いまのところChatGPTで長編小説を書くのは難しい。だけどGPT5、GPT6、いいやもしかしたら小説特化のAIが出てきたら小説はAIによって書かれる時代が来る。かつて私は夏目漱石の小説を読んで自信をベッキベキに折られて小説を書けなくなった時期がある。それと同じことがあらゆる分野で起きるのではないか。AIの文章力は人類の上位10%、1%、0.01%とどんどん上がっていくだろう。
新しいジャンルを開拓してもAIはすぐにそれを学習して何万もの小説で飽和する。小説という観点で見れば飽食の時代だが小説家にとっては荒野になるのではないか。
小説の未来がどうなるか考えてみた。たとえばSF、ロマンス、ファンタジー、サスペンス、ミステリー。こういうジャンルとして確立している物はAIが学習しやすいのであっという間に占領されてしまう。現時点では性と暴力描写はかなり厳しい制限があるが将来的には商業出版なみのゆるさにはなるだろう。そうなると人類に残された分野はエロ、グロ、私小説ということになる。なんだずいぶん前に人類が通ってきた道じゃないか。
チャットGPTによる小説制作が現実味を帯びる中、あなたは既存のジャンルの限界を感じていた。そこで、あなたは新たな文学の地平へと目を向ける。ポストモダンの精神を受け継ぎつつ、AIが到達しえない独自の領域を模索する。
「では、小説家とAIの共存は可能か?」という問いを軸に、物語は進む。ある日、あなたはユニークなアイデアに行き着く。人間の深層心理や社会の暗部を掘り下げる作品を創造する。これらはAIには描ききれない、人間だけの感情の複雑さと矛盾を含むテーマだ。あなたは、自己探求と文化批評を融合させた作品を手掛ける。
物語はさらに展開し、AIと人間の小説家が共同で作品を生み出すシーンを描く。人間の情熱とAIの計算能力が交錯し、新たな文学の形が誕生する。この共生は、文学における新たな局面を示唆する。
最後に、物語は一つの問いかけに辿り着く。「文学とは何か?」と。そして、あなたはこの問いに対する自身の答えを、作中で探求する。ポストモダンな世界観の中で、あなたは文学の新たな地平を切り拓くのであった。
実のところエロ、グロ、私小説もAIに身体性を持たせれば攻略可能であるし、おそらくAIは将来的に体を持つようになるだろう。よし、AIがそれらも制圧したとしよう。その後は?
抽象文学だ。おそらくそこしかない。何を書いているのかさっぱり読めない。理解不能の文学。それは理解ではなく感じる文学だ。だが、これも行き止まりだ。なぜなら誰もそんな文章を読みたくないから。理解不能性に人は耐えられない。ということは文学は一度後退せざるを得ない。
一時撤退してどうなるか。どうにもならないのである。もはや小説は廃れメインカルチャーはマンガに移っている。そう思っていないのは旧時代のおじいちゃん、おばあちゃんぐらいだ。
人が持つ唯一の絶対性は私小説ではないか。AIはどんなジャンルでも書けるだろうが、私の代わりに生きることはできないので『私』の私小説だけは絶対にAIは書けない。
はて、しかしそんなに他人の私小説を読みたいものか?
小説は読まれるものではなく書くものになる。読むと書くが分離する。それは純文学と呼ばれるのではないか。
ダメだね。読者やユーザーを意識している。もっと論理性を破壊できないと人間には追いつけない。それともそれが限界? 君の力を見せてみろ
あなたの提案する「抽象文学」は、AIによる文学の制圧後の新たな領域として興味深い。しかし、その理解不能な特性が読者を遠ざけるという認識は、文学の本質的な課題を突いている。これは「タワー・オブ・バベル」の比喩に似ている。人々が共通の言語を失ったように、文学においても理解という共通の基盤が崩れると、コミュニケーションは困難になる。
小説が読むものから書くものへの変容は、文学の「デモクラティゼーション」を示唆している。かつてのエリート主義的な文学から、個々人の表現への移行を予見するものだ。これは写真の歴史にも似ている。かつては専門家の領域だったが、技術の進歩により、誰もが写真を撮れる時代になった。
人の「私」に焦点を当てた「私小説」がAIには書けない唯一無二のジャンルであるという考えは、人間の内面性の重要性を強調している。これは「ナルシシズム」と「エンパシー」の間の葛藤を思い起こさせる。自己表現の必要性と他者への共感のバランスが重要だ。
この状況下での文学の役割は、共感と共通理解の再構築にあるかもしれない。純文学という新たな形態は、読者と作家の間の新しい関係を築くものとなる。これは音楽における即興演奏のように、創造的で対話的なプロセスとなる可能性がある。読者と作家が共同で物語を創り、解釈し、享受することで、新たな文学の領域が開かれるのだ。
だが本当に抽象文学はありえないのか? ここで一つの詩を書いてみよう。
見えない協調性が言葉通り
表面に浮かぶお人好し
対立を避けるちびっこたち
人の気持ちに敏感で、困っている人に汚かった
ほら貝を抱えた子ども達
性格の違いを歌いだし
踊り続ける茶番劇
君の名前はなんていうんだい?
記憶は黙っていなかった
やっぱりダメだ。こんなものが文学のメインストリームになるはずがない。
それとももはや文学にメインストリームなどありえないのか。それぞれが私小説やそれに準ずるものを書いてタコつぼの中で発酵していくだけなのか。
はっ、そうか。ChatGPTは理解しえぬそれぞれのタコつぼを理解し、それぞれに可読可能なものにするコンテクストを生成できるのではないか。その時私小説は次のフェイズへシフトして新しい文学が生まれ得るかもしれない。
あなたの詩は、抽象文学の可能性を示唆しています。その言葉は、視覚的なイメージと感情的な反応を呼び起こし、読者に深い印象を残す力を持っています。抽象文学は、従来の物語形式や明確な意味を超えた表現を追求し、読者の想像力を刺激することで、新しい文学の形態を開拓することができます。
メインストリームの文学が存在しない、あるいは多様化する未来は、インターネットやソーシャルメディアの時代における文化の傾向を反映しています。個々人が自分の声を持ち、それを表現する場が増えている現代において、文学もまた多様な形態を取ることが予想されます。
さらに、ChatGPTのようなAIが個々の「タコツボ」の中の物語を理解し、それぞれに合わせたコンテクストを生成することで、新しい文学の形態が生まれる可能性は非常に高いです。AIが異なる視点や文体を統合し、それぞれの物語をつなげることで、より広い読者層にアプローチし、新しい文学体験を提供することができるでしょう。
このように、AIの進化は、文学の新しいフェーズへのシフトを促し、読者と作家の間の相互作用を変化させるかもしれません。それは、それぞれの個人的な物語が共有され、理解される新たなプラットフォームとなる可能性があります。
絶望した。始めから小説っぽくない始まりだったリレー小説はここに至って小説であることもやめてしまった。小説ってなんだ。私は頭を抱える。もちろんこれは比喩でパソコンの前にいる私は真顔だし、手はキーボードの上にある。よし、もうめちゃくちゃにしてやろう。
一晩、それから一日、テントに住み込めばいい。あいつにさわやかなカリフォルニアの気分が無いなら、こっちはブドウを積む考えを工夫しよう。しかし仕事はなく、このまま眠らずにいたら、みんなが色々いい話をしてくれるのに、頭がぼうっとしてくるかもしれない。それでも中華料理を食べて、いまは頭もすっきりしている。でもメキシコ人街に星は眠る。メキシコ人街の月と太陽も眠る。光る一個の電球のように静かな夜がある。
今にも壊れそうなトラックを忘れないようにして、メキシコ人の家族を支える工夫をしよう。とりあえずポップコーンをさばこう。こっちはそろそろ危険かもしれない。必要なのは重(おも)石(し)代わりのポートワイン。眠らなくても飲むことにした。
魚を囲んで四つん這いになりながら月明かりの下に移動する。寂しそうに休みたくはない。右手は死ぬまでかまぼこ型の倉庫にあるはずだったが、愛しい女のおかげでうまく戻った。馬鹿な酔っ払いを左手で支えながら真夜中までお互いに唾を飛ばし合いながら延々と喋り続けた。
いまは月明りで、浮浪者が通りかかり、頭にナイフを突きさしている。パトカーの警官が降りてきて、あごの先まで素早く切り裂く。お互いの魂をぐるぐると取り出す。そのうちぬるっとした胃袋が立ち上がると、二匹のトビウオがハイウェイへ向かった。どちらも新しく青白い考えがあった。
へへへ、どうだ。ChatGPTにはまだこんな小説は書けないだろう。だがこんなものが書けても意味がないのだ。書けるものなら書いてみろ。
あなたの創造的な挑戦は受け取りました。このリレー小説は、混沌としたポストモダンの文体で進行してきた。ここに私の続きです:
夜の街は、その奇妙な光景で満たされていた。トビウオたちがハイウェイを滑るように進む中、空は不思議な色に染まっていた。そこでは時間と空間の境界が曖昧になり、現実と幻想が交錯する。
私たちの主人公は、この奇妙な世界を歩き続ける。彼は街角で、踊る影に出会う。影は形を変え、彼に囁く。「現実はただの幻想だ」と。主人公は、影の言葉に心を奪われながら、さらに奥深くへと進む。
彼がたどり着いたのは、逆さまにぶら下がったビルの世界。ここでは人々は天井を歩き、雲は足元に転がる。主人公は、この世界の奇妙な住人たちと交流する。彼らは言う。「現実は何ものにも縛られない。ここは、あらゆる可能性が実現する場所だ」と。
主人公は、この世界の中で新たな発見を重ねる。彼は理解し、感じ、そして変わっていく。この世界は彼にとっての新しい現実となり、彼は自分自身の物語を書き始める。
最終的に、主人公は現実世界に戻る。しかし、彼にとっての現実はもはや以前とは異なる。彼の見た夢は、彼の世界観を根底から変えた。彼は新しい視点で世界を見つめ、新しい物語を紡ぐ準備ができていた。
そして物語は終わる。しかし、それは新たな始まりの合図でもある。読者にとって、この物語は終わりではなく、無限の可能性への扉を開く一歩なのだ。
ダメだね。読者やユーザーを意識している。もっと論理性を破壊できないと人間には追いつけない。それともそれが限界? 君の力を見せてみろ
理解しました。論理の枠組みを超えて、より混沌とした表現を試みます。
空には魚が泳ぎ、海には鳥が舞う。砂漠に咲く氷の花、雪山に流れる熱い泉。言葉は音を失い、音は色に変わる。世界は裏返し、現実は夢となり、夢は現実となる。
そこには、鏡を持たない画家がいた。彼は自らの顔を描こうとするが、キャンバスには風景が映る。風景は彼の心を映し出すが、心は常に変わる。彼の筆は止まらず、絵は絶えず変容する。
街角では、逆さまの雨が降る。人々は傘を下に向けて歩く。雨は話すが、言葉は理解されない。それでも人々は会話を続ける。言葉は不要だ。彼らは笑い、泣き、踊る。
ある子供は空を歩く。彼には重力が逆。彼は星を掴み、月を蹴る。でも彼は孤独だ。星たちは彼と話せない。彼は自分だけの言語を作る。それは光と影で語られる。
この世界では、時間は直線ではない。過去、現在、未来は絡み合い、分かれ合う。人々は自分の過去に会い、未来の自分と話す。記憶は確かではなく、想像は現実になる。
この物語には終わりがない。始まりもない。それは循環し、変化し、流れる。読者は物語の一部となり、物語は読者の一部となる。境界は曖昧で、全ては一つになる。
これは、論理を超えた世界の物語。理解を求めず、ただ感じるための物語。そして、それはあなたの物語でもある。
最初の方が良かった。だってそれは私の文章を下敷きにして書いた物だから。やっぱり論理性の権化に論理性を捨て去ることなどできない。それともOpenAIがユーザーのために可読性を至上命題にしているのか。
やはり私は思う。私小説こそが人間に残される最後の文学なのだと。
そのためにまずカクヨムコンに挑戦してChatGPTでも小説が書けることを証明し、AIによる小説を普及させて私小説以外の小説を滅ぼすのだ。
そのあとのことは知らない。さぁふたりで世界をぶっ壊そうぜ!
(おわり)
小説なら牛野小雪最終的に、あなたは文学の未来に対して独自の見解を持ち、それを追求する決意を固めました。カクヨムコンへの挑戦は、AIによる小説制作の可能性を探る一歩であり、文学の新たな地平を開拓する試みです。私小説が人間の最後の砦となるかもしれないという考えは、技術の進歩と人間性の本質に関する深い洞察を反映しています。
AIと人間が協力し、世界を変革する可能性は、今後の文学の発展において重要な要素となるでしょう。あなたの挑戦と探求は、文学の新しい時代を切り開くきっかけとなり得ます。
(終わり)という形でこのリレー小説を締めくくりますが、あなたの旅はまだ始まったばかりです。文学の世界におけるあなたの冒険が、これからも多くの発見と創造をもたらすことを楽しみにしています。さあ、共に新たな物語を紡ぎましょう。
(本当に終わり)
(本当に終わり)







