カフェイン断ちをした件について


群像新人賞を出した後にショートショートを二つ書いて、これまたどこかのコンテストに出した。月一であるので今月も出すつもりだ。原稿はもうある。

 

10月から新しく書き始めるつもりだったが、こんな事をしている間にもう11月になってしまった。やっぱり今年中にもう一つと言うのは無理だろう。まぁでも誰に頼まれているわけでもなし、締め切りもないので別に良いのである。

 

“別に良いのである。”のついでにカフェイン断ちをしようと思い立った。

 

かく言う私はコーヒーのヘビードリンカーで暇さえあればコーヒーを飲んでいる。これが無ければ一日千字も書けない気がする。しかし、ネットの情報でカフェインは短期的にはプラスに働くが、長期的にはマイナスになるらしい。その結果最初はプラスの効果があったものが、マイナスをゼロに戻すようにするためにカフェインを飲むようになるのだとか。アデノシン受容体がどうの~、自律神経がどうの~、とあるのだが気になる人は調べてみて欲しい。

 

さて、いざカフェイン断ちしようとすると何を飲めば良いのだろうかと悩んだ。いやいや、飲まなければいいとも思うけれど、そういうわけにはいかない。昔から“下戸が建てた蔵は無し”というように、コーヒーをやめたからといって何もしないわけにはいかない。人は必ず何かに依存しなければ生きていけないのだ。

 

実は前にカフェイン断ちをした時にハーブティーを試したのだが、これは性に合わなくてコーヒーに舞い戻った。それなら別の物にしようとスーパーの茶葉コーナーで色々物色していると杜仲茶なる物を見つけた。ご親切にカフェイン無しで優しく飲めると書いてある。500円もして高いなぁと思ったけれど、大量に煮出して作っておけばトントンかなと思い返して結局それにした。

 

帰って早速杜仲茶を淹れてみる。何だかゴムの木のにおいがする。Wikipediaで調べると天然ゴムの材料になると本当に書いてある。70年代に一度ブームがあったそうな。味は濃くて良い感じだ。これならコーヒーの代わりになるかもしれない。

 

初日はこれだけを飲んで過ごした。離脱症状がどうのと心配だったが何の問題も無く過ごす。もしかするとカフェイン中毒では無かったのではないかと勘違いした。
 

翌日、頭痛で目が覚めた。頭が二割増で大きくなったような気分がするが、触ってみても鏡で見ても大きさは同じ。視覚でも触覚でも、自意識とのズレがあって変な気分がした。それに何にもやる気が起きない。吐き気もするのでお茶漬けだけをさらさら食べた。その後はずっと布団の中で横になっていた。気持ちは超がつくほど落ち込んでいて、太陽の光が暴力的にまぶしく感じられた。さようなら世界、こんにちは地底世界。私はカーテンを閉めて頭から毛布を被った。このまま動かずに布団の中で死ぬのだろうとか他にも色々暗いことを考えながら日を過ごす。

 

いつまで経っても元気が出ないので夕方にオロナミンCを景気付けに飲むと、半時間ほどした辺りで元気がもりもり湧いてきた。布団からも出られるようになる。オロナミンCすごい! もしかして麻薬でも入っているんじゃないかとラベルの裏を見ると、入っていたのはカフェインだった。

 

なるほど。実を言うとこの時まで今日のこの症状がカフェインの離脱症状だとは毛ほども考えなかった。この時になってようやく私は紛うことなきカフェイン中毒であり、ヤク中が禁断症状で苦しむかのようにカフェインの離脱症状に陥っていたのだと気付かされた。

 

カフェインを飲めばつらいのが収まると分かると、またコーヒーが飲みたくなった。あの気分の落ち込みを味わわないで済むのだと考えるとどうしても飲みたくなる。まるでヤク中だ。だが、同時にこのつらい症状もコーヒーを飲めば収まるのだと分かると多少の症状は耐えられるような気がした。いざという時の命綱みたいなものだ。それが心の支えになったのか、三日目も気分の落ち込みと吐き気があったがギリギリのところで踏み止まる事ができた。四日目になるとかなり楽になる。離脱症状も気配を感じる程度の遠いものになった。あと夜11時にはさてそろそろ寝ようかなとなる。朝はその分早く起きるようになった。

 

朝日を浴びると良いと読んだので、早起きするようになったついでに毎朝日光浴を15分することを日課にした。寒い。でもプラセボかもしれないが、これはけっこう効く。もしかすると小学生が元気なのは毎日日光を浴びながら登校しているからかもしれない。いや、これは大人も一緒か。でも、登下校の時間に加えて休み時間や体育の時間があって、彼らは日光を浴びる時間に事欠かない。もしかすると日光を浴びながら執筆するとずっと書き続けられたりするのだろうか? まさかね。

 

無いものと思えばコーヒー断ちをしても案外いけるものだ。一週間が過ぎるとかなりマシになった。効果のほどはまだ知れないが、朝はすっきりした気分で目が覚める。昼間以降はまだ危なげなところがあるが、これが毎朝続くなら一生続けたって良いぐらいだ。

 

子どもの頃はコーヒーなんて飲めなかった。ブラックなんて言わずもがな。このままカフェイン断ちをしていれば10歳の子供ぐらい元気もりもりになれるのだろうか。それで考えればチョコぐらいは食べても良いような気がする。コアラのマーチ、チョコボール、トッポetc. でも今のところはカフェインゼロ生活で様子を見てみようと思っています。
 

それではさようなら。

 

(2015年11月6日 牛野小雪が記す)


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カフェイン断ちをした件について 2

先週にカフェイン断ちをしたことについていたが、先週後半は曇や雨だったので日光浴ができなかった。いや、雨曇りでも蛍光灯より光量はあるらしいので一応外の光を浴びていたが効果は全く感じられなかった。おそらくそのせいなのだろう。昼以降は全然元気が出てこないのでコーヒーを飲んだら、きっかり半時間後に脳みその奥から元気が湧いてきたので嫌になる。やっぱりマテリアルな存在なんだなと。気合や情熱で何とかなるというロマンチックな考えもどこか持っているだけにちょっとショック。根性が足りない?


 

 

 日光浴について調べてみると徳島県は日光の照射量が多いらしい。さすが南国。徳島よりもうちょっと南の高知はかなり多かったが、これには納得。あそこはいつ行っても日光が刺さるようだ。沖縄が意外に低かったのが不思議だった。たまたま統計を取った年が低かったのだろうか?

 

 日光浴をするとビタミンDが皮膚で精製されて色々良いんだとか、皮膚で精製されるということは日光に対して皮膚を晒していればいるほど効果がある。医療的な日光浴では体表の3~4割ほどを晒す事が奨励されている。

 ちなみに私は1割も晒していない。だって寒いから。セーター(もちろん長袖)、ネックウォーマー、ニット帽を被って毎朝日光浴しているわけで、これじゃあ良くないみたい。でもやり初めの頃は日光が出ていたせいか効果はあったような気がするけどなぁ。さすがにこの季節に半裸になる気はちょっと起きない。3ヶ月前に知りたかったな。

 

寒さに肌を晒すということで思い出したのは、三島由紀夫は太宰治の性格的な欠点に対して「乾布摩擦をすれば治る」と言っていたそうだ。実際に乾布摩擦をしているところを見たところはないのだが、何となく早朝に庭に出て諸肌を脱ぎ、タオルで背中をせっせと擦っているイメージがある。これってもしかすると布で肌を擦っている事じゃなくて上半身で朝日を浴びている事に効果があったりしてね。

 

 あと、乾布摩擦は絹の布でするのが良いそうだ。確かに乾いた木綿だと肌を痛めそう。絹は肌触りも良いしね。でも、絹でしていた人っているんだろうか。粗品の何々商事と縫われたタオルで擦っているイメージしか湧いてこない。でも絹でやっていると想像すると途端に上流階級っぽくなるね。もしかして杉浦絵里衣さんの連載で乾布摩擦なんて出てこないかな。朝目覚めるとスルスルスル……と絹の擦れるような変な音がする。あら、何の音かしらと、環が外を見ると諸肌を脱いだ葛葉が乾布摩擦をしている。きゃっ、と一旦は目を背けるものの、やっぱりまじまじと見て、けっこうバッキバキな体をしているわねと思っていたら(フラッパーガールを読むべし)、突然葛葉が振り向いて、お嬢さんおはようございますなんてしれっと言って……このへんでやめておきます。すみません。フラッパーガール浅草ブラン・ノワールはここによると

『東京フラッパーガール lite 浅草ブラン・ノワール 第三話』更新: 杉浦絵里衣|行灯部屋日誌

次回は11/18に更新とか。多分乾布摩擦は出てこない。きっとこれからもずっと。

 

 日光に話を戻すと、実は8月の中頃にどういうわけかアウトドアチェアを買い、外の日陰で読書をするようになった。夏の日光浴は日陰でも充分効果があるそうで、確かに思い返してみるとこの頃はかなり調子が良くて、自分でもちょっと驚くぐらい動いていた。意外に体って自分に必要な事を分かっているんだなと感心する。ということは寒くなって外で本を読まなくなると元気が無くなるのも当然だったのかな。精神の波が上下した時期も一致する。

 

 日光浴は実は浴び溜めができるらしく、夏にいっぱい浴びると冬はその浴び溜めた日光でしのげる様になるのだとか、ということは紫外線の多い夏に半裸を通り越した全裸に近い恰好で存分に日光を浴びておけば今の時期になっても元気いっぱいでいられるという事。確かに身近な人を観察すると夏に皮が剥けるぐらい日光を浴びていた人は今も元気だ。というより一年中。元気な人を太陽に喩えるのでやっぱり太陽は元気の素なのかな。

 

 それじゃあ月に喩えられる人はどんな人かと考えてみると、美人。もしくは詩人だ。詩人と月といえば、中国の詩人の李白は水面に映った月を捉えようとして死んだらしい。とってもファンキーだ。詩聖の杜甫の方は畳の上で死んでもいいけれど、詩仙の李白はどこか浮世離れした死に方じゃないと全中国が納得しないだろう。私も納得しない。でも、ちょっとできすぎなところがあるから実は後世の創作だったりして……。

 執筆も何となく夜するものというイメージがある。少なくとも明るい場所ではない。もしかすると日光浴じゃなくて月光浴をすると執筆が捗ったりするのかも。月の光からインスピレーションを浴びるなんてちょっと詩的な感じがする。それとは反対に日光浴すると書けなくなったりしてね。ビーチバレーしている人が小説書くなんてちょっと想像できないもの。

 三島由紀夫は毎朝日光を浴びながら乾布摩擦していたんだろうか。その時の布は絹? それとも木綿? あっ、でも三島も太宰も自殺したんだった。実は三島由紀夫も乾布摩擦が足りなかったのかな。でも私は乾布摩擦をしないで完全防寒姿で日光を浴びることにしよう。来週は、晴れたらいいね!

 

(2015年11月15日 牛野小雪が記)


カフェイン断ち断ち

 先月からカフェイン断ちをしていたのだがこの度辞めることにした。どうも体の調子が良くない。いや、体の方は全然大丈夫だが心と体の間に1cmぐらいの隙間があるようで変だった。常に片腕で生きているような感じで全力が出ない。それでコーヒーを飲むようにしたら、ピッキーンと心と体がぴったりくっ付く。これだよ、これ。アロンアルファだよ。

 あ~あ。まるでヤク中みたいだ。一杯のコーヒーを飲んだだけで頭がシャキッとする。どうやらカフェイン無しでは生きていけない体にされてしまったようだ。

 コーヒーを飲まないためにやったことといえば日光浴で、これは非常に良かった。しかし、始めた時期が秋を過ぎて冬至に向かっている頃だったし、雨や曇りの日が続いた事もあり太陽が出ている日が少なかった。曇りの日でも効果はあるということだったが最初にあったような効果はなかったので辞めにしてしまった。

 カフェイン断ちをするなら春か夏ってことかな。

 それとも乾布摩擦が足りない?

 

(2015/12/2 牛野小雪が記)


ずっと書けないで悩んでいる私が春のはじめに考えたこと

 去年のカフェイン断ちをしてからずっと書けていない。正月が終わってからまた以前と同じぐらいコーヒーを飲み始めると多少マシになったが、今年はやっと9万字。しかもそのうちの5万字は2週間で書いている。他の日は千とか2千とかを刻んで0の日も多い。本当は今頃別の何かを書いている予定だったが、今書いているものを終わらせられるのかも不安な状態だ(毎度のことだけど、今回はマジ!)。 何とかしようと私が持っている色々なジンクスを試してみたが、今回はどれもハズレ。気まぐれに書けるようになった時に、なるべく机から離れないようにするのが執筆を進めるコツだ。だいたいそれは一週間で終わる。 
 何かの拍子にまた書けるような気はしている。実際にそういうことが二回あったからここまで来た。でも今は凄い精神的にまいっていてPCに向き合うのもツラい。こんなもの書けるわけがないと嘆いたのも一回だけではない。これから書こうとしているものについて考えると物凄いプレッシャーを感じる。

 だが、

  プレッシャーに強い人間はいない。最近読んだ本にそう書いてあった。その人はメジャーリーガーの戦績でも、さらに試合を左右する場面での成績を一から調べてたそうだが(ちょっと考えてみると凄い執念だ。でも向こうではこういう話がいっぱいある。アメリカ凄い)、ピンチの場面、試合を左右するプレッシャーのある場面で全ての選手は例外なく成績が落ちることを発見した。マイケル・ジョーダンですら試合を左右する状況だとシュートの成功率が1割下がるらしい。スパースターでそれなら凡人においてやである。 

 ピンチに強い選手というのは幻想だということは統計的事実だ。そもそもピンチに強い選手は普段からいい成績を残しているし、パッとしない選手がたまたま記憶に残るスーパープレイを見せたところでシーズン全体でみれば成績はあまり変わらないそうだ。ピンチに強い選手というのは幻想にすぎない(主観的にはピンチの時ほど人は力が湧いてくると感じているようだ)。人は追い詰められれば力をなくす。

 逆に言えばピンチに弱いというのも幻想だ。パフォーマンスが必ず下がるとはいえ成績が良い選手はピンチでも良い成績を残す。弊害があるとすれば自分はピンチに弱いと思い込むことによって大事な場面に立てなくなることだろう。

 プレッシャーのかかる場面でどうすれば良い成績を残すことができるか? 
 答えは簡単。プレッシャーを無くすこと。

 それができれば苦労しないだって? でもそれしか方法がないらしい。プレッシャーがない状態が一番パフォーマンスを発揮できることはいろんな実験で証明されている。 
 プレッシャーはピンチだけではなく報酬がある場合でも感じるらしく(目の前にニンジンがあってもダメらしい。というか無い方がいい)、またベストを尽くすと気負うこと、それ自体もプレッシャーになる。 
  ”ベストを尽くすためにベストを尽くさない”

 禅問答みたいな言葉が頭に浮かんだ。ありのままの自分を出すことが結果的に一番良いらしい。でもありのままの自分なんて嫌だ。実力通りのものなんて書きたくない、もっと凄いものを書きたいと思っている私はどうすればいいのだろう? 答えは同じ本の中で見つけた。
 プレッシャーなんてひとつも良いことがないように思えるけれど、ひとつだけ良いことがある。新しい技能を習得するときはプレッシャーがある方が結果は良いらしい。成長にプレッシャーは不可欠ということ。読んでなるほどと胸の内で手を打った。少し考えてみれば身近なところに良い例がある。 
 筋肉は負荷がない方が軽やかに動くし、長く動くこともできる。でも鍛えるためには限界ギリギリを攻めて負荷をかけなければならない。それと同じでこうやって私がプレッシャーを感じまくっているのは負荷がかかっている証拠で、今は鍛えられている最中ではないかと思い始めている。思い返してみると自分史上最大の力作である”グッドライフ高崎望”でやっぱり自分の中でひとつ大きく抜けたものがあった(あれは今読み返しても力んでいる)。
 夏目先生にしたところで、朝日新聞に書いていた”虞美人草”は明らかに力んでいる。猫を書いた人と同じ人物とは思えない。でもそれからはいくつも後の世に残る小説を書いている。だいたい先生は猫を書く前に”文学論”とかいう殺人的に難解な本を書いている(あれは講義でやったものらしいから、きっと帝大生にレベルを合わせているんだろう。私は読んでもほとんど内容が分からなかった。分かるように書いているのに分からないなんてことがあるか、なんて先生なら言いそうだが分からないものは分からない。ちなみに本になったのは猫より後)。あんなことをロンドンのアパートで一人真剣に考ていたらノイローゼになってもおかしくない。でも、それがあったから猫と坊っちゃんを書けたんじゃないか。
 自分を超えるものを書きたいのなら、書けるようになるまで苦しまなきゃならない。書けるものを書いていただけじゃいつまでもその場に留まることになる。でもそこを乗り越えたなら苦しみながらでも、今以上に書けるようになるんじゃないか? 今シーズンの成績を気にしなくてもいい私よりガチガチに緊張したイチローの方がヒットを打つはずだ。そんな事を考えていたら今書けなくて苦しんでいることにも意味があるように思えてきた。

 最近は一文字も書けないでいる。机に座らない日もある。書こうとする意思はずっと座り続けている。

(2015年 3月4日 牛野小雪)


一日、一時間の執筆量を増やすには?

去年から10回ぐらいカフェイン断ちしているが、一昨日に勢いでコーヒー豆を400g買ったので全部飲みきるまではコーヒーを飲むつもりだ。
 

どこかで読んだのだがカフェインはコカインと同じくらい効果があるらしい。コカコーラには元々コカインが入っていたのだが、一世紀前にカフェインに変わったのだとか。コカインと同じくらいの効果があるのに規制しないで大丈夫なのかと心配になるが、これが年に何度か無性にコーラを飲みたくなる理由かもしれない。もしくは時々コカインが混ざっているんじゃないか? シュワッと爽やか!
 

1日に書ける量は2年前とほとんど変わらない。それまではどんどん伸びていたので今頃は一日に一万字書いている予定だったが、そうはいかないようだ。コーヒーを飲むと多少書ける気がするが、実際は飲んでも飲まなくても書ける量は一緒だ。去年、今年と試したから間違いない。ただしそれは机に座ってキーボードを叩き始めてからの話であって、コーヒーを飲まなければそういう気分になれない。

2016/04/10


来年こそカフェインを抜こうと思う

 去年の年末にコーヒー断ちというか、カフェインを摂ることをやめた。でも気付けばいつの間にかコーヒーを飲んでいた。

 正直言ってカフェイン中毒の離脱症状は大したことない。肉体的な問題でいえば100年でも続けられる。でも精神がヤバイ。頭と心のギアがちゃんと噛み合っていないような気分になる。小説もマトモに書けなくない。でもコーヒー飲むと、それがガチッとハマって机に座った分だけ書けるようになる。
やめてから飲んだ最初の一杯はてきめんに効いた

 最近ニュースで芸能人の誰それが覚せい剤でどうのとか言っているけれど、もしカフェインが指定薬物になったら私は筆を折らなければならないと思う。もしくは違法カフェインに手を染めるかもしれない。昔の偉人さんがコーヒー飲みまくっていたのもうなずける。普段から飲んでいると気付かないが、一度体から抜いてしまうと、あれは魔法の水だったのだと気付かされる。紛れもない薬物。粉末カフェインなんて、見た目がもろコカイン。職質された時に見つかったら尿検査されること間違いなし。(本物のコカインなんて見たことないけど)

 朝昼晩+適時にコーヒー飲むのは絶対体に悪いと思う。体に悪ければ頭にも悪い。だんだん眠れなくなってくるし、ひどい時は命削っているような感覚がある。サガフロ2でいうならライフポイント燃やしながら戦っている状態。でもLPが減ればHPの回復量が減るし、いつかはLPが0になって死ぬ。

 エバーホワイトを書いて一段落ついたし、短編もまとめた。やるなら今しかない。それで先週から始めたのだけれど、本当に頭が働かない。小手調べに書いてみようと思った短編のプロットが1日でまとまらないのだ。ああ、いやだ。またコーヒーを飲みたくなる。でも今のところカフェイン欲求が湧いてきても無視できている。いつになったら頭がマトモに働くようになるんだろう。あるいは元々頭の中身はこれぐらいで、カフェインで神経がスパークしていただけかもしれない。

 覚せい剤がやめられないのも似たような理由なのだろう。エバーホワイトでもそのことを書いた。一度はクスリをやめた主人公の正文が自分の意図しないところでまたクスリをやっていることに気付くんだけど、仕事で大きく成功してしまったためにやめられなくなっている。カフェインもクスリもやめるためには情けない自分を受け入れる勇気が必要なのかもしれない。
 
 カフェイン断ちをして一週間が経とうとしている。夜、眠気が襲ってくるのが病気みたいに感じる。でも本当に病んでいるのはカフェインを必要としている自分なのだろう。何も必要としない人間になれたら。

2016/12/21


よしもと原作開発プロジェクトに出そうと思っている

 よしもとの原作プロジェクトに出そうかと短編を書いている。応募要項には実際にある地域を題材にしたとあるけれど、プロットの段階ではそこまで強く出せそうにないと思っている。しかし、実際にある地域を題材にした小説って何があるだろう? 伊豆の踊子とか? 四国でいえば夏目漱石の坊っちゃんが愛媛県だった。しかしあれって愛媛の人はどう思っているんだろうか。明らかに愛媛県のことディスっている内容のような気がする。でも天ぷらうどんは美味そうだった。お土産はなぜか団子の方だけど、現地にいけば『坊っちゃんの天ぷらうどん』みたいな物でもあるんだろうか。あったら食べてみたい。

 エバーホワイトは徳島が舞台だけど、最後のところなんかは実際に存在しないことを確かめてから書いたんだよなぁ(真似する人がいると困るし)。実在する場所を題材にした小説って言われてもよく分からないなと思った。セカチューの撮影場所が高松にあるが、あれも別に高松でなくてもいいわけで、wikipedhiaを読むとあれは著者の故郷愛媛県宇和島市が題材になっているそうだ。でもたぶん徳島の南の方でも同じロケーションで取れると思うんだよな。

 小説を書くにあたって場所がそれほど重要になることは少ない。映画でもそう。そういえば徳島を舞台にした眉山という物もあった。でもそれだって別に徳島じゃなくてもいいわけで、実際阿波踊り部分のところ以外は徳島じゃなかったわけで、う〜ん、いや、でもホントに小説に地域は関係ないと思うんだよね。エバーホワイトだって海がある場所ならどこでも成立するし、森見登美彦も別に京都じゃなくったっていい。小説でも映画でもマンガでも、場所というよりは、その場所を作っている人や組織を題材にするしかないんじゃないかな、なんてことを考えながら書き始めている。←ダメかも。

 カフェイン抜いたら書けないなと思っていたら、ある日予想外に書けた1日があった。でもそれは数時間前に他人に淹れてもらったコーヒーを飲まないというのは角が立つから飲んでいたわけで、カフェイン凄いなと驚くと同時に、ベジタリアンが周りに合わせてなかなか肉を立つことができないという話が思い浮かんだ。カフェインを断つのは難しい。世の中隙あればカフェインだ。みんな眠りたくない。 

 応募要項は1万字以上だけど、なかなかその1万字まで進まない。頭がスッカラカンだ。でも出てきた文章はわりといい。この調子で最後まで続けられたらなかなかいい感じに仕上がりそう。そう感じるのは頭がスッカラカンだから?

 全く書けなくなったら年を超える前にコーヒーを飲むようになるかもしれない。←まるでヤク中だぞ(゚∀゚)アハハハハハ

 企画がよしもとだから『ベンツを燃やせ』みたいな笑かしにいく話を書こうと思っている。

(おわり 2016/12/25 記)


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