人類の滅亡はFOXTVのドラマみたいに劇的ではない。最初に起こったのは大規模な停電の続発、スマホのバッテリーが切れると情報の断絶、そこからは何も分からなくなった。異常事態に誰もがパニックになり、生き残れたのは運の良い奴か、始めからずる賢く立ち回った奴らだった。

 FOXTVのドラマみたいなことが一つだけある。それは世界がゾンビに満たされたってこと。俺達にとって幸運だったのは最近流行の走るゾンビじゃなくて、古典的な動きののろい奴だったことだ。でもこれまたドラマみたいにいかないことがあって、奴らは頭をナイフで刺したり、銃で撃ったりしても動きが止まらない。脳幹をしっかり破壊しないと動き続ける。リアリティありすぎ、いや、これはリアルか。

 俺は初瀬明生という男と一緒に逃げていた。奴は小説家で『Fire marks』という自分の本をいつも肌身離さず持ち歩いていた。ハードカバーの初版だそうだ。

「それ燃やしちまえよ」と俺は言うのだが、初瀬は首を横に振る。俺も本気で言ったわけじゃない。でも本ってのは良い焚き付けになるんだ。薄い紙の束だからな。略奪で最初に無くなったのは食料、次に本だった。今、本屋に入ると出版不況が嘘だったみたいに本棚は空だ。もしかしたら『Fire marks』が世界最後の一冊かもしれない。もう何ヶ月も本を見ていない。

「アッ、アッ、アッーーーーーーッ!」

 俺達が茂みで休憩していると叫び声が聞こえた。バットを手に取り、そっと様子を窺うと、道路の真ん中で若い男が生きながらゾンビに食われていた。

「どうする?」

 俺は初瀬に訊いた。彼は首を縦に振った。

 俺と初瀬はバットを持って、惨状の現場に近付いた。ああ、なんてこった。若い男の生き血をすすっていたのは近所の山田さんだった。俺が住んでいたところからだいぶ離れた場所まで来ていたが、意外なところで出会った。もしかすると旅行か何かで来ていて、この土地でゾンビになったのかもしれない。

「アッーーーー!」

 山田さんは俺達に気付かなかったが男は気付いた。必死の形相で俺達に助けを求めている。脇にバットが転がっていた。山田さんのおでこはへこんでいる。バカな奴。ゾンビを一匹倒したところで意味はない。体力は温存した方がいいのだ。無駄にリスクを背負う奴は遠からず命を落とす。俺達は生き血をすする山田さんをそのままにしてその場を離れた。ゾンビになる前の山田さんが「はぁ~・・・・・・誰かこのイライラを250円ぐらいで買い取ってくれないかな」と言っていたことを何故か思い出した。

 夜になると俺達は『寅壱』という店に潜り込み夜を過ごした。夕食は若い男が持っていたチョコバーだ。

「なあ、時々思うんだ」と初瀬は言った。「もし俺達がまだ行っていない場所で、世界がこうなる前の世界があったら許せないだろうなって」

「俺達が必死こいてゾンビから逃げ回っているのにダークソウルやってましたじゃムカツクよな。俺達はリアルでソウルがダークなのに」

「でもそういう世界がないとしたら絶望じゃないか? 俺達はどこへ行こうとしているんだ。でも俺は世界がゾンビに満ちて欲しいとも思っている。世界中で一人残らず俺達と同じようにゾンビにビビッていて欲しいんだよ。ゾンビのいない場所で安心して眠っていられるなんて許せない」

「そんな気持ちが世界にゾンビを広げたのかもしれないな。もしまだ日常が残っている世界があったなら俺はゾンビを放り込んでやりたいよ」

 それから俺達は交代で眠ることにした。初瀬は焚き火の光で『Fire marks』を読み始める。俺も読むことがあるが、いつも13ページ目で本を閉じてしまう。初瀬はもう何十回も読んでいた。ホントに大したもんだよ。俺なら眠っちまうね。

 それから俺は眠っていたのだが激しく揺り起こされた。ゾンビが来たのかと慌てて飛び上がったが、そんな感じではなかった。でも初瀬は驚いた顔をしている。

「どうしたんだよ」

「人の声がした」

「どこで?」

「ラジオから」

「ラジオだって。そんなもんとっくの昔に放送終了だろ。FMAMも砂嵐しか聞えない」

「でも聞こえたんだよ。周波数をいじっていたら若い男の声が聞こえたんだ」

「夢でも見ていたんじゃないか。しっかりしろよ。寝ている間にゾンビにかじられたくなんかないぞ」

 だが初瀬の言っていたことは本当だった。次の日、初瀬がラジオをいじり続けていると、本当に若い男の声が聞こえた。

「この放送が聞えているか。僕はオオキボウイチロウ。君は一人じゃない。希望はある。僕達はきっとこの災難を生き延びるだろう。安全な場所がある。場所は・・・・・・」

 それから男は地名や、辺りの様子、緯度経度で場所を示した。しかし俺も初瀬にもそれがどこにあるのかは分からなかった。

 放送は何度もあった。午後の
1,3,5,7,11時に定期的に放送される。周波数はFM80.7

FMってことはそう遠くない。もしかしたらすぐそばにいるのかも」と初瀬は言った。

「希望はある。僕達は待っている。それでは今日最後の曲。タイラヒロシさんからのリクエストでパフュームのレーザービーム」ラジオからオオキボウイチロウの声がした。イントロの間にメッセージを読む。

「オオキさんこんばんは。数ヶ月前にゾンビを畑に埋めてマリーゴールドの種を播きました。すると大きな株に育って鮮やかな花が咲きましたよ。ゾンビって良い肥料になるんじゃないでしょうか。次はキュウリで試してみます。・・・・・・そうですか。肥料。でもゾンビで育ったキュウリって食べても大丈夫? くれぐれも無理はしないでくださいね。それでは今日の放送はこれまで。また明日」

 ラジオからパフュームの歌声が聞こえる。それが終わるとラジオは唐突に砂嵐を流すようになった。

 俺達はゾンビ達から逃げながらオオキボウイチロウを探すことにした。遠くの山に電波塔が立っているのが見える。もしかすると山の向こうまで行かなければならないのかもしれない。山の向こうにも電波塔があって、さらに山を越えなければならないのかもしれない。だが行き先があるということが俺達に元気を与えた。

 そして俺達はオオキボウイチロウがラジオで言っていたのと同じ風景を見つけた。『オオキレディオ』と書かれた木の板も見つけた。もうじき彼らのいる場所に着くはずだ。それで俺達は気持ちが緩んだのだろう。

 俺達はゾンビの襲撃を受けたであろう廃墟を見つけた。だがゾンビはもういなかったので、俺達は何か残っていないかと廃墟を漁った。すると、リュックに詰まった食料を見つけた。その中には『加茂錦』という酒も入っていた。これがいけなかった。

 夜になると俺達はうかつにも『加茂錦』を飲んでしまった。最初は一杯だけのつもりだったが、気付けば瓶は空になっていた。

「大丈夫か。酔っぱらってないだろうな」

 俺は眠りにつく前に見張り番の初瀬に言った。

「酔っぱらってねえよ。あれぐらいなんともない」と初瀬は言った。大丈夫ではないと薄々感じていたが、近くにオオキボウイチロウがいるなら、この辺りは安全なはずだと俺は思い込んで、安心して眠りの中へ落ちてしまった。

 俺は嫌な予感で目を覚ました。最初に腐った肉の臭いが鼻を突いた。何が起こっているのか一瞬で分かった。体を起こすと目の前でゾンビが俺に覆い被さろうとしていた。俺はそばに転がっていた『加茂錦』の空き瓶を掴むと、ゾンビの頭に思いっきり叩きつけた。瓶は割れたがゾンビは止まらない。しかし俺は割れた瓶を逆手に持つと、ゾンビの喉に思いっきり差し込んだ。一か八かだったが、うまいこと脳幹に瓶の先が刺さって、ゾンビは動かなくなった。

 俺達を囲むゾンビの群れが焚き火に照らされていた。ジ・エンド。俺はきっとここで死ぬだろう。そういえば初瀬はどこにいる。もう食われたのか。

「お~い、こっちだ。早くしろ~! こっちにはまだゾンビがいないぞ~!」

 ゾンビの群れの向こうで初瀬の声がした。俺はビビッて声を出せなかった。

「お~い、死んだのか~!」

 初瀬が俺を置いて逃げるところを想像して内臓が冷えたが、何故か初瀬はゾンビの群れの中を強引に突っ切って、俺を助けに来た。こんなに勇気のある奴だとは思わなかった。

「早く行くぞ、あきらめるな。まだ抜け出せるチャンスはある。俺の後についてこい」

 初瀬はバットでゾンビを押しのけながらゾンビの群れに突っ込んだ。俺もすぐに奴の後を追った。かなり無茶だったが、俺達は奇跡的にゾンビの群れを抜け出せた。初瀬の言う通り、ゾンビの群れを一つ抜けると、それほどゾンビはいなかった。俺達は危機を脱することができたのだ。

「まったく、しっかりしろよな。危うく死ぬところだった」

 辺りからゾンビの気配が消えると俺は初瀬に声をかけた。初瀬は体を二つに折って苦しそうにしていた。

「おい、どうしたんだよ」

「俺はもう駄目だ。置いていってくれ」

 初瀬は服をめくり上げて、ゾンビに噛まれた脇腹を見せた。血は止まっていたが肉は紫色に変色してゾンビになり始めていた。

「一噛みされて目が覚めた。それで慌てて逃げたんだ、お前を置いてな。でも、どうせ逃げたところで俺はゾンビになっちまうんだ。どうせならお前を助けてから死のうって気になった」

「だからあんな無茶をしたのか」

「意外にいけるもんだな。ゾンビの群れを掻き分けている時、俺はマンガの主人公になった気分がしたよ」

「痛むのか?」

「不思議と痛くない。痺れて心地良いぐらいだ。ゾンビになるのも意外に悪くないのかもしれない。今俺はお前を食べたい気持ちになっているんだ」

 意外な言葉が出てきて俺は身を引いた。

「冗談だ」

「やめろよ、こんな時に」

「最後に頼みがあるんだ」

「ゾンビになる前に殺して欲しいのか」

「そうじゃない。これをお前に受け取って欲しいんだ」

 初瀬は俺に『Fire marks』を渡した。初版のハードカバー。何度も読み返されたので角はボロボロで少し湿っている。

「別に焚き付けに使ってもいいんだ。俺の本が少しでも誰かの役に立ったなら少しは書いた意味があるよな。でも、これは俺のわがままなんだが、もしできることなら、ずっとその本を残して、誰かに読み継がれて欲しいって気持ちもあるんだ」

「最後に燃やすのはこの本にするよ」

「すまない。一度はお前を置いて逃げようとしたのに」

「それでも助けに来たさ」

「もう行けよ。ゾンビになったところをお前に見られたくない」

 俺は初瀬とそこで別れた。それから奴の顔は見ていない。

 運命とは残酷なものでオオキボウイチロウとは二時間後に出会えた。昨日もう少しだけ先に進んでいれば初瀬は死ななかったのかもしれない。もっともオオキボウイチロウ達のところは全然安全なところなんかではなく、追い詰められた人間達が何とか寄り集まっているような場所だった。みんな薄汚れていて、食料はないし、ゾンビ達はしょっちゅうキャンプ地を通り過ぎた。俺達に防衛する力なんてなくて、ただ隠れているしかなかった。運悪くゾンビに見つかって食われた奴は何人もいた。

 現実にヒーローはいない。劇的な結末もない。その後ゾンビ達は腐って大地の肥料になった。あっけない終息。でも世界は終わりかけていた。ゾンビはもちろん追い詰められた人間達が色んな物を破壊したからだ。

 小説家は死んでも作品は残るなんていうが、世界が最悪になってから小説家はみんな死んだし、作品もみんな焚き付けに使われた。残ったのは初瀬明生の『Fire marks』だけだ。

 この世に残された最後の一冊。『Fire marks』は俺達に残された文明の象徴だった。危うく石器時代に戻りそうな時もあったが、俺達は『Fire marks』に救われてきた。全てが元通りにというわけにはいかないが俺達は文明を取り戻したし、これからもそれは続くだろう。

 ちなみに俺はいまだに『Fire marks』を読んだことがない。人類再生の象徴だってのにな。もし読んだ人がいたら、どんな話だったか教えてくれないか?

(おわり)
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