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 ルル子さんは世界をまたにかける鮫島商会の一人娘で超お金持ち。
そんな2000年に1度のヴィーナスと僕は結婚する。
伝説を作ったり、赤ちゃんができたり、戦争があったりもするが新婚旅行で北極にオーロラを見に行った二人は氷床を目指す巨大なクジラの影を見る。

ペンギンと太陽ができるまでのブログ記事

他の小説と何が違うか

1. 独特な比喩と世界観

「火星のペンギン」や「南極のペンギン」を通じて、現実と幻想が混じり合うメタファーを使い、登場人物の内面や社会に対する違和感を強調しています。この風変わりな設定が、現代社会の疎外感や人間のアイデンティティに対する哲学的なテーマをユニークに掘り下げています。特に、ペンギンを用いて人間の行動や社会の構造を分析する視点は、奇抜で新鮮です。


2. 日常と非日常の融合

物語の中で、現実的な日常のシーンとシュールでファンタジーのような設定が織り交ぜられています。たとえば、結婚生活や日常的な人間関係が描かれる一方で、登場人物の視点は常に「火星のペンギン」といった異様な設定に支配されており、現実と幻想の間を揺れ動く構成が独特です。このような非現実の混入が、物語に独特のスリルを与えています。


3. 社会風刺と皮肉の効いた文章

作品全体に見られる風刺的な描写や言葉遊び、皮肉を込めた言い回しが、物語にユーモラスでありながらも鋭い視点を持たせています。たとえば、「人間が鳥類から進化した」という突飛な理論を展開する中で、現代社会のコミュニケーションや価値観への皮肉を交えた語り口が光ります。読者を笑わせつつも考えさせる巧みな手法です。


4. 深層的な哲学的考察

物語を通して「人間の本質」や「他者との断絶」を象徴的に描いており、単なる奇抜な設定ではなく、深層的なテーマを扱っています。登場人物の思考がリアルに描写されることで、社会との違和感を強く感じる人間の内面が浮かび上がります。


5. 内面世界と現実の境界をぼやかす

物語では語り手の視点が頻繁に変化し、現実と内面的な認識の境界が曖昧に描かれています。これによって、読者は主人公の思考と現実の曖昧さに没入させられると同時に、不安定な感覚を抱かされます。このような心理的な揺らぎが、作品の特異な魅力を生んでいます。


このような点から、この小説はユニークで独自性が高く、風刺と哲学を織り交ぜた特異な視点から人間社会を描いていることが、他の多くの作品とは異なる点と言えます。



試し読み

1 火星のペンギンは人間のふりをする

 南国の正午に太陽は音もなく地上を焼き、一切の影を蒸発させる。南極では沈みかけの太陽が一日中浮かび、大地は一年中雪と氷に覆われている。そこはあまりに寒すぎるので世界中で猛威を奮ったコロナウイルスでさえ小さく縮こまっている。いつかは氷が溶けて、生物大爆発の時が来るかもしれないが今は命が凍る白と青の世界だ。しかしどんなものにも例外がある。皇帝ペンギンだ。彼らは子どもを産む時期になると、海から上がり、氷の上を何十キロも、時には百キロ以上も歩いて南極の営巣地を目指す。人間なら子作りのたびに夫婦揃って冬の富士山に登るようなものだ。そんなことをした夫婦は神話の世界でも見つからない。しかも彼らは出産後もヒナが大きくなるまでは雪と氷の世界に立ち続ける。オスは半年近くも飲まず食わずだ。それどころか体から絞り出した栄養をヒナに与える時もある。飲む方は雪があるのでしのげるかもしれないが食べ物は本当に何もない。南極はウイルスさえ育たたない不毛の大地だ。どんな動植物も存在しない。唯一の例外は、でっぷり太った同族達だが皇帝ペンギンはどんな苦境に立たされてもの振る舞いを崩さない。きっとイギリス人はペンギンから進化したに違いない。を発明したのはイギリス人だ。あの服はどこかペンギンに似ている。先祖の姿がDNAに刻まれているんだ。ペンギンブックスはイギリスの出版社だ。疑う余地はない。イギリス人はではなくだ。日本人もが起きると燕尾服を着るようになったが、それ以前はだった。あのふさふさした感じはニワトリそっくり。はトサカのり。日本にニワトリブックスはないが『ひよこクラブ』という雑誌はあるので『ニワトリクラブ』もきっとあるだろう。もちろん日本人も人類ではなく鳥類だ。それだけじゃない。アメリカ人も、中国人も、どこの国の人間もみんな鳥類だ。


 こんなことをいうと科学界からにかけられそうだが人間が猿から進化したなんて絶対に間違っている。恐竜→鳥→人間と進化したに違いない。三種の共通点は二足歩行。トリケラトプスみたいな草食恐竜は四足だが肉食は二足だ。このことから人間はティラノサウルスやラプトルの系列だと推測できる。どちらも恐竜界の人気者だ。


 動物園で猿と鳥の数を比べれば鳥が多い。ペットでも猿より鳥が多いはずだ。肉の生産量もたぶん鳥が一番多い。この人間の奇妙な鳥好きな傾向は人間が鳥類である証拠だ。もし科学界に詰められたら僕はすぐさま論破されるだろうが最後に『それでも人間は羽ばたいていた』と叫んでやる。


 ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために、異端審問にかけられ、最後はひざを屈しなければならなくなった。今となっては異端審問が非難されているがガリレオが生きている間は彼の方が非難されていた。現代では名誉を回復して科学界のになったが彼個人の人生は悲劇でしかない。でも地動説だって怪しいものだ。異端審問は間違っていたがガリレオだって間違っているかもしれない。本当は地球も太陽も止まっていて自分の目が回っているだけかもしれない。


 過去の発見は正しい。地動説でも太陽は地球の空をぐるぐる回っているし、相対性理論が出てきてもリンゴは木から落ちる。この世に間違いなんてなくて、どれも一面の真実を現しているのだろう。もしかしたらブラックホールの底で1+1がカボチャの世界が見つかるかもしれない。


 これから僕の語る一面の真実を聞いてほしい。途中でひっかかっても、ひっかかったまま進めば謎は氷解するはずだ。しなければ謝る。ごめん。こうやって先に謝るのは誰にも理解できないんじゃないかと不安なのもあるし、第一僕が十全に理解しているとは言い難いからだ。そもそもこの世に何かを理解している人なんているのだろうか? 現代でもソクラテスと話したら、みんな無知を暴かれるだろうし、彼が毒ニンジンを飲む結末も変わらないだろう。お前は何を言いたいんだと焦れている人もいるかもしれないが僕の文章は人生と同じで結末が最初に来ることはないし意味だってないのかもしれない。あぁ、言い訳がどんどん長くなる。よし、ここはズバっと言ってしまおう。


 人間は火星のペンギンに滅ぼされた。僕は人間最後の生き残りだ。


 どうだ驚いただろう。僕も最初は驚いた。どうして僕がそう思うようになったのかは明確な理由がない。日常のささいな積み重ねが揺るぎない証拠になった。刑事ドラマでいう、しっぽはまだ掴んでいないが絶対にクロというやつだ。五歳の時に僕はこの衝撃的な真実に気付いた。僕は人間の皮を被った火星のペンギン達に囲まれているのだと。


 たとえばだ。ペンギンは「ガー」と鳴いて、お互いの存在を確かめたり、拒絶したりする。言葉の意味を消化して、言葉を返すなんてことはしない。火星のペンギンも同じだ。彼らは「ガー」の代わりに言葉をやりとりするが相手の言葉なんて一瞬も腹に納めずに、声真似、いや、言葉真似した鳴き声を返しているだけだ。誰が聞いても、ご立派な言葉は発しているが、その実「ガー」「ガー」と鳴き合っているのと同じだ。


 小学校の時、僕は同級生に「ガー」とペンギンの真似をして挨拶をしたことがある。すると相手は目をぱちくりさせたが、僕がもう一度「ガー」と鳴いて首を下げると、向こうはニタリと笑った後に「ガー」と鳴いて首を下げた。あんまり相手を試すと不審がられるので、それをやったのは一度だけだが証拠はひとつ積み上がった。僕はこんな具合にあの手この手で周りの人間がみんな火星のペンギンであることを確かめていった。


 それ以上に僕が熱心だったのはペンギンの真似だ。もちろん水族館や海にいるペンギンではなく人間の皮を被った火星のペンギンの真似だ。もし僕が人間だとバレたら何かとんでもないことが起こりそうだったので命がけでペンギンの真似に人生を捧げた。僕の真似は完璧で決してしっぽは出さなかった。でも証拠はなくても疑うことは可能だ。ペンギン達はいつもうっすらとした敵意を僕に向けてきた。僕は人間だからどうしてもが出てしまうのだろう。向こうだって、いかにも人間でございますという顔をしていたがペンギン味を隠せていなかった。


 僕達はお互いに疑い、試し合い、信じ合えなかった。僕はいつ果てるともないスパイ合戦に疲れて「ペンギン共。本当の人間がここにいるぞ」と叫び、全てを終わらせたくなる衝動に襲われる時があった。またある時は、すれ違うペンギン一羽一羽に「君は人間のふりをした火星のペンギン……と見せかけて、本当は人間なんだろう?」と試したくなる時もあった。


 さて、おそらくこの文章を読んでいる君は人間のはずだ。人間以外の何かである確率はどう甘く見積もっても一〇%を超えないだろう。そして頭の回る読者なら、なぜ人間を滅ぼした火星のペンギンが人間のふりをする必要があるのだろうと疑問に思うはずだ。僕はこの疑問に至るまでに一〇年を要した。ペンギンに囲まれて、まともに物事を考えられる人間がいるだろうか? いや、いない。それを考えれば僕はノーベル賞級の発見をしたといってもいい。


 火星のペンギンがなぜ人間のふりを続けるのか。この謎を解くにはコペルニクス的転回が必要だった。天動説から地動説へ。今でも忘れられない。中学三年の一〇月、国語の授業で窓に揺れるカーテンをぼんやりと見ていると、突然あるひらめきが背筋を走り、僕は身震いした。もしその考えが誰かから聞かされたものだったなら僕はそいつを火炙りの刑に処しただろう。僕はすぐさまその考えを焼却した。しかし火の鳥が灰の中から何度でも甦るように真実もまた何度でもった。そしてとうとう僕は信じざるを得なくなった。火星のペンギン達こそが人間であり、僕が人間のふりをした火星のペンギンなのだと。


 ニュートン万歳。オッカムの。全てがシンプルに効率良く収まった。しかしどんな問題も形が変わるだけで決して解決しないものだ。物の見方は変わったが僕は相変わらず人間達からうっすらとした敵意を向けられていた。僕の真似は完璧だ。だからこそ不完全だ。現実界に人間のイデアが存在しないように人間達はみんなどこか非人間的なところがある。僕はそれをペンギン的だと勘違いしていたのだ。


 僕は火星のペンギン。最後の生き残り。息をひそめて人間のふりをしている。

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