[内容紹介]

就職活動に失敗し続け、社会に自分の居場所を見出せないタクヤ。彼は、努力しても報われない現実に苦しみ、自らを「駄目人間」と認めながらも、どこかでその認識を誰かに肯定してほしいと願っていた。現代社会の冷酷さや、運の力が支配する世界に生きる彼が見つめるのは、果たして希望か、絶望か──。

努力すれば必ず報われるという幻想を痛烈に否定し、社会に対する鋭い批判を投げかける哲学的な物語。タクヤの内面に広がる無力感、そして自分自身との葛藤を描いた本作は、現代に生きる私たちに「本当の成功とは何か」を問いかける。

現実の不条理を突きつけ、心を揺さぶる異色の作品。

ターンワールドができるまで

スマホでKindle Unlimitedを楽しむ方法

タクヤと登場人物の関係について

1. ジンジャー(猫)
タクヤの旅の最も象徴的な同行者が猫のジンジャーである。ジンジャーとの出会いは偶然だが、次第にタクヤにとって不可欠な存在となる。当初、ジンジャーはタクヤにとって「負担」であり、旅の障害の一つとして描かれる。彼はジンジャーを捨てようと考えるが、その度に思い直し、結局は面倒を見ることを選ぶ。このプロセスを通じて、タクヤの内面には次第に「責任感」や「他者への愛情」といった感情が芽生える。ジンジャーがいることで、タクヤは自分が完全に孤独ではないこと、誰かのために存在することの意味を理解していく。

2. ケイト・クライン
アメリカから来た女性旅行者・ケイトは、タクヤの旅における重要な人物である。元「シトラスクィーン」という栄光を持ちながらも、人生に満足できずに日本を旅するケイトと、社会に適応できずに彷徨うタクヤは、表面的には異なる背景を持つが、根底では「居場所を探す者同士」という共通点を持っている。二人は言葉や文化の壁を超えて互いに心を開き、時には微妙な緊張感を伴う関係として描かれる。タクヤはケイトの過去を知ることで、彼女もまた「完璧な存在」ではないことを理解し、互いの弱さを認め合う関係へと発展していく。ケイトはタクヤに「他者とつながることの意味」を教え、タクヤはケイトに「誰かに頼ることの重要性」を気付かせる存在となる。

3. サナゴウチさん
タクヤが旅の途中で出会うギターを弾く男・サナゴウチさんは、タクヤにとって「自由人」の象徴である。彼はタクヤに対して軽妙な会話を投げかけ、自分の価値観に縛られない生き方を見せる。借金を抱えながらも楽天的に生きる彼の姿は、タクヤにとって一種の衝撃であり、同時に羨望の対象でもある。サナゴウチさんはタクヤにとって「社会の外でも生きられる」という可能性を示す存在であり、タクヤは彼との交流を通じて「失敗」や「挫折」も人生の一部であることを学ぶ。しかし、彼の無責任さや刹那的な生き方には限界があることもタクヤは気付き、最終的には自分自身のバランスを見つけるための一つの対比としてサナゴウチさんの存在が位置付けられる。

4. まさやん
漁師のまさやんは、タクヤの旅におけるもう一人の重要な人物である。彼は豪放磊落な性格で、気前が良く、タクヤとケイトを助けることも多い。まさやんはタクヤにとって「現実的な強さ」を象徴する存在であり、彼の明るさや包容力はタクヤに安心感を与える。しかし、まさやんの存在はタクヤにとって微妙な感情も呼び起こす。特にケイトとまさやんの関係が親密になっていく過程で、タクヤは「嫉妬」や「孤独感」といった感情に直面することになる。まさやんはタクヤにとって「理想の大人」の一面を持ちながらも、自分にはなれない存在であることを痛感させる存在でもある。

タクヤが求めているもの

タクヤが求めているものは、『TURN WORLD』全体を通じて多層的に描かれており、彼の内面の葛藤と成長が物語の核となっている。彼の求めるものは一言で表すのが難しいが「自己の存在意義の確認」「社会からの逃避と再定義」「他者との関わりの模索」の3つに集約できる。

1. 自己の存在意義の確認
タクヤは社会に適応できない自分を「駄目な人間」と認識している。しかし、その自己認識は単なる自己否定に留まらず、「自分がなぜこうなったのか」「この世界に自分の居場所はあるのか」という問いに繋がっている。彼は社会の中での役割や成功を求めているわけではなく、むしろ「何も役割を持たなくてもいい世界」を夢見ている。これは、自己の存在そのものを肯定してくれる何かを無意識のうちに求めていることを意味している。

ジンジャー(猫)との関係は、この「存在意義の確認」の一つの象徴である。ジンジャーの世話をすることで、タクヤは自分が「誰かの役に立つ存在」であることを実感し、少しずつ自己の存在を肯定していくようになる。ジンジャーは彼にとって単なるペットではなく、タクヤ自身が生きる意味を見つけるための媒介であり、彼の成長の象徴でもある。

2. 社会からの逃避と再定義
タクヤの旅は、社会からの逃避であり、同時に自分自身を再定義するための旅でもある。彼は「この世界を終わらせたい」と願いながらも、その一方で新しい価値観や生き方を探している。社会の規範や期待に縛られることなく、自分自身の価値基準で生きることを模索しているのだ。

旅の途中で出会う様々な人々—例えば、ケイトやサナゴウチさん、まさやん—は、タクヤに異なる生き方の可能性を示してくれる。ケイトは過去の栄光に縛られながらも新たな人生を求めており、サナゴウチさんは社会の枠外で自由に生きる姿を見せる。これらの出会いを通じて、タクヤは自分なりの生き方を見つけるヒントを得るが、それは必ずしも簡単な道ではない。彼は常に「逃げること」と「向き合うこと」の狭間で葛藤している。

3. 他者との関わりの模索
タクヤは基本的に孤独を好む人物だが、完全な孤立を望んでいるわけではない。彼は他者との関わりにおいて「自分を受け入れてくれる存在」を求めている。ケイトとの関係はその典型で、異国の女性である彼女と心を通わせることで、タクヤは「他者との理解」が可能であることを学ぶ。ケイトとの旅は、タクヤにとって「自分が他者とどう関わるべきか」を探る機会となっている。

一方で、タクヤは他者との関係においてしばしば「依存」と「自立」のバランスに悩む。ミワとの関係では、この問題が顕著に表れる。ミワとの依存的な関係が崩壊することで、タクヤは「他者に依存し過ぎること」の危険性を理解し、同時に「孤立しすぎること」の空虚さも痛感する。この二重の学びを通じて、タクヤは「適度な距離感」を持った人間関係の重要性に気付いていく。

最終的にタクヤが求めているのは、「自分自身を受け入れること」と「他者と関わりながらも自立した存在であること」の両立である。彼の旅は、社会の外で自己を見つける試みであり、同時に他者との関係を通じて自分を再発見するプロセスでもある。タクヤの葛藤と成長は現代社会における「生きづらさ」や「孤独」といったテーマを深く掘り下げるものであり、多くの読者が共感を覚える部分でもあるだろう。

『TURN WORLD』のモチーフについて

 本作『TURN WORLD』は、現代社会に対する強烈な批評性を持ちながら、人生の迷いや人間の本質を探求する物語である。そのモチーフを紐解くことで、本作が持つ深いテーマや背景を理解することができる。

 まず、本作の主なモチーフの一つに「社会の不適合者」というテーマがある。主人公・タクヤは、社会に適応できず、働くことにも生きることにも意味を見出せない青年として描かれる。彼は自分を「駄目な人間」と認識しながらも、その境遇に完全に甘んじるわけではなく、世の中の理不尽さや欺瞞を冷徹に見つめている。この姿勢は、ショーペンハウアーやニーチェの哲学にも通じる「世界の不条理」との対峙の構図を彷彿とさせる。タクヤが旅をすることは、現実世界に対する彼なりの反抗であり、逃避であり、また新たな価値を見出そうとする試みでもある。

 また、「社会からの逸脱と新たな共同体の形成」も本作の重要なモチーフの一つだ。タクヤは旅の途中で様々な人々と出会う。例えば、野宿をしている人々や、社会の枠組みから外れた生活を送る者たち。彼らはそれぞれが社会から排除されながらも、独自の価値観を持ち、助け合いながら生きている。これらの出会いは、社会の基準では「敗者」とされる人々が、別の価値観のもとで生きる可能性を示唆している。これは、既存の社会制度や資本主義の枠組みを批判する視点とも結びつき、現代の「生きづらさ」を浮き彫りにしている。

 本作の最も根幹にあるモチーフは「世界の終焉」と「再生」だ。タクヤは旅の途中で「この世界を終わらせる」という願いを抱く。しかし、それは単なる破壊衝動ではなく、今の世界に対する深い失望と、新たな世界への希求である。本作では、社会のルールや価値観に縛られた世界が否定される一方で、旅を通じて出会う人々や、タクヤの内面に生じる変化が、新たな世界の可能性を示唆している。この「終わりと始まり」という循環構造こそが、『TURN WORLD』というタイトルの意味にも繋がっているのかもしれない。


他の小説と何が違うか
 主人公タクヤの視点を通じて、現代社会における無力感や疎外感をリアルに描いています。この物語は、タクヤが感じる社会の不条理や理不尽さを深く掘り下げ、個々人の努力や才能が必ずしも報われないという現実を強く描写しています。多くの物語では、努力や信念が最終的には報われる展開が期待されがちですが、この小説では、努力だけではどうにもならない「運」の要素を重視しており、努力至上主義に対する鋭い批判が込められています。

 さらに、物語の舞台設定が、非常に具体的かつ日常的なものです。タクヤの日常は、就職活動の失敗や家庭内の微妙な緊張感、社会からの疎外感に満ちていますが、これらは多くの人々が共感できる現実的な悩みであり、物語全体が極めて現実的であると同時に、心理的な重みを持っています。特に、河川敷や電車といった身近な場所が物語の中心となり、幻想的な逃避がほとんど存在しないため、読者に対して「これは自分の話かもしれない」という錯覚を与えます。

 また、この物語はタクヤの内面の葛藤を中心に描かれている点でも特徴的です。多くの作品では、外部の敵や問題が主人公に挑戦を与える形が主流ですが、ここでは、タクヤ自身が最も大きな敵であり、彼が自分自身と向き合い、自己嫌悪や無力感と戦う様子が描かれています。この内面的な戦いは、読み手に深い感情的な共感を呼び起こすだけでなく、現代社会における自己認識や承認欲求、社会的な役割に対する考察を促します。

 さらに、物語の哲学的な要素も大きな違いです。例えば、物語中に登場する「この世の平等思想には根本的な間違いがある」という言葉は、単なるフィクションの枠を超えて、社会に対する批評や疑問を提起しています。読者に「平等とは何か」「努力とは何か」「成功とは何か」という問いを投げかけ、答えを見つけるよう促します。

 他の物語と比較して、エンターテインメント性よりも、現代社会に対する鋭い洞察と、内面的な苦悩を描くことに重きを置いた作品である点が「ターンワールド」の独自性を際立たせています。



試し読み

1 BAD WORLD


1 最悪の世界


 この世は最悪だ。

 証拠品A、B、C、D・・・・・。

 そこにまたひとつ証拠が積みあがる。

 朝から嫌な物を見た。タクヤは不採用通知を机の引き出しにしまった。同じような封筒は引き出しからあふれそうになっている。

 自分が駄目人間ということは分かっている。だからといってそれを誰とも共有したくはないし、話したくもない。しかし駄目な人間だと認めて欲しいという気持ちもまたある。

 最近タクヤが考えることは誰もが認める権威のある人からこう言い渡されることだ。

『君は人間的には悪くない人間だ。でも社会的には駄目だね。おっと、何もかもが駄目ってわけじゃない。ただ社会的有用性という意味においては劣等だ。悪いのは君じゃない。君だって駄目人間になりたかったわけじゃない。でもこればっかりは巡り合わせだからしょうがない。世間では誰にでも無限の可能性があって、努力すれば何にでもなれるなんて嘘を吐くけれど、それを言う本人がどれだけ努力しても100メートルを9秒で走ることはできないし、永久機関を作って人類のエネルギー問題を解決することもできない。もって生まれた才能が誰にでもあるのさ。だけど連中は才能というものを認めても、努力すればそれなりにできるようになるなんて苦しい言い訳を続ける。だけど高い才能があるなら低い才能もあるわけで、人は才能以上の事はできない。世の中には100メートルを100秒で走る才能もあれば、エネルギーを無限に消費するだけの才能もある。君には社会を駄目にする才能があるようだ。だから社会へ出るのは止めてくれ。これはもう社会貢献だよ』

 世界が自分の事を駄目な人間だと認めてくれて、何の役割も持たないでいることが許されている世界。むしろそんな世界でならタクヤは100メートルを9秒で走り、人類史上誰も成し遂げられなかった大発明もできるような気がした。

 しかしこの世は誰でも努力すれば人並みの人間になれるとされているので普通になれないのは努力していない、さぼっていることの証明にされてしまう。こんなに苦しいことはない。翼もないのに崖から飛べと背中を押されたり、エラがないのに海に潜れと急かされている。誰がそうしているのか。それは姿を持っていない。しかし、幽霊よりも確かな存在感でタクヤを急き立てる。

2 身近な別世界


 講義が終わるとタクヤは誰とも言葉を交わさずに大学を出た。

 駅に着くとちょうど電車が来た。昼間の電車は人が少なく、がらんとしている。タクヤが席に座ると電車が走り始めた。

 カタンコトンと体を揺られていると河川敷が見えてきた。大きい川なので河川敷も広い。河川敷には丈の高い草に埋もれるように木の板やブルーシートでできた屋根がいくつもある。この河川敷が自分の行き着く場所になるだろうとタクヤは予感していた。

 電車はすぐに川を越えて、窓から見えるのは店や家の裏側ばかりになった。

 実はさっき見た河川敷ではなく、もう少し上流にある大きな古い橋へ行こうとタクヤは考えていた。その橋の下なら、電車が近くを通ることもなく、雨や太陽をしのぐことができる。それに人通りも少なく、知り合いに見られることもないだろう。

 タクヤは家に帰るとベッドに倒れこんだ。そうして何もしないうちに時間が経った。何かしなくてはならないと気持ちが焦ったが、そのまま夜になり、何もしないまま夜が過ぎた。

3 暴かれたこの世の真実


 朝起きて下に降りると父がいて、朝ごはんと弁当を作っていた。珍しく早起きしたタクヤを見て「お」と声を出す。

 タクヤは父の脇でパンをトースターに入れた。二人とも何も話さなかった。息の詰まる雰囲気が続いた。

 結局、父が家を出るまで何も話さなかった。

「父さん、もう仕事に行った?」

 父が家を出ると母が起きてきてタクヤに訊いた。

「行ったよ」

 タクヤが答えると母の関心はすぐにタクヤに移った。

「大学は?」

「休み」

「休んでばかりね」

「講義なんてもうほとんどないよ」

「卒業してもそんなんじゃ嫌だからね」

 タクヤは逃げるように部屋のベッドに倒れこんだ。あっという間に昼になった。

 見果てぬ冷たい砂漠にただ一人、何も持たされずに立たされている気分がする。棒を立てれば倒れてしまい、種を蒔けばその場で凍ってしまう不毛の大地。水のない乾いた場所。それでいて水の中にいるような息苦しさがある。

 若さには無限の可能性があるなんて真っ赤な嘘で、その人が持つ資質、才能、環境で可能性は限られている。努力が足りないなんて言葉は努力している人を侮辱している。いや、この世の誰もが自分の資質、才能、環境で努力している。社会はその結果しか見ない。成功すれば努力のおかげ、失敗すれば努力が足りなかったとされる。

 この考え方には根本的な間違いがある。誰もが平等だということだ。

 生まれた時点で体重の差があり、病院の差があり、健康の差がある。赤ちゃんは裸で生まれてこない。見えない産着に包まれて生まれてくる。生まれてからも親の差があり、環境の差があり、運というものまで絡んでくる。

 この世の平等思想は出発点で誰もが同じスタートラインで始まることを根拠にしていて、なおかつ同じコースを走ることが想定されている。でも実際はリムジンの厚いシートに座りながら真っ平らな道を走り抜ける人もいれば、両足を切り落とされた上に鉛を背負わせられて坂道を這わなければならない人もいる。

 一番腹が立つのは歩く歩道を走っている人だ。リムジンに乗っている人はかえって自分の恵まれた環境を自覚しているが、こういう人は『俺は努力したからここまで走ることができた』という自尊心を持っている。それだけならまだ良いが、こういう人は他の人にも自分と同じだけの距離を走らせようとする。できないのは全力を出していないからだと非難する。

 彼が努力したのは真実だろう。しかしそれは片手落ちの真実で、足元が歩く歩道だったからこそ彼はそこまで走ることができたのだ。

 努力したから成功したというのは傲慢でしかない。それよりは努力では手に入らない運や才能を認めることによってこそ、成功の価値が出てくる。

 タクヤはどれだけ鍛錬しても100メートルを9秒で走れない。だからこそ100メートル9秒で走ることは素晴らしい。これが100メートル100秒なら話にもならない。

 この世で起きる出来事は運と才能に左右される。いや、才能も自分で選べないから究極的には運の一点に集約される。

 正直なところ、他の誰かがタクヤと同じ人生を送っていれば、ここまで生きてこられなかっただろう。タクヤは他人の五倍はがんばっている。もしこの世の努力が全て報われるなら、今頃タクヤは世界総理大臣になっていなければおかしい。

 全ては努力×運のかけ算で成り立っている。これは努力すればなんとかなるという意味ではなく、運が0ならどれだけがんばっても0ということだ。

 運の数値1を人並みとするなら、運の数値が0・5なら人の二倍努力してやっと人並み。しかし体は一人に一つ、人の倍努力することなど不可能だ。

 タクヤは自分の運が0だとは思わないが、0・000……と0がいくつか続いた後にやっと6がつくぐらいの運しかないだろう。人並みになるには生身で空を飛ぶぐらいの努力をしなければならない。つまり不可能ということだ。

 これ以上考えは広がらないので、ここがゴール。この世の真実だ。

4 幸運の誤謬


 父が帰ってくると一緒に夕飯を食べた。できれば一緒に食べたくないが、外で食べる金もなければ気力もない。早く食べて部屋に戻ろうと考えていた。

 タクヤは飲み込むように夕飯を食べて、まだ熱いお茶を吹いて冷ましていた。両親はまだ食べている最中だったが突然食卓に張り詰めたような静けさが広がった。

 ほどなく父が口を開いた。

「就職は決まったか?」

「ううん、まだ」とタクヤは答えた。

「この時期に決まらないなんてこともあるんだな。選り好みしていたら入れるところも入れないぞ」

「うん」

「真剣にやっているのか?」

「やってる」

「不況だなんだといっても全員が駄目ってわけじゃない。ほとんどの人は職を見つけて卒業するんだから、お前だってどこかに入れるはずだ」

 まだ熱いお茶を一気に飲むとのどが焼けた。タクヤは席を立った。

 タクヤは部屋に戻ると運が良い人の特徴をネットで調べた。

 いつも笑顔の人、積極的な人。どのサイトも同じようなことが書いてあった。

 馬鹿かとタクヤは心の中で叫んだ。金持ちが大きな家に住んでいるから、大きな家に住めば金持ちになるということぐらいおかしな話だ。普通の人が同じことをすれば破産するだけだし、そもそも大きな家を建てることすらできない。金持ちが大きな家に住んでいるのは金を持っているからで、運の良い人がいつも笑顔で積極的なのも運がいいからだ。やることなすことうまくいけば誰だってそうなる。

 玄関の郵便受けがカタンと鳴った。タクヤが玄関へ行くと茶封筒が一つ郵便受けに挟まっていた。封筒はタクヤ宛てだ。差出人の会社をタクヤは憶えていた。

 駅裏にある小さなビルの四階。従業員は七人。面接に行った時は三人しか姿が見えなかった。面接を受けたのはタクヤ一人だけで社長が直々に出てきた。仕切りを立てただけの応接間で低いテーブル越しに対面した。社長は目が鋭くて、顔には巻き毛のヒゲがびっしりと生えていた。面接が終わるとお互い冷めたお茶を一気に飲み干し、社長が「ぬるいな」と言って笑った。

 タクヤは部屋に戻ると封筒を手で破り中の紙を広げた。

「誰から?」

 部屋の外で母の声がした。

「受かったみたい」とタクヤは言った。

「何?」

「よく分からないけれど受かったみたい」

「どういうこと?」

 母が部屋のドアを開けて入ってきた。タクヤは持っていた紙を母に渡した。母は一度下まで目を通してからまた上に目を戻した。

「ふ~ん、良かったね」と母は採用通知を返した。

 タクヤはそれを封筒に戻すと机の引き出しに入れたが、やっぱりまた机から出して机の上に広げた。

5 ああ、素晴らしき世界


 まぶたが意志を持って開いているようだった。息を吸うと清らかな水が手足に満ちていくようで自然と体を動かしたくなった。

 下へ降りると父が朝ごはんと自分の弁当を作っていた。

「おはよう」とタクヤは父に声をかけると、パンをトースターに入れた。それから父とは何も話さなかったが、そこにいるだけでみずみずしい幸せを感じた。

 世界は素晴らしい。この世は誰もが幸せになるために生まれてきた。幸せはいつもすぐそこにある。心を開けばその瞬間に幸せになれるのだ。

 父は朝食も着替えも済ませると、家を出るまでニュースを見ていた。二人は何も話さなかったが、父は出際に「学生は気安いな」と言った。

 タクヤは部屋に戻ると服に着替えた。それだけで体の底から幸せを感じた。何故この世はこんなにも素晴らしいのか、今この瞬間を切り取って永遠に時を止めてしまいたかった。

 世界は変わった。空の限りない青さを感じ、太陽から降り注ぐ光線がはっきりと見えた。それら全てが相互に影響し合って世界を幸せにしている。この素晴らしい世界は今までどこに隠れていたのか。いや、世界はずっとここにあった。タクヤは自分から目と耳を閉じていただけだ。

 大学へ行くとワタナベ君が前を歩いていた。彼とは仲が良かったが、最近はタクヤから彼を避けていたし、彼もタクヤを避けていたので、ほとんど話すことはなかった。

 タクヤは足早に近付き、彼の丸くなった背中を叩いた。

「よっ、おはよう」

 予想外に大きな声が出てタクヤは驚いた。ワタナベ君も目を丸くしていた。

「あ、あぁ。おはよう。ビックリした」

 ワタナベ君の声は小さく、タクヤに届けるのがやっとという感じだった。昨日までのタクヤもこうだったのだろう。

「最近どう?」とタクヤは言った。

「まあまあだよ」

「就職活動とかどうしてる?」

「まあ、やってる」

「僕は内定が出た」

 ワタナベ君が眉を上げた。

「へえ、どこ?」

 タクヤは昨日内定が出た会社の名前を言った。

「やったね。就職活動はまだ続ける?」

「もっといい場所が見つかるかもしれないからね」

「やった方がいいよ。選択肢はたくさんあった方がいいから。それにしても良かった。おめでとう」

「うん。がんばっていれば必ず結果はついてくるよ」

 ワタナベ君はまだ内定を取っていない。彼の様子を見れば聞かなくても分かった。タクヤはどうすれば彼を幸せにできるか考えたが、答えは出せなかった。

 家に帰ったタクヤはベッドに横たわると、あの会社で働く自分の姿を想像した。タクヤは慌しい事務所で電話を片手に何かの書類を見ている。初めは頼りなくぎこちないが仕事を覚えていくうちに有能な働き手となり会社を引っ張っていく。それで大きな自社ビルを建てて、その頃には社長のヒゲも白くなっていて、壁に貼られた値札に『時価』と書いてある寿司屋で社長と酒でも飲みながら『この会社がここまで大きくなれたのは君のおかげだ』なんて言われる。そんなことを考えていたのにタクヤは別の会社に電話をかけていた。一度落ちた会社だがまだ募集していないか訊いた。すると話を聞いてもいいということになり、いきなり面接の日取りが決まった。

 二日後に面接だった。日常業務の合間に面接の時間を作ったという感じで慌しかったが反応は悪くなかった。その結果が出る前にまた別の会社の面接を受けた。

 この世は門を叩けば開かれる。世界は正面からぶつかっていけば受け止めてくれるのだ。世界にはバラ色の絨毯が敷かれている。
 
(↓続きはこちらから)

ターンワールドができるまで

各国のAmazonでも販売しています(日本語版)。
『Ushino Syousetsu』で検索!