「人生はチョコレートの箱みたいなもの、開けてみるまで中身はわからない」とフォレスト・ガンプは言ったが、彼がゼリービーンについても何か言及していれば、今の私はもう少し心の準備ができていたかもしれない。
とにかく、私はこのゼリービーンをどうにかしなければならない。近所の子どもたちは、これを見たらきっと大騒ぎする。あるいは、地元の新聞に「ゼリービーンの謎」という見出しで大きく取り上げられるかもしれない。
私は一歩前に踏み出し、そのゼリービーンを蹴ってみる。予想通り、それはプルプルと揺れるだけで、場所を変えようとはしない。まるで「私は動かざること山の如し」と言わんばかりだ。
そこでひらめいた。私は家に戻り、最大のスプーンを手に取る。これで、この巨大ゼリービーンを少しずつ食べていくことに決めた。エミリー・ディキンソンが「希望は羽のあるもの」と詠んだが、彼女が「ゼリービーンはスプーンで食べるもの」とも付け加えていれば、私の計画はもっと詩的に聞こえただろうに。
私はスプーンを手に、巨大ゼリービーンに向かう。これから始まるであろう、長く、甘美な戦いに胸が高鳴る。
しかしこのゼリービーン。スプーンを避ける。スプーンの先が触れたかと思うと、プルンと震えて逃げてしまう。
「こいつ生きているみたいだ」
かじりついてみる。しかし嚙み切れない。ぬるっと歯の隙間をすべってプルンと外に出てしまう。
「こいつは一体なんだ?」
「どこからどう見てもゼリービーンさ。ただし特大な」
そう言ったのはディキソンで、私の隣に住む男だ。
「TV局は?」とディキソン。
「まだ。でもTikTokには上げた」
「で?」
「合成だと思われてる、たぶんね」
「見せてくれ」
私はディキソンに動画を見せる。
「たしかに‥‥‥造りものっぽいな。それも安っぽい」
「なぜ?」
「ん、そうか。こいつには影がない」
私はゼリービーンの下を見る。ディキソンの言う通りどの方向から見ても影がない。近くにある車にはちゃんと影はある。太陽の角度のせいじゃない。
「影がないってことは、この世界の物体じゃないってことか?」私は考え込む。ディキソンは、ちょっとした陰謀論者だ。彼はきっと、このゼリービーンが宇宙人の仕業だとか、政府の秘密実験の結果だとか言い出すに違いない。
「宇宙人の可能性も捨てきれないな」とディキソンは言った。やっぱりだ。
「でも、こんなのがどうやって地球に?しかも、なんでゼリービーンなんだ?」私は首をかしげる。
「多分、彼らは人類の文化を研究して、ゼリービーンが地球人にとって重要な意味を持つと誤解したんだろう」とディキソンは真剣な顔で言う。
私は笑いをこらえるのに苦労した。「それなら、なぜ影がないんだ?」
「こいつ、もしかして別次元からの物体かもしれない。我々の世界の法則に従わないから、影ができないのかも」
「ふーん、別次元のゼリービーンか。昼間っから面白いこと言うね」
私はもう一度ゼリービーンに近づき、慎重にそれを観察する。ディキソンの言葉が頭をよぎる。もし本当にこれが別次元からの物体だとしたら、これはただのゼリービーンじゃない。もっと大きな何かの始まりかもしれない。
「もし影がないのが、このゼリービーンの特徴なら、これを活かす方法はないかな?」私はふと思う。「例えば、夜中に忍び込むスーパースパイとか、完璧な隠れ蓑とか」
「君の発想はいつもユニークだな」とディキソンは笑う。「でも、そういう使い道を考える前に、まずはこれが何なのか、どうしてここにあるのかを解明しないと」
「そうだね。でも、どうやって?」
私たちは、この謎のゼリービーンをどう扱うべきか、次の一手を真剣に考え始めた。それが別次元からの贈り物なら、その秘密を解き明かすのは容易ではないだろう。しかしそのプロセスは、間違いなく面白いものになるに違いない。
「ションベンかけてみよう」
「おい、冗談だろう」
ディキソンがパンツを下ろしてさっそくションベンをかける。
「うわっ、きたねっ」
ゼリービーンの表面は球体なのでションベンが360度に飛び散る。
「こいつ悪意があるだろ」とディキソンは言う。
「いや、表面が丸いからだろう」
ゼリービーンには水滴一つついていない。しかし臭い。アスファルトにディキソンのやつのションベンが水たまりになっている。
私は家からホースを伸ばしてゼリービーンを洗う。水道の水をどれだけ強くしても水は360度弾くようだ。
「やっぱり悪意かもな」と私は言う。
「だろ」
「スプーンとか歯だったら形は変わったのに、水だと丸いまま水を弾いている。法則その2だ」
「法則1は?」
「食えない」
これでゼリービーンについてわかったことが二つ。
1.スプーンでも直接かじっても食べられない
2.水をはじく
まったく素晴らしいな。涙がちょちょぎれてくる。
ディキソンの斬新なアプローチにより、ゼリービーンに関する新たな事実が明らかになった。これはただのお菓子ではない。私たちが知る物理法則を無視する何か、もっと深い謎を秘めた存在だ。
「もしや、これはインタラクティブなアート作品かもしれない」と私は考える。ディキソンは私を見て眉をひそめる。「アートとションベンの関連性を説明してくれ」
「マルセル・デュシャンの『泉』を思い出せよ。彼は便器にサインをしてアート作品とした。我々の前にあるこのゼリービーンも、ある種の現代アートなのかもしれない」
ディキソンは一瞬考え込むが、すぐに首を振った。「でも、それにしては変すぎる。なんでゼリービーンなんだ?」
「それがアーティストのメッセージなのかもしれない。日常の中にある非日常、見慣れた形に隠された異常性。このゼリービーンは、我々に対する挑戦状なのかもしれない」
「挑戦状だと?」ディキソンは嘲笑う。「じゃあ、我々はどう応える?」
「研究だ。このゼリービーンから学べることはまだまだある。たとえば、なぜ水を弾くのか、どうして食べられないのか。この謎を解き明かすことが、我々の応答だ」
ディキソンは少し考えた後、頷いた。「いいだろう。だが、もうションベンはやめてくれ。次は何を試す?」
「光だ。このゼリービーンに懐中電灯を当てて、反応を見てみよう」
私たちは懐中電灯を持ち出し、ゼリービーンに光を当てる。すると、ゼリービーンは光を吸収することなく、まるで鏡のように反射した。
「見ろ、これもまた法則だ。光を完全に反射する」
ディキソンは興奮している。「これはただのゼリービーンじゃない。何か大きな発見の入り口に立っているかもしれないぞ」
私たちは、この不思議なゼリービーンの謎を解き明かすべく、さらなる実験を続けることに決めた。まさかこんなことになるとは、朝起きた時には思いもよらなかった。
私はゼリービーンの中に入っていた。本当にそうかは分からない。しかし赤いプラスチックのような膜の向こうに見えるのは、あのゼリービーンがあった道路だ。
膜を叩くとドンドンと音がする。それほど厚くはないが壊して外に出られそうではない。
「大変なことになっちまったな」
つい言葉が出る。ゼリービーンの中で私の声が響く。中は足を広げられるほどの広さはあるが立つことができない。中から動かして縦にしようと試みたが、いくらやってもゼリービーンは動かなかった。
そうこうするうちにディキソンが現れた。私を探しているのか、家の方へ何度も首を伸ばしている。
「おい、嘘だろ」
ディキソンは私の家を見ながらパンツをおろし、ションベンをかける。
「うわっ」
声は聞こえなかったが口の動きでディキソンがそう言ったのが分かる。
「おい、おーい。助けてくれ。中にいる」
私はゼリービーンの膜を必死で叩く。音は鳴っているが外には聞こえないようだ。
私は自分がどうやってこのゼリービーンの中に入り込んだのか、全く覚えていない。ただ、ここが異世界のような場所であることだけは確かだ。膜を叩く手には力がこもり、まるで自分自身を確かめるかのようにドンドンと音を立てる。
「こりゃ、まいったな」と私は呟く。自分の声がゼリービーンの中で反響し、不気味な音楽のように響く。立ち上がろうとしても、天井(と呼ぶべきか、この赤い膜のことだが)が低すぎて、うずくまったままの姿勢しか取れない。
外ではディキソンが、何かに取り憑かれたかのようにションベンをかけ続けている。彼は一体、何をしているんだろう?そして、なぜ彼は私がここにいることに気づかないのか?不思議でならない。
そうだ、スマートフォンはどうだろう?私はポケットに手を突っ込むと、幸いにもスマートフォンは無事だった。すぐにディキソンにメッセージを送る。「おい、見てくれ。私はゼリービーンの中にいるんだ。信じられないかもしれないが、真実だ。助けてくれ」
しばらくして、ディキソンの顔がゼリービーンの膜のすぐ外に現れる。彼は私のメッセージを読んだようだ。彼の表情は驚きと困惑でいっぱいだった。
「どうやってそんなところに…」彼は口の動きで言っている。声は聞こえないが、リップリーディングで何とか意味を汲み取る。
ディキソンは何かを考えているようだった。そして、彼は何かを取りに行くように、一旦その場を離れた。私は彼の帰りを待ちわびる。この膜を破って外に出る方法はあるのだろうか?それとも、私はこのゼリービーンの中で永遠に閉じ込められるのだろうか?
不安と期待が入り混じった奇妙な感情の中で、私はディキソンの帰りをただひたすらに待った。
ディキソンが持ってきたのは虫よけスプレーとバーベキュー用の着火ライターだ。
変った取り合わせに私が首をひねっているとディキソンはゼリービーンを火で炙ろうとした。ように私は見えた。
実のところ、そのあと何が起こったか分からない。膜の外が真っ白になった。
ディキソンに電話をかける。コール音は鳴っているが彼は出ない。
突然、赤い膜が溶けた。私の胸に外へ出る希望の光が差したが、実際のところ入ってきたのは赤い炎だ。
「うおおおおおおおおお!」
もう何が何だか分からない。私は死ぬんだろうか。
突然生暖かい水が私の体にかかる。
「大丈夫だ。きっと助かる」
嬉し懐かしのディキソンの声がして私は目を開ける。おい、嘘だろ。
ディキソンが私にションベンをかけている。私の燃えている服をそれで消火しようというのだ。
私は走って水道まで行き、蛇口をひねる。くそっ。火を消すというよりはディキソンのションベンを洗い流すように体に水をかける。
「おい、大丈夫か」ディキソンが心配そうな顔で駆け寄ってくる。
「大丈夫に見えるか」
「ああ」
「冗談だろ?」
火で燃やされ、ションベンをかけられ、なにが大丈夫って言うんだ。
「ゼリービーンは?」
道路に目をやるとつつましやかな湿り気が広がっているだけだ。
「知らん。虫よけスプレーをバーナーにして炙ったら溶けた」
「なんだったんだ、あれは」
「分かるわけないだろ。分かっているのはなぜかあんたが食われちまったってこと」
「なんなんだホントに」
この話の続きはないんだ。あの謎のゼリービーンはそれから一度も私の前に現れなかったし、どこかで現れたという話も聞いたことがない。
本当に何だったんだろうな。世の中には不思議なことがあるものだ。
(おわり)
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