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始めよう。ここでは普通じゃないことが起こる。私がコーヒーを淹れる。しかし、カップにはインクが溢れる。

「なんだこれは?」コーヒーとインクの区別もつかぬ私。

窓の外、空が緑に変わる。猫が空を飛び、鳥が歩く。逆転の世界。

「今日は何か変だな」と私は言う。隣の家が回転を始める。

友達に電話をかける。「おい、空が緑だぞ」

「それが何か?」彼は平然と答える。

「普通じゃないだろう」と私。

「普通って何?」彼は反問する。

突然、私の部屋に象が現れる。どこからともなく。

「これが普通か?」と私は叫ぶ。

象は微笑む。「普通は退屈だ」

部屋が縮む。壁が迫る。息ができない。

「助けてくれ」と私は叫ぶが、象はただ微笑む。

そこで目が覚めた。夢だったのか。しかし、カップには依然としてインクが。

「現実とは何か?」私は自問する。しかし、答えは来ない。

外はまだ緑の空。でも、もう驚かない。これが私の新しい普通だ。

「さあ、今日も一日が始まる」と私は言う。インクのカップを手に、新しい世界へと一歩踏み出す。
おそらくこれも現実ではない。しかし夢でもない。夢の中で夢とは気付かないものだ。

たぶん私は小説の中にいる。牛野小雪がChatGPTとリレー小説を始めた頃からメタフィクション的に使っているネタだ。とうとうChatGPTから始まるリレー小説でもそれが行われるようになったのだ。

カップのインクを飲む。

ぶはっ!

苦みが口の中を走って、思わず吹き出す。変なところはリアリティを追認している。

困ったね。これが牛野小雪の限界なんだ。いままで味わったことのない味を文字で表現しようとしても、そんな味を想像できない。人間の限界だ。AIがこのへん超えていくんじゃないか?

私は象に乗ろうと試みる。また現実。象は超然として動こうとしない。半分眠ったような目で私を見下ろしている。

「象に乗ろうと思う。それも現実っぽいな」

象に皮肉を言われてしまう。それもそうだ。現実じゃない世界で現実っぽいことをしようとする。すると現実がそれを否定する。

空は緑、いや芝生だった。よく見ると小花も咲いていて、ところどころ白い。あれは雲のメタファーか? 

現実と違うけれど、現実を下敷きにした幻想空間。私はおかしな小説の主人公らしい。
「象よ、君は何を考えているんだ?」私は問いかける。象は答えない。当然だ。

ここはどこだ? 象がそこにいるのに、なぜ私は象に話しかけているんだ?

「そりゃあ、私たちは小説の中だからさ」と隣から声がする。振り返ると、そこにはカエルが一匹。彼は煙草をふかしながら、私を見つめている。

「カエルが煙草を?」

「人間が象に乗るよりはマシだろう」とカエルは言う。彼の言葉には二重の皮肉が込められている。

これが私の現実。いや、小説の中の現実。私はここで何をしているんだろう?

「おい、牛野小雪、これどういうことだ?」私は空に向かって叫ぶ。しかし、返事はない。

カエルがふっと煙を吐き出す。「小説の中で作者に文句を言っても始まらないよ。ここはメタフィクションの海、泳ぎ続けるしかないんだ」

その時、地面が揺れ始める。まるで地震だ。しかし、これは小説の中。何が起こってもおかしくない。

「さあ、物語はこれからが本番だ。どんどん悪くなるから覚悟しろよ」

カエルの言葉通り、空から巨大なイカが降ってくる。イカの足が地面を踏みつけ、建物が崩れる。この混沌とした世界で、私はどう生きていけばいいのだろう?

しかし、これもまた小説の一部。牛野小雪が描く、奇妙な物語の中で、私はただの駒に過ぎないのかもしれない。

(つづく?)
ここで私は考える。私とはこの小説の私ではなく、いまこれを書いている私こと牛野小雪だ。

いったいこの小説はなんだ? 私はなにを書かされているんだ?

どうして自己参照的かつ自己循環的なリレー小説を繰り返しているのだろう。実のところ似たような展開の話をもう何回か書いている。多様性のない世界。それは牛野小雪の想像力のなさをChatGPTを通して自己批判しているようだ。

奇妙な物語の住民たちは時が止まっている。この話にどう決着をつける? リレー小説だ。そう長くは書いていけない。

そうだ。カエル、地震とくれば村上春樹のカエルくん東京を救うだ。カエルがイカを倒す話にしよう。

「どうやら運命が決まったようだな」

カエルは煙草を道に投げ捨てる。

「よし、君は私の頭の上に乗れ」

「えっ」

君は主人公だ。私だけでイカを倒しては小説作法的によくない。主人公は物語に主体的にかかわらなければならない。

「おい、作者が作中に出てくるな」と私は言う。

しかし私がカエルに乗らなければ巨大イカは世界を破壊し続ける。そういう作中設定なのだ。

「よし、いくぞ。カエルくん」

ぐぱっ!

私がカエルに乗ると、あわれにもカエルくんはつぶれて死んでしまった。

「おい、どうすんだよこれ!」

私は困惑する。カエルくんをつぶしてしまった。これは計画外だ。でも、これもまた物語の一部なのかもしれない。

「これは…新たな展開への布石か?」と私は独り言を言う。しかし、周りには誰もいない。カエルくんはもう死んでしまったし、巨大イカもなぜか消えている。

「ここで何をしているんだろう」と私は空を見上げる。空は青く、雲一つない。まるで普通の日常が戻ってきたかのようだ。

「さて、ここからどうしようか」と私は思案に暮れる。この小説、いや、この物語はどこに向かっているのだろうか。そして、私はこの物語の中で何をすべきなのか。

「もしかして、これが答えなのかもしれない」と私はふと思う。物語はいつも完結するわけではない。物語は、読者や作者の心の中で終わりなく続いていくものなのかもしれない。

「終わりがない物語もまた、一つの物語だ」と私はつぶやく。そして、新たな物語を紡ぐために、またペンを手に取る。

この物語は終わりだけど、つづく。物語はいつも私たちの心の中で続いていくのだから。

(おわりだけどつづく)


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