妹粥のコピー

妹粥(いもがゆ)
ーT・S・カウフィールド


もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいなら、火薬が何トンだとか、六連発リボルバーが火を吹いただとか、銃をぶら下げた無法者達だとか、頼りにならない保安官だとか、そんな《S・T・コールフィールド》式ドンパチを聞きたがるかもしれないけれど、そんなことは喋りたくない。


第一僕はS・T・コールフィールドではないし、第二に僕が話したいことは妹のバービーのことしかない。


さて、どこから話せばいいか・・・・・・僕が中二の頃の話をしよう。


その頃、僕は14歳で妹のバービーは10歳だった。彼女が始めて料理をしたのもこの歳だった。この年頃の女の子ならホットプレートでホットケーキだとか、パンケーキとかを焼いたり、オーブンでクッキーを焼くと思うだろう?


 でもバービーは違ったんだ。彼女が始めて作ったのはお粥(かゆ)だった。


「兄さん、体の調子はどう?」なんてことを言って僕の部屋に入ってきた彼女が両手に鍋を持っていた時は、ちょっとびっくりしたな。何が始まるんだろうって不安にもなった。


不安になったといっても、バービーが僕に何かすると思ったからじゃなくて、いつもと違う事が起きているから動揺していたからだろうね。僕はバービーのことは信頼していたし、バービーも決してひどいことはしない。小さな女の子らしくいたずらをすることもあったけれど、本当にひどいことは絶対にしない子だた。


 彼女は僕のベッドに腰掛けると、サイドテーブルに鍋を置いて蓋を開けた。そこにはお粥が入っていた。最初にネギのつんとする匂いがしたな。次に玉子のむわっとくる匂いもした。彼女はそれをお椀によそうと一度息を吹きかけて僕に渡した。


「どう?」


僕がお粥を一口食べると、彼女は早速感想を聞きたがった。まだ一度も噛んでいないのにだ。でも僕は「うまい」と言った。本当のことだ。でも、そのお粥がまずかったのも本当のことだ。ネギはまだ固かったし、玉子は火が通り過ぎていたし、砂糖が入っていて妙に甘かった。


もしこれがどこかの店で食べた物なら僕は飲み込まずに吐き出して、席を立っていただろうね。状況次第じゃ殴り合いのひとつでもしたかもしれない。でも、そういうことは問題じゃないんだ。バービーが僕のために色々気を利かせてくれたんだろうなというのが伝わってくるのが嬉しかったんだ。

 ネギは風邪に効くって言うし、玉子は栄養たっぷりで病人には良いって言うだろう? 玉子酒なんてのがあるぐらいだ。それに砂糖を入れたのだって僕が食べやすいようにっていうバービーの気遣いなんだ。あのお粥は本当にまずかったけれど、僕は一口食べるたびに幸せを噛み締めていた。


「本当に美味いよ、バービー」


 僕が褒めても彼女は「そう、良かった」なんて短く言って、そっけない態度を取るんだ。照れ隠しなんだな。本当は嬉しいんだろうけど、大げさにはしゃいだりしない子なんだ、バービーは。

 彼女は部屋を出て行った。歩き方が固くて、ドアも音を鳴らして閉めた。知らない人が見れば怒っているようにも見えただろうね。でもそうじゃないんだ。踏み鳴らした足音や、ドアを静かに閉められなかったところに喜びが漏れている。僕には分かるんだ。


 それからもバービーは僕に毎朝お粥を作って、ベッドに持ってきてくれた。最初に食べたひどいお粥も日を追うごとに上手くなって、一年後にはちょっとした店でも出せる味になっていた。その頃には毎朝バービーのお粥を想像してウキウキした。


バービーはその後何年も僕にお粥を作ってくれた。義務だとか、習慣だとか、そんなものじゃなくて100%本当に優しさで作ってくれている。それが嬉しかった。


 バービーは成長して女の子から女性になると家を出て行った。月狂四郎(つきくるいしろう)とかいうつまらない男と結婚したからさ。元ボクサーで、外資系のドアを作る会社でセールスマンをしていた時に、ネットに書いた小説が大当たりして作家に転向したという変わった経歴を持っているが、実際に会ってみるとつまんない男だった。これは保障する。僕は何度か会ったことがあるんだから間違いない。


だからといって悪い奴ではないんだ。もし人間を良い奴と悪い奴で分けたとしたら、100%良い奴に分類されるだろうね。そんな男なんだ。そうでなければバービーも奴と結婚なんかしなかったはずだ。でもつまんない男さ。


 そんなわけで妹が家を出て行ったから毎朝食べていた妹のお粥はなくなった。今はメイドの藤崎ほつまさんがホットサンドをベッドに持ってきてくれる。ホットサンドでなければナポリタンだ。


「ねえ、藤崎さん。いつも朝食を持ってきてくれるのはありがたいけど、僕は病人なんだからその辺のこと考えて欲しいな。こう、食べやすくて精の付くやつ」


 一度そう言った事がある。そうすると彼女は「気が付きませんでした。申し訳ありません」と言って、次の日はスッポン鍋とイモリの黒焼きが出てきた。なんだかんだあって、結局はホットサンドとナポリタンに戻った。


 藤崎さんがホットサンドを作るためにパンの耳を切っている音を聞きながら、僕は奴が(月狂四郎)が最近出したという本を読んでいた。『暴っちゃん』とかいうつまんない本だ。夏目漱石の『坊ちゃん』を魔改造して、制限のない性と暴力にあふれさせている。欲に塗れた登場人物の低い人間性を圧倒的な暴力で蹂躙する内容だった。大藪春彦みたいだ。きっと不純な読者が読むに違いない。本当に、本当に・・・・・・・


「なにが月狂四郎だ! ふざけやがって!」


 僕はムカついていた。あんな奴と妹が結婚したなんて許せない。僕はベッドから出るとコートを羽織って部屋を出た。


「どこへ行かれるのですか?」


 玄関を出る前に藤崎さんが声をかけてきた。


「藤崎さん、僕は朝食を探してくる」


 そう言って僕は家を出た。


 自分の足で家を出たのは何年ぶりか分からなかった。何を見ても世界が固く感じられる。空気でさえガラスを吸っているみたいに固かった。五分もしない内にへろへろに疲れてしまったので僕はタクシーを呼んだ。

 

 奴とバービーの家はタクシーで10分ほどのところにあった。大きくもなく小さくもなく、これといって特徴のない家だ。幸福な家庭はどれも似たものだってトルストイは言っていたけど、本当にその通りだ。これに子どもと犬のはしゃぐ声があれば完璧だった。作家のくせにつまんない家に住んでいるのさ。それで作家なんてやってるからカフカの小説より不条理だ。


 僕は幸せな無個性の家のチャイムを鳴らした。するとバービーが玄関を開けた。僕が来るとは思っていなかったんで、ひどく驚いていたな。


「まぁ、兄さん! どうしたの!」


「なんでもない。ちょっと近くを通りかかったから顔を見に来ただけなんだ」


「私に会いに来たの?」


「そういうんじゃないんだ。ただちょっと外の空気を吸いたくて歩いていたら、偶然この家を見つけて、本当は通り過ぎるつもりだったけど誰かいるかなと思って」


「誰か来たのか?」


ここで、あの野郎が出てきた。黒いタンクトップを着て、ムキッとした腕の筋肉を露わにしているんだけど、それが少しも嫌味ではないんだ。僕はそれがとても嫌だった。


「兄さんが来てるの」とバービーは言った。


「義兄さんが?」


 そこで奴は玄関に立っている僕を見た。すぐにニカッとまぶしい笑顔になった。


「これは珍しい。どうぞ中に入ってください」と奴は言った。


僕は一度断ったんだけど、ああいう人種は必ず人をもてなさないと気が済まないらしい。僕は結局二人の家に入った。奴はお世辞とか、建前とかじゃなく本当に笑顔だったし、妹は突然僕が来たものだから不安な顔をしていたけれど、それでも嬉しそうな顔をしていた。


 僕はそこでつまらない時間を過ごした。奴はともかく、バービーまでつまんない人間になっていたのはショックだったな。すっかり奴に毒されているんだ。僕と一緒にいた頃には考えられないほどつまんない人間になっていた。何でも真っ二つにしてしまう鋭い感性がすっかりなまくらになっていたんだ。

 僕が話しかけても彼女にはうまく響かなくて、それとは逆に向こうが話しかけても僕に響く物がなくて、時おり気まずい思いをした。でも二人は幸せそうだったな。つまんないけど幸せに満ちていた。


「もう帰る、いきなり訪ねたりして悪かったね」


 僕が立ち上がると二人も席を立った。「もう少しいてくださってもいいのに」なんて奴はつまんないことを言った。「今日は他にも行くところがあるから」と僕が言うとバービーは不審な顔をしたな。事実僕には何の用もなかった。


 二人は玄関まで見送りに出た。止めなければ家までついてきそうだったな。


「それじゃあ邪魔したね。バービー、体に気を付けるんだよ」


「兄さんこそ、大丈夫? タクシー呼ぼうか?」


バービーは不安そうな顔をしていた。


「いいんだ。体をなまけさせちゃ良くなるものも良くならない。歩いて帰るよ」


 僕がそう言うとバービーは奴の顔を見た。僕の目から涙が出てきた。幸せをぶち壊しかねない爆弾だったが、止めようがなかった。


「兄さん、大丈夫? やっぱり体に悪かったのよ。今日はこんなに寒いし」


 バービーが心配そうな声を出すと、さらに涙が出てきた。おまけに体の力が抜けて、その場に倒れそうになった。チクショウ。だがもっと最悪なのは、奴がたくましい腕で僕を支えてきたことさ。


「大丈夫ですか、義兄さん。やっぱりタクシーを呼びます」


奴はそんなことを言った。良い奴なんだよ。それは僕が保障する。

 それで僕は奴の手を両手で握った。今までの人生で一番力が出たんじゃないかな。


「妹をよろしくお願いします。バービーはいい子なんです。幸せにしてやってください」


 僕は何度もそう言った。何度も頼んだ。何故だか涙が止まらなかった。


そこから先は記憶がない。気付けば僕はベッドにへろへろになって寝ていた。あれは夢だったのかもしれない。だけど、コートは床に落ちていたし、後になって奴とバービーが家に来た時は微妙に態度が変わっていた。だから現実のことだったんだろう。


 結局この話は僕が恥をかいただけで終わる。たぶん僕はこれから永遠にバービーのお粥を食べることはできない。でもそれで良かった。本気でそう思える。バービーは奴と無個性な幸せを築いて、さらにつまんない人間になっていく。

 でも僕はこれからも奴とバービーが幸せでいられることを祈り続けるだろう。



(妹粥 おわり T・S・カウフィールド 2017/11/11)



奴の新作が出たみたいだから紹介しておく。無料キャンペーン中らしい

暴っちゃん
月狂四郎
ルナティック文藝社
2017-11-07
――親譲りの無鉄砲で、小供の時から損ばかりしてきた。お馴染みの一文で始まる物語。だが、そこにかの名作が持つ重厚さや文学特有の堅さはない。誰もが知る夏目漱石の「坊ちゃん」とアウトローを組み合わせた異色の格闘ミステリ小説。 電子書籍界に投じられたゲテモノは、文学の紡いできた歴史に歪な波紋を巻き起こす



牛野さんの新作が出たのでこっちを読んだほうが良いです。本当に。

町へ出るトンネルの出口で美男美女の二人が殺された
無軌道に犯行を重ねるまさやんと追いかけるタナカ
しかしそんな事とは別に破滅の車輪は回り始めていた