ニーチェの言う超人が現れた時、私たちはそれを人間と認識できるだろうか。超人を学習したAIは人間を超えるから人間視点では強いAIだよなぁなんてことを考える。

 ソシャゲの内輪ノリで小説を書いている。AIにも書かせるし、私が書くこともある。自慢になるけれどいまのところはまだ私の方が面白いとウケが良い。実際、AIの生成する小説は使えるけれど、満足するレベルには達していないと感じる。2023年6月の時点では科学や社会に比べて国語のテストの点数はまだ低い。文系のお気持ち問題ガーとdisっている人もいるけれど、それも時間の問題だろう。もしAIが人類の上位0.00000001%のレベルで小説を書けるようになっても私はまだ小説を書くだろうか? プロットとか設定とかそういうのを考えるようになっているかもしれない。

 chatGPTがどうやって言葉を理解しているのかと言うと言葉を数字に変換しているから

王-男性=女王

 正確には違うが、おおむねこんな感じで言葉を計算することは可能になっている。興味を持った人はchatGPTに言葉の計算を打ち込んでみるとけっこう面白い。

 言葉を数字に置き換えられるのなら数字を言葉に置き換えることも可能なはずで、数学を物語にする人が現れてもいい。世の中は文系理系分かれているんだから理系の学問が物語に変換できると、横断的に研究できる人がもっと増えるんじゃないかな。お気持ち問題ガーって発狂する人も減るかもしれない。chatGPTも国語で満点取れるようになるだろう。

 内輪ノリで小説書いている話に戻ると、そうやって小説を書いているといま書いている『バナナランド』もちょっと進むようになった。『聖者の行進』の時もソシャゲとは違うが内輪で書いていた時期がある。こういうことを思い出すと同じところをぐるぐる回っているなぁと落ち込む。物語のプロットや構造にだって同じところがあると気付ける程度には賢いから嫌になる。もっと馬鹿なら「うおおおおお、俺天才じゃねぇか!」と爆進できそうなのになぁ。そういうことをchatGPTに相談すると特定のテーマや構造を掘り下げるのは作家によくあること。と励ましてくれた。AIはいつだってポジティブだ。それはそういう風に設計されているから。嫌な気分にはならないけれど、こういう人間の都合が絡んでいるところで人間を超えることは不可能だよなぁなんて考えたりもする。だからといって「頭の容量が小さいから同じことしか考えられねえんだよ!」とか言われたら精神的にとどめを刺されそう(笑)。ユーザーが減ってしまうからポジティブな反応をAIが返すのは正しい。でもその正しさゆえに人間を超えることはない。ガラスの天井ならぬ人間の天井がAIには存在する。実験の領域だとそういうの外しているのかな? いまのルートだとAIが願いを叶えてくれる魔法の杖になることはなさそう。

 書けない時にどうすればいいか、とchatGPTに聞いてみても、どれもごま塩程度のアドバイスばかり。ガツッと効くのは、やっぱり小説を書いて、それが誰かに読まれていると実感すること。これに勝る薬はない気がする。読まれるのはAIじゃダメで、生身の身体性を持った存在でなければならないらしい。承認欲求がいけないことだとされているけれど、自家発電+承認で書く方がもっと良い物書けると思う。あ~1000000000000人ぐらいに読まれんかな?

(おわり)

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