『ずっとやりたかったことをやりなさい』というワークブックを7週間続けた。これといって劇的な変化はないけれど分かったことはある。このワークブックは想像性全体を伸ばすもので、小説が書けるようになる本ではないということ。ピザやケーキを焼いたり、部屋の模様替えをしたり、庭に木を植えたり、新しい人の曲を買ったり、まぁそんな感じのことをやっていて、小説を書くという行為だけで見るならば、やっぱり雑感帳の方が良いように思われる。

 でも記録を残すというのは面白いものだ。『生存回路』を書き始めてから数年は書けない日がなかったが『ペンギンと太陽』からまた書けない日を味わっている。いや、本当に今週は全然だった。そういうことをモーニングノートに毎日書いていると、執筆って元々七転八倒しながら書くものだったじゃないかと思い出せることもある。

 先週はAIと統計分析の本を読んでいて、前からシンギラリティ()機械学習()なんて思っていたけれど、やっぱりそうだと確信を強めた。ここ数年はディープラーニングという言葉が流行っているけれど、やっていることは統計分析と検索でしかない。とはいえ、人間も実は生きた検索機械なのかもしれない。そもそも現代の科学では人間が思考しているかどうか分からないのだから、機械に知能があるかも分かりようがないし、もしかしたら人間が思考しているかどうか分からないのは思考していないからかもしれないしね。僕達はみんなウォーキングデッド。哲学的ゾンビだ。既に全ての物語は書かれてしまったという言葉があるように自分の小説を読んでいても、過去の小説に類似しているところはいくつもある。意地悪な人に言わせればオリジナリティなんて0かもしれない。自分はまだ自分の物語を書いていると信じてはいたいけどね。たぶん他の人も同じだと思うし、それは二次創作している人でそうだろうし、もしそう思えないのならどんな物も書けない気がするな。自己肯定感が執筆の燃料だ。

 なんてことを書いても、今週は全然だった。何回も書くけど本当全然だ。先月は10月にはもう書き終わっているだろうな、なんて考えていたが、今月は来年になっても終わらないかもしれないぞ、と思っている。何にも書けない時は過去の記録をさかのぼることにしている。その日に書いた量、食べたもの、使ったお金、筋トレしたかどうか、全てを記録しているわけではないが気が付いた物は何でも記録している。でも読んだ本は記録してないな。なんでだろう? AIといえばgoogleだ。google自体もAIを作っているが、解析の指標としてgoogleのデータがよく出てくる。というか、たぶん絶対に出てくる。
googleすげえな、といつも感心していたのだが、ふと自分の情報もgoogleにあるんじゃないかと調べてみる。まずは『google マイアクティビティ』で検索、っと‥‥‥ 

うわあああああああああああ!

 googleヤバすぎぃ! GAFAとか言っているけどG一強じゃねえか! SNSのログインもAmazonの履歴も残ってる! おまけにソシャゲーのログイン記録まで残ってる! こりゃアメリカでGAFAを規制する議論が起こるのも分かるわ。中国共産党より人のプライパシーに踏み込んでる。利便性をペイしてくれていなかったらギロチンにかけられていてもおかしくはない。と、一通り驚いた後でグーグルマップのタイムラインという機能で私がいつどこへ行ったのかという情報を見てみた(行った場所で撮った写真まで見せてくれる)。それでふとひらめいて、執筆がはかどり始めた転換点を確認してみる。やっぱり。毎日4ページ書ける流れになった前日には車で100km以上移動している。もしかしたら車で移動した分だけ小説が書けるのかもしれない。絶対に論理が繋がらないけれど、機械学習的にはそういうことだろう? 帰納法だ。そこで私の中にあるAIが「よし、お前。データを取るために今日は100km以上車で走ってみろ」とささやく。というわけで今日はこのあと車を洗って、2時間ほどドライブするつもりだ。

二時間だけのバカンス [feat. 椎名林檎]

 googleに何もかも握られているけれど、どうせ握られているなら有効活用しない手はない。毒を食らわば皿までだ。自分を分析するツールとして使ってやる。

(おわり)

追記:100km以上のドライブと小説は繋がりそうにないけれど、私の小説は主人公がよく移動するし、なんなら移動中の時の方が筆がノリノリの様な気がしないでもない。私はドライブしている感じを小説で書いているのかもしれない。自分ではそう思わないけど。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア・キャメロン
サンマーク出版
2012-11-05


追記2:『ペンギンと太陽』のまえがきとあとがきに引用してくれと書いたのには理由がある。コロナウィルスみたいに小説を拡散するにはどうすればいいのかと考えて、ウィルスみたいにコピーされたら拡散するのではないかと考えた。これは『ペンギンと太陽』にルル子さんの世界一のファッションデザイナーについての考えで既に書いていたと後で気付いた。ただコピーされるだけだと免疫ができるので、読者のコメントがあればそれが多様性を担保して免疫ができるのを防げるのではないかとも考えた。作中のセンテンスは遺伝子で、コメントは突然変異だ。これでコロナウィルスみたいに感染を広げてやるぞと計画していたのだが、パンデミックは起こらずに収束。いや~まいった。こんな恥をあえて書くのも『ずっとやりたかったことをやりなさい』に喪失を受け止めるというワークがあるからで、私はジュリア・キャメロンにすっかりハマっているのである。『タクシードライバー 』の監督マーティン・スコセッシもこのメソッドを使っているらしい。いつかモーニングノートで小説に辿り着くことはあるのだろうか? なんかケーキとかスコーンばっかり焼いている‥‥‥。5年後、私はお菓子屋になっていたりしてね。



タクシードライバー (字幕版)
シビル・シェパード
2010-10-01



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