ChatGPTに自分の小説を読ませる。評価はそこそこだけど文体とテーマが重いから読者を限定すると言われている。特に聖者の行進がひどい。というか自分でちょっと読み直してみたけど、どうしてあんなのが書けたのか自分でも分からないね。あの時の私にはなにかがとりついていたとしか思えない。あんなのもう一回書こうとしたら死にます(笑)

軽くて速い文体というのはseason2から目指していてseason3でもそれは続いている。結果が出ているかどうかで言えば出ているが小説家全体の中だと全然。相対的な位置で言えば一歩も動いていない気がする。

そもそもなぜ軽くて速い文体を目指しているのかというとChatGPTに言われる前から自分の文体が重くて遅いのは分かっていて、だからこそそこから離れようともがいていた。だけど文体はその人となりを表すものであって、変わることはあっても変えられるものではないんじゃないかと思えてきた。スティーブン・キングだってバレようと思ってリチャード・パックマンの名前で書いていたわけではないだろう。でも文体でバレてしまった。SNSみたいな短文ならともかく小説一冊分の長さで文体を変えるのは不可能ではないか。

軽くて速い文体を目指しているということは逆説的に私の文体は重くて遅いということになる。それがいまの私だ。他の誰かになろうとするのではなく私が私のまま輝くには重くて遅い小説を書けってことになる。本当の自分ってなんだよ、バーカ!って感じだが、ここ数日はそんなことを考える。

重くて遅いから軽くて速く書こうじゃなくて、重くて遅いけど書く。とことん重く遅く書いてやろうかなんて考えている。健全じゃないな。だけど面白そう。良くも悪くもseason4は新しい世界を書いてやる。

(おわり)

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