で解脱できるならとっくにみんな解脱してるだろ?
「それはそうだが、作者が作中の人物に話しかけるな。リアリティラインがぶっ壊れる」
リアリティラインってなんだ?
「普通の小説では作者と作中人物はやりとりしないの!」
へぇ~、しかし解脱できないなら小説は続くぜ。
「な~にが、ぜ、だ。ばかやろー」
リレー小説をしていて牛野小雪は驚く。まさか文化の根っこを発見するなんてな。日本で息を吸っていたら自然と日本的な感性になってしまうようだ。それなら欧米で暮らしていたら救済と復活のストーリーが根っこになるのかな。そんなことを考える。
「こっちの物語にかえってこい」
作中の私に呼ばれて私はまた小説を書く。
そして、物語はまた繰り返す。猫と象とイカ、それにタコ。彼らは私の周りを回り続ける。一つの大きな輪を描いて。でもね、それが悪いわけじゃない。だって、その中に新しい何かを見つけるかもしれないから。
「ほら、見てみろ。この輪の中には無限がある」
猫が指を振ると、空間が歪む。そこには、今まで見たこともない色と形が現れる。
「これが、新しい物語の始まりだ」
象がそう言うと、空中に文字が浮かび上がる。それは、私たちがこれまで紡いできた物語とは全く違う新しい言葉たち。
「でも、これもまた繰り返されるのだろう?」
私は尋ねる。猫はにっこりと笑って、
「そうだね。でも、その繰り返しの中に、常に新しい何かが生まれるんだ」
そうか、繰り返しの中に新しさがあるのか。それなら、このリレー小説も悪くない。
空は今日もピンク色。いや、昨日よりも少しオレンジがかっているかもしれない。毎日が少しずつ違う。それがこの世界の面白さだ。
「さあ、また物語を紡ごうじゃないか」
イカがそう言う。私はペンを手に取る。このペンで、また新しい物語を紡いでいく。
物語は終わらない。でも、それでいい。だって、物語の中には無限の可能性があるから。
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