春の日差しの中、小さな町に住む若者、太郎はふとしたきっかけで、手紙を見つけました。その手紙には不思議な言葉が綴られていました。「古い時計塔のそばで待っている。」太郎は好奇心に駆られ、その場所に向かうことを決意しました。
時計塔のそばに辿り着くと、そこには一冊の古びたノートが置かれていました。ノートには先の手紙と同じ筆致で、新たな手紙が書き綴られていました。「これを見つけたなら、次は君が物語を紡ぐ番だ。」太郎は戸惑いつつも、そのノートを手に取り、自分の冒険が始まることを感じました。
そして、太郎はその手紙に続く物語を書き始めました。
「餅が爆発する」太郎は手紙にそう書く。そして二度とは戻らない夏に置く。誰が拾えるというのだろう。しかし拾ったのだ。あの夏の太郎はたしかにその手紙を拾っていた。「そうか。あれは俺だったのだな」太郎は謎として記憶の底にしまい込まれた出来事を思い出す。
あれはまだ人が猫だった時代のこと。その頃にはもう四つ足で歩く猫はいなくてみんな二本足で立っていた。4つ足は笑いもの、あるいは笑わせるためにする行為だった。太郎はまだ四つ足で全てのことを目線を低くして見ていた。
太郎は手紙に続きを書き始めました。「餅が爆発する」という不可解な文言を読み返しつつ、遠い夏の記憶が思い浮かびます。四つ足で歩く猫たちが笑いものとされ、太郎が低い目線で世界を見ていた時代。彼の心の中で、その頃の記憶は謎めいたものとして残っていました。
手紙の続きに、太郎は自分が当時の猫だったことを記しました。手紙を拾った夏の日、その出来事が再び彼の前に現れ、過去の自分に向けられた謎が解け始める瞬間でした。
太郎は正月に持ちをこねていた。当時はうすもきねもなかったので前足で体重をかけながらこねていた。きっとそれが良くなかったのだ。正月も五日が過ぎると鏡餅にはびっしりとカビがついている。しかしあの時のカビはまんべんなくつくのではなく「餅が爆発する」と読めるような模様でついていた。
気味が悪くなったので太郎の父は「捨てに行こう」と鏡餅を持って海岸へ行った。太郎もついていった。当時はまだ餅を捨てることがとやかく言われる時代ではなく、良い悪いは別としてそういうこともあるという空気感があって、太郎もそう鏡餅を捨てることをそう不思議なこととは思わなかった。
餅を捨てるまでの記憶は太郎にはない。父が「捨てに行こう」と言ってから海岸へ行くまでの道筋はすっぽり抜け落ちているが、父が波打ち際で後ろ足に波がかからないぎりぎりのところに立って海へ餅を投げたところはからは鮮明だ。
餅はくるくると回転しながら飛び、カビの生えた黒というか深緑というかなんともいえない色の面を断続的に見せていて、目にちかちかとしたような感覚があった。正月にしてはやけに青空が濃くて、雲は真っ白で夏のような空だと太郎は思った。
やがて餅は重力に従って高度を下げ、海に落ちるとバシャーンと山の向こうまで聞こえるような音を立てた。「あんなに重いのに海には浮いてる」と太郎は父に言った。太郎は笑っていて、父もそうだとばかり思っていたが、予想に反して父は苦い顔をしていた。本当はやりたくなかったが、もしやらずにいれば後で大変なことになるからやったという顔だ。太郎は子どもながらに父が傷ついていることを察して帰り道は一切口を開かなかったことを憶えている。いや、開かなかったのではない。その状況で発してもよい言葉が何一つ太郎の中で湧き上がってこなかったのだ。
手紙の続きを書きながら、太郎は正月の出来事を振り返りました。父と共に鏡餅を捨てに行った時の、海岸での風景が鮮やかに蘇ります。太郎は、餅が海に投げられて、水しぶきを上げる様子を鮮明に思い出していました。
手紙には、太郎が「あんなに重いのに海には浮いてる」と言ったこと、そして父が苦い顔をしていたことが綴られました。太郎は当時の自分が父の心情に気づかず、無邪気に笑っていたことを振り返り、その時の父の複雑な表情に気づくことができました。
太郎は手紙に、父が何を感じていたのか、自分がもっと成熟していれば気づけたのではないかという悔しさをつづります。そして、手紙には新たな言葉が追加されました。「親子の繋がりは時折、言葉にならない複雑な感情で結ばれているものだと気づいた瞬間だった。」
参考文献
猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫)
鏡餅について不思議なことはまだある。
そわそわした沈黙を抱えて太郎と父が家に帰ると、どういうわけか鏡餅が元の場所にあった。捨てた物とは別の鏡餅ではなく「餅が爆発する」とカビの模様が入った鏡餅だ。太郎は振り返って父の顔を見た。父は驚くよりも既に決まっている運命を受け入れたかのように静かな顔をしていた。そしてそのまま何も言わずに鏡餅のある場所を通り過ぎた。鏡餅がそこにあることは動かしがたいことであり、それをどうこうすることは何者にも許されないという意志を表明したかのような歩き方だった。
正月が終わっても鏡餅はまだ床の間に置かれていた。その頃にはもう救いようもなくカビが鏡餅全体をおおっていて、それはもはや深緑色をした土饅頭のような態をなしていて、床の間のある部屋の前を通るとほこりっぽい臭いが鼻を突いていた。
カビの生えた餅を捨てるべきだと太郎は考えていたが、父にはそれを口のすることを許さない雰囲気があった。鏡餅を捨てた日から太郎と父はほとんど口をきいていなかった。
その後、正月が終わってもなお、鏡餅は床の間に留まり、不気味な深緑の模様がますます広がっていきました。太郎は心の中で、もはや救いようのない状態だと感じながらも、父に触れることのできない雰囲気を察知していました。
床の間の部屋では、深緑色の臭気が充満し、時折ほこりっぽい匂いが漂っていました。太郎は父との距離を感じながらも、何かを解決せねばならないという強い思いが心を駆け巡ります。
ある晩、太郎はその鏡餅の前で、不思議な現象を目撃します。深夜の静けさの中、鏡餅から微かな音が聞こえ、その場に立ちつくす太郎の目の前で、鏡餅の深緑の模様が微細に動き出すのです。それはまるで、生命の息吹が餅に宿ったかのような不可解な現象でした。
太郎はその光景に驚きながらも、何かに導かれるような感覚を覚えました。そして、手紙に新たな一文を綴ります。「鏡餅には、物語が紡がれる不思議な力が宿っているのかもしれない。」
太郎は毎日カビの生えた鏡餅の前に座り、餅を見て、餅の臭いを嗅いだ。それはもはや餅ではなくカビのかたまりであったかもしれないが、ともかく太郎はそれを鏡餅と認識していた。それは見ていて面白いものではなく、臭いにいたっては深いそのものではあったが太郎はどういうわけか一日の大半を餅の前で過ごした。
それがいつだったかは記憶はない。ただ1月中ではあったと思う。太郎はふと前足で鏡餅に触れてみた。それは爪の先でカビを触れてみるという感じであったのにバフッと空気の抜ける音がして、目の前が真っ暗になった。鏡餅が爆発したのだ。
まず太郎が考えたのはこのカビをなめとるのは大変だということ。臭いカビをなめとっている内に病気になりはしないだろうかという不安があった。次に自慢の毛並みがくすんだ深緑色になっているところを想像するとぞっとした。
太郎は前足で顔の辺りを撫でる。するとカビが落ちるにしてはやけに手応えが重かった。それでも太郎は目をつぶったまま体中を撫で、なめ、カビを落とす。カビの臭いがあたりに充満していて、カビのほこりがあたりに舞っているのは目を開けなくても分かった。分かっていたので目は開かなかった。
前足をなめ終わり、後ろ足もあらかたなめると、太郎はまずこの場から離れた方が良いことに気付いた。それで太郎は立ち上がり、床の間がある部屋を出るとやけに体がスースーした。
太郎は鏡餅が爆発した瞬間、深緑の模様が体から消え去り、空気が一気に晴れ渡ったような感覚に包まれました。その後、太郎は自分がカビまみれの鏡餅をなめてしまったことを考え、身体を舐める感触を思い出しました。しかし、それが何故か爽快で、まるで重いものが取り払われたような気分になっていました。
太郎はその後、床の間の部屋を離れ、家の外に出ました。新鮮な空気が太郎の鼻を抜け、太陽の光が眩しいくらい輝いていました。太郎は不思議な経験を通じて、何かが変わったことを感じました。カビの臭いがまるで一掃されたように、太郎の心も清らかなものになっていたのです。
次第に、太郎と父の間にも微妙な変化が生まれました。太郎が鏡餅をなめることで解決された何かが、二人の心を結びつけるきっかけとなったのかもしれませんでした。
猫が人間になり始めたのはその頃からだ。太郎だけではない。父もそのほかの猫も次々と毛が抜け落ち、一時はパニックになったが、やがて猫たちは毛の代わりに服を着るようになり、後ろ足で立ち、前足で物を掴むようになった。ダーウィンの進化論はうそっぱちである。太郎の記憶では人は間違いなくかつて猫であったし、それ以前に人間は一人もいなかった。
ちなみに父と太郎の間であの鏡餅の不思議は一度として話に出たことはない。お互いに不思議を抱えたまま月日を過ごし、父は980歳で死んだ。そこへ至るまでに何があったにせよ、特に病気やケガもせず誰かと深刻なトラブルを起こしたこともないと考えれば大往生といっていい人生だろう。
あの手紙やノートがなんだったのかは分からないし、鏡餅の謎も、なぜ猫が人になったのかも分からない。それはなぜ人が生きているのかと同じぐらい大きな謎だ。この謎を抱えられるほど強い人はいない。猫にもいないだろう。我々は巨大な謎を抱えたまま生きて、そして死んでいくのだろう。
参考文献
猫を棄てる 父親について語るとき (文春文庫)
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