この前、青空文庫にヘミングウェイの『老人と海』があるのを見つけた。外国の作家が青空文庫にあったのもそうだし、ヘミングウェイがパブリックドメインになっていたのにも驚いた。彼の死後50年経っている。他の作品はないので『ヘミングウェイ パブリックドメイン』で調べてみると、戦争期間中の著作権は伸びて計算されるので(国によって著作権の保護期間は違う)、戦後に出版された『老人と海』はパブリックドメインになり、戦前の作品はまだパブリックドメインではないという不思議な状態なのだそうだ。ちなみに全ての作品がパブリックドメインになるのは2031年。

 前に『老人と海』の語句を調べていて、日本語でも分からないので原文から意味を探っていると、意外と意訳が多いことに気付いたし、段落や文章のつなぎ方や切り方も違うことを知った。

 絞轆(こうろく)というサメを吊るすために使った道具があるのだが、私ならそれを吊り鉤と訳すだろうとか考えていた。英語で読みきった本なんて『不思議の国のアリス』ぐらいの人間が不遜にも翻訳家に茶々を入れたわけだ。ちょっと気にかかったところなんかは頭の中で訳して、それが手元の『老人と海』と違うと、ちょっと嬉しくてグフフと心の中で含み笑いをしていた。私が読んでいたのは新潮文庫版の福田恆在という人が訳した物で発行されたのは昭和41年。それから元号は二回変わったし、そりゃあ時代的な文章だと感じるわけだ。

 そういう経緯もあって『老人と海』がパブリックドメインになったのなら自分で翻訳して公開してやろうという野心を抱いた。しかし翻訳する前に他の翻訳はどうなのかと光文社版の『老人と海』を読んでみたら、現代風のすっきりした文章になっていたので驚いた。2014年の翻訳らしい。マジか。と何度も心の中で驚きつつ、最後まで一気に読んでしまった。これがあるならあと20年は訳す必要はない。

 そう思っているくせに、グーテンベルクから原文をコピペしてローソンで印刷してきたり、英和辞典を二つ本棚から引っ張り出してきたり、訳そうとする色気が消えてくれない。色気は消えないがまだ一文も翻訳していない。結局どうしたいんだか自分でも分からない。今のところ翻訳する気はないが、翻訳しない気もない。もしかしたら20年かけて翻訳するのかもしれない。ないない尽くしだが原稿のコピーは机の上にある。

(おわり)
ヘミングウェイ