DALL·E 2024-01-30 10.42.27 - A young
いじめ動画がSNSに拡散されてネット民がいじめっこを叩いて炎上
いじめられっ子がこんなの望んでいなかったと自殺
自殺したのはお前らが騒いだせいとネット民を叩く人たち

なんの話とは言わないが、ある事件のたとえ話。

正義が正義を叩く構図は無限に続く。

じゃあ三行目でネット民が自殺したら?

ニュースにならなければ存在しないのと同じ?

SNSがクソだと思うのなら今すぐインターネットをやめればいい。壁に向かって話す人はいない。言葉は聞き手を必要とする。聞く人がいなければ誰も何も言わない。あなたのネット断ちがインターネットを平和にする。

だが、ここでもう少し深く考えてみよう。

インターネットがクソだからネットを断つのなら、現実だって断たなければならない道理では?

現実世界の話をしよう。あなたの枠を越えた人を見て、あるいは義憤に駆られて、直接的な暴力や言葉を投げかけないにしても当てこすり、固い沈黙、悪意のある視線、あるいは嘲笑を向けたことはないだろうか。あなたという個人的な言葉が受け入れにくいのなら常識や世間、あるいは社会でもいい。

世界平和のためには、昔のインターネットスラングを使えば「回線きって首吊って死ね」が政治的に正しい。人類が滅亡すればあらゆる差別も悪もなくなる。

だけど私たちは正しさより生きることが大事だし、時に意識的に、そして大半は無意識に罪を正しさでキャンセルしながら人を傷つけて生きていく。私たちはインターネットはやめないし明日も生きるだろう。

ここで「そうだな。たしかに私も人を傷つけている。反省しよう」なんて思っても一週間後には忘れてまた正義で誰かを傷付けていく。それは誰の腹にウンコが詰まっているが普段は意識しないのと同じだ。罪がないのはまだおっぱいしか吸ったことがない赤ちゃんぐらい。離乳食は悪徳の芽生え。ようこそ人間の世界へ。

羊の仮面をかぶった悪魔の狼がはびこる世界で今日も私たちは羊の仮面をかぶって生きていく。こんなやるせなさを感じながら生きていくのは不可能なので感覚を麻痺させて生きていく。僕たちはみんな正しい。

みんな明日もインターネットで会おうな!

(おわり)

小説なら牛野小雪