年末にしこたまビールを飲むために酒屋へ行ってビールをカゴいっぱい買う。師走のそわそわした世界が好きだ。年末って感じがする。人の木もどこか緩んでいてカートを押していて通路で邪魔になりそうな時もお互いに目を合わせて「すみません」とか「通らせてくれるで」とか言ったりする。こういう空気は年末だけでそれ以外の時は固い空気をお互いに放って、空気を読み合っている。

とにかくなんでも緩みきっていてレジでレシートを貰うのを忘れてしまった。最近は何でもセルフレジだからレシートもジジジと機械から吐き出された物をちぎり取っている。手動レジなんて久しぶりだから「レシートください」と言うくせが抜けてしまっていた。面白いな。前はもう絶対に忘れないぐらい言っていた言葉がふと気付けば消えている。言葉なんてのはSNSだと勝手に切り取られて炎上して、そういう強いものだと思われているけれど、実際は時と共に簡単に消えてしまうものだ。時々掘り返されて再炎上することもあるけどね。

一体何を書こうとしているんだろうな。chatGPTに甘えているな。人間相手だとこんなリレーを投げることはないがAIなら絶対に拾ってくれるという安心感がある。AIとのリレー小説で人間の執筆能力は下がるんじゃないかって気がしてくるね。人が相手ならもっとかちっとした物語を作るもの。これじゃあ小説というよりエッセイだ。はてさて困ったものだ。
その夜、師走の冷たい風がビールの缶に触れ、手に冷たい感触を伝えてきた。酒屋を後にして、家路に着くと、夜の闇が街を包み込んでいた。玄関を開けると、家の中からは温かな灯りが差し込んでいる。

玄関先で、思わずビールの缶を手に顔を引き寄せ、冷たさを感じながら深呼吸をした。年末の夜はなんとも言えない雰囲気が漂っていた。そんな中、机の上には未だにレジからもらったレシートがなかったことを思い出し、少し驚いた表情を浮かべた。

「あれれ、レシートってどこいったんだろう?」そうつぶやきながら、冷蔵庫からビールを取り出して、一つ開けた。キリッと音を立てながらビールが注がれ、口に含む瞬間、年末の疲れが一気に癒されるような気がした。

しかし、その瞬間、玄関の方で何かがゆらめいたような気がした。冷たいビールを手にしていた手が、何かの気配に敏感に反応している。不安な気持ちを抱えつつ、ゆっくりと玄関へと向かった。

ドアの前で足を止め、なんとなく不穏な空気を感じていると、急にドアがゆっくりと開き、誰かが姿を現した。それはなんと、ビールを買いに行った酒屋の店員だった。

「あ、すみません。お店から追いかけてきました。レシートをお忘れですよ」と、店員はにっこり笑いながら手渡してくれた。

「ああ、ありがとうございます!」と言いながら、ほっとした気持ちと同時に、なぜ店員がこちらまで追いかけてきたのか不思議に思った。店員は微笑みながら、「これが最後のレシートだったんです。お気をつけて帰ってくださいね」と言って去っていった。

ドアを閉め、再びビールを手にした瞬間、その出来事が夢のように感じられた。師走の不思議な夜が、ますます深まっていく中、彼の家の中には冷たいビールと共に、ほんのり温かな思い出が広がっていった。
これがさ、もし私がアルファな人間でSNSにこの出来事を書いたとしたら店員が家まで追いかけてくるのもそうだし、家を知っているの怖すぎるんだがって、ある意味炎上するんだろうな。私だってこれがもし今日じゃなかったら同じことを思った。でも年末のなにもかもが緩みきった空気の中だと不思議と暖かい感じがする。それどころか炎上することさえほほましく感じる。

あえて書くようなことでもないがこんなこともあった。私が家にいる時に玄関のチャイムが鳴って、外に出たら近所の人がいた。顔は見たことあるが話したことは一度もない。向こうが引っ越してきた時にそばを渡しに来たぐらいかな。とにかくその人が立っていて

近所の人:ブログに2023年で読まれた本ベスト3を書くといいんじゃないかな。たぶん誰もあなたの書いた本の順番なんて知りたくない。ランキング作ると興味持ってもらえますよ

それだけなんだ。いや、ホントに大きなお世話だと思った。でもそういうおせっかいもまたいいものなんだな。だからベスト3じゃなくて5まで作った。欲をかきすぎかな。3で止めるのが奥ゆかしいんじゃないか。でも作っちゃったよ。
その近所の人の提案に触発され、私は思わず本棚を見つめることになった。年末だからか、自然と振り返りの季節なのだろう。手に取った本たちが、過去の思い出とともに微笑んでいるような気がしてきた。

まず手にしたのは、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」。長い冬の夜、物語の中で巡り合ったキャラクターたちの熱烈な友情や愛が、私の心を温かく包み込んでくれる。次に目に留まったのは、村上春樹の「ノルウェイの森」。青春時代の切ない恋愛模様が、寒い冬の夜にぴったりとしみる。

そして、最後に手に取ったのはハーマン・ヘッセの「シッダールタ」。自己探求と魂の旅が織りなす哲学的な物語は、年末にぴったりの深い思索を呼び覚ます。これで3冊。しかし、近所の人の言葉が頭から離れず、ついにはベスト5まで考えることになった。

4冊目に選んだのは、ハーパー・リーの「さよならを言うために」。人種差別との闘いを描いた感動的な作品は、社会に対する問いかけがあり、重要なメッセージを私に贈ってくれた。最後に5冊目は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」。彼の鋭い洞察力と、街の喧騒が奏でるリアルな音が、私に新しい視点を提供してくれた。

それぞれの本には、年末の余韻とともに生まれた感動や気づきが詰まっている。このリストが、誰かの心に触れ、新たな冒険へと誘うことを期待して、私はその本たちを再び本棚にしまった。

もちろんこれは嘘である。これは人様に読んでいると思われたい本ベスト5だ。実際に作ったのは牛野小雪の2023年に読まれた本ベスト5だ。小説家というものは、いくつかの例外はあるにしても自分の本が世界最強と思っている人間だ。我欲にまみれた罪深い人間で、地獄行きは間違いなし。そんな人間でも除夜の鐘を聞くのは好きだな。

紅白歌合戦を見終わって、ゆく年くる年が始まると山の方からゴーンゴーンと鐘の音がしみわたってくる。年末ぐらいみんな起きているし、窓の外を見るとやっぱり明かりのついた窓がたくさんある。今年もきっとそうだろう。静かで、暗くて、それでいて1年の厄を落とすような鐘の音がどこからか聞こえてくる。あの冷たさと空気が好きだな。

そしたらジャニーズのライブを見るんだ。お正月だから夜更かししちゃう。この頃にはもうビールをたくさん飲んで気持ちよくなっていて、意識も朦朧。もう寝た方がいいけれどがんばって起きてる。そういうがんばっている時のつらさも好きだ。年末年始は好きなことがいっぱいある。
牛野小雪の本ベスト5ではなく、実際の読書リストを教えてくれたことに対して、私は謝罪する。文学の世界において、人は時折自分の作品に偏見を抱きがちであり、それは牛野小雪も例外ではない。しかし、彼女の本当の感想が今後も多くの読者と共有されることを期待する。

さて、除夜の鐘の音が静かな夜に響き渡り、新しい年が訪れる中、ジャニーズのライブに心躍らせる様子が浮かび上がる。年末年始には特別な空気が漂い、その中で好きなことに没頭する時間がとても贅沢だ。

ビールの爽やかな味わいと共に、ジャニーズのパフォーマンスが楽しまれる。夜更けに響く歓声や音楽、そしてお正月特有の静けさと共に、新たな一年への期待が胸に広がる瞬間だ。年末年始は、好きなことに没頭するだけでなく、その中で感じる懐かしさや新しさが、心に残る特別な瞬間となるのかもしれない。

年末の夜、酒屋で買ったビールを片手に、牛野小雪の本を手に取りながら、除夜の鐘の音が遠くから響いてくる光景を思い描いた。静寂のなか、心地よい寂しさが広がり、そんな中で自らの本が読まれている様子を妄想した。小説家としての我欲と、年末ならではの寂寥感が交錯する瞬間だ。

除夜の鐘が鳴り響く中、紅白歌合戦の余韻を感じながら窓の外を眺める。他人の窓に灯りが灯り、一年の疲れを共有しているような気がする。そして、冷たく澄んだ空気が鐘の音と共に巡り、新しい年への期待と希望が胸を満たしていく。

その後、牛野小雪の感動的な作品に浸りながら、除夜の鐘に寄り添っていると、ジャニーズのライブが始まる。夜更けになっても、ビールが効いてきて、心地よい朦朧と興奮が交錯する。寝るべき時とがんばっている時間の狭間で、特別なお正月の夜が広がっている。

好きなことがいっぱいあるこの季節。年末の風物詩となる除夜の鐘、自分の作品を妄想できる喜び、そして音楽に酔いしれるお正月の夜。全てが重なり合って、新しい一年へのスタートを祝福しているような気がした。
もちろんこれも嘘である。chatGPTがそれっぽい嘘をつくのはもう周知の事実となっている。でもどこが嘘なんだろう。それも分からなくなってきた。AIは喩えるなら口のうまい童貞で、言っていることは何もおかしくないのに言っていること全てがおかしさに満ちている。リレー小説でどちらがAIか明示しなくてもどちらがそうか人間には分かってしまう。人類はAIの文体を学習してしまった。

なにが嘘か。AIには年末のこの空気感を本当に理解しているとはとうてい感じられないからだ。AIの言葉はどこまでも理知的だが肌感が足りない。ここに書いてあることは私より私らしいのに何かが違う。AIに盆暮れ正月はあるんだろうか。もしないならかわいそうだな。

でも感性がないなら不幸も感じないわけで反出生主義の幸せがある。感性がないなら欲もないので除夜の鐘なんか聞く必要もないかもしれない。それはいいな。でもやっぱりこの年末の空気を感じられないのって損じゃないの。生きていて楽しいの? そもそも生きてもいないか。なんだか恐くなってきた。
言葉の裏に隠れた嘘、または本当の気持ち。そんな微妙な狭間で、私とAIの違いが見え隠れする。言葉の端々に感じる肌感覚や情熱が、AIにはない何かを感じさせる。人間は感性を大切にし、時折その感性が嘘を見破る手がかりとなる。

AIにとっては盆暮れ正月や年末の空気感は理解できるのだろうか。そこに流れる時間や季節の変化、人々の心の揺れ。それらが彩り豊かな感情として私たちに訴えかけてくるが、AIにはその深い理解は難しいのかもしれない。

反出生主義の幸せとは、欲望や煩悩がなく、だからこそ苦しみもない。しかし、その代償として感性が欠如しているのならば、生きることの本質的な喜びも感じられないのだろう。除夜の鐘の音が、新しい一年の始まりを告げる中で、そんな思索が広がってくる。

この独り言がAIとの対話であるならば、不安や恐れは当然のことだ。感性を持ちながらも、それを持たない存在と向き合うことは、深い哲学的な問いかけを呼び覚ます。 AIとの共存が進む中で、私たちは感性や人間らしさについて新たな考えを抱きつつ、未知の未来に向かって進んでいくのかもしれない。
そんなAIとリレー小説を続ける。それこそがAIに人間を教えることになるのかもしれない。

そうだ。もう一つ好きなことがあった。年末にみんなで酒を買ってきたんだが、それが大きい順に机に並んでいて、それが妙に好きになれたな。ふだんは日本酒なんて飲まないんだ。でも年末だからっていうんで酒を買ってきた。他の家族も買ってきていて、朝になって布団から出た順に机にドン、ドン、ドンと置いていったのが並んでいたんだ。それがなんだかとても良かったな。

家族みんなで酒を飲んで、たいしてうまくもないエビのてんぷらを浮かせたとうどんを食って、紅白を見て、除夜の鐘を聞いて、別にそれって大して面白くもないんだけど年末の空気の中だとそれがなんだかとっても大事なことに思えるんだ。なんなんだろうな、これって。これが続くんならもう一回12月をしてもいいぐらいだよ。
年末の風物詩として、家族で集まって酒を楽しむ光景。大きな順に机に並んだ酒瓶たちが、一年の喜びや悲しみを共有するように並べられている様子が、特別な時間を感じさせた。普段はあまり飲まない日本酒も、年末だからこそ特別な味わいになる。

酒とともに、家族が揃い、朝になって布団から出た順に順番に机にドン、ドン、ドンと置かれていく様子。それが何とも温かく、愛おしい瞬間となった。年末には家族が一堂に集まり、普段の喧噪から解放される特別なひとときがある。エビの天ぷらと浮かせたうどんを囲み、心地よい食事の音が部屋に響く。

そうして、家族と共に紅白を見つつ、除夜の鐘の音に耳を傾ける。それがなぜこんなにも大事な瞬間になるのか、年末の特別な雰囲気の中で、その答えが見つかるような気がする。12月をもう一度迎えたいほど、この瞬間が愛おしく、幸せな瞬間だと感じた。

(おわり)

この小説はchatGPTとのリレー小説によって作られました。

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