PCM
月狂四郎
ルナティック文藝社
2020-04-19


 物語に予言は付き物だ。シェイクスピアの『マクベス』みたいなものもあれば日本昔話の『卒塔婆の血』みたいにナンセンス予言もある。『PCM』もまたナンセンス予言タイプかもしれない。主人公の五郎は亀田三兄弟を思わせるボクシング家庭に生まれて、スパルタ戦士さながらの力こそ全ての世界で育つのだが、ある日父親は息子達にこう言い放つ。

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「お前たちはボクシングで大成できなければ死ぬだけだからな」

 その予言通り五郎が家出=ボクシングからの卒業を目指すと人生が暗転し始め、途中で色々あるが闇の地下闘技場で勝たなければ死という状況に追いつめられる。
 ちなみにこの闘技場、闇だけあってグローブに石膏が仕込んだ選手が出てきて、対戦相手を無慈悲に打ちのめす場面を最初に見せられる。何でもありというわけだ。

 しかし、五郎は負けたら死という状況で、なぜか卑怯な手は使わない。ボクシング上の駆け引きはしても、グローブに石膏は流さないし、ブレイクの後に後ろから奇襲をかけたり、血を相手の顔に吹きかけたり、相手の足を踏んでラッシュをかけることもない。ただ勝ちたいのではなくボクシングで勝ちたいのだ。

 ここでまた父親の影が出てくる。

 実はこの主人公が家出した理由というのが、自分が見つけた異質なボクシングスタイルで兄に勝ったのに父親に叱られたからなのだ。反発しているようでいて、実は死んでも父親の言う通りになっている。こう書くと父親が毒親のようだが、彼の異質なボクシングは素人にはともかく、プロに全然通用しないのである。フリッカージャブを打つたびにピンチに陥っていく。とうとう最後の砂川という男と戦った時には、全然通用しなくて万策尽きてしまう。

 やくざを得意のフリッカージャブで打ちのめして逃げる手もあったのに、戦いを選んでしまうのは体に染みついた父親の予言をなぞってしまったのかもしれない。

 そうだ。父親ではないが父親のようなことをする人間がいる。それは地下闘技場でやくざが用意したセコンドの日下部だ。彼は五郎の父親とは違って、口は出すし、手も出す(ミットを着けた手で)。

 父親の予言通り五郎がボクシングで大成して幸せを掴むのか、失敗して死ぬのかはどうでもよくて、究極のところ五郎が予言を無視できるかに尽きるんじゃないのかな。

 さて、実はもうこれ以上は書くことがない。

 結局『PCM』ってなに? ということだが、

 ・・・・うん、そうだな・・・・

 それはつまり・・・・
人生・・・・だあっ!
キャシアスクレイのグローブ

(未完)

このマンガがオススメなんだ。闇の闘技場が出てくるんだ。



※余談だが題名の『PCM』とはパチンコで負けたの略らしい。それと表紙はえっちだけど、えっちしない。

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