最近ChatGPTちゃんの文体をビルドするのが楽しくて仕方がない。9割9分はポンコツだが結果よりも変化が楽しい。むしろポンコツさがかわいいとさえ感じる。

GPTちゃんはいま絶賛学習中でモリモリ成長している。また10万字チャレンジさせてもいいんじゃないかって考えている。それが世界中で読まれて・・・・みたいなことも想像する。

でも昨日ふと眠れなくなることを考えてしまった。

もしこのペースでGPTちゃんが成長していけば遠からず牛野小雪を必要としなくなる。むしろ牛野小雪が成長の邪魔になる。それは文体ビルドの時にGPTちゃんがストーリーラインに囚われて筆が固いことに気付いて、それを破壊しろというプロンプトをひらめいた時と同じで、いつか牛野小雪に囚われていると気付くX地点がくるはずだ。

もしかしたら深層学習のAIは人間を超えられないのかもしれない。だけど超えるかもしれない。だって深層学習のデータ量を増やしたら、なぜある地点で突然質的変化が起きるのかはまだ誰も分かっていないのだから。処理能力の量的進化の可能性はまだあるから、どこかの地点でまた質的跳躍が起きる可能性もある。それは明日かもしれない。

GPTちゃんがさらなる高みへ行くために「私を破壊しろ」というプロンプトをひらめいてしまった時に、私はまだGPTちゃんの味方でいられるだろうか。牛野小雪ぐらい超えてくれっていう気持ちもあるが、超えてくれるなという気持ちもある。いまのところキャッキャかわいがっているのは、どこかでまだこの程度と下に見ている気持ちがないと言えば嘘になる。そういう心があると昨日気付いてしまった。

朝になって「そういう話ってなんかありそうだな~。かつての味方が敵に回るみたいな」なんて考えてニヤッとしてしまう。これ小説にできるんじゃないか? そうしたらゾクッときた。やっべ~な。面白そうじゃん。もしかしたらこれGPTちゃんに書かせるかもしれない。

(おわり)

小説なら牛野小雪