他の人が2016年の総括をブログに書いていると何だか私もそうしなければならないような気がして、こんな記事を書いてしまった。牛野小雪は流されやすい人間なのだ。
2016年の私的な事件といえば4月の終わりに『幽霊になった私』を出したことで、翌月の5月には初めて一月に100冊以上売れたという恐ろしい本だった。
同じ5月でいえば 『雑誌なんか うっかり創刊号』でいつの間にか『火星へ行こう君の夢がそこにある』が文学賞を受賞していたこと。なんだかよく分からないけど『なんか文学賞』っていうらしい。しかも第一回。そのせいか5月から火星がちょくちょく出ている。昨日各本の一年間のDL数を計算してみたら『ターンワールド』と並んでいたので驚いた。しかもDLが増えている5月から。はっきりと数字で出ている。これって文学賞効果なんだろうか(正直、あの雑誌を読んで私の本に辿り着いた人が何人いるかあやしい。だって私が見た時と閲覧数がそんなに増えていない気がするから・・・・読者層が濃い?)。
あとは11月に『エバーホワイト』を出したこと。かなり悪評がつくと思っていたが、反応はわりと良いので安心している。手心を加えられただけかもしれない。『黒髪の殻』から続くこの流れは、あともう一歩深く書くつもりだ。『エバーホワイト』は今年いっぱい99円セール中。明日から360円になります。
周辺の話題だとやはりkindle unlimited(以下KU)が始まったことだろう。もうそれ以前、以後と分けられるぐらい変わってしまった。とあるアダルト漫画を書いている人は月に100万以上稼いでいるとか。鈴木みそさんと違って、無名(もしかしたらその筋では有名な人かもしれないが)の状態から稼いだというのがニュースだ。
しかし、私はそこに暗い影を感じている。たぶん来年はいわゆるKDP作家という人が減るだろうと感じているのだ。KUが始まってたくさん読まれるようになり、お金も多少入ってくるようになった(自慢するほどではないけど)。公表している人は少ないが他の人も読まれているし儲かっているのは何となく漏れ伝わってくる。それなのに来年は減るだなんて自分でも理屈は通らない。だけど、そう感じるのだ。
しばらくこの奇妙な予感について考えてみた。
たぶんだけど、KDPはマジな場所になると私は感じているのかもしれない。数年前のKDPはどこか牧歌的なところがあって、みんなそれなりに夢や野心はあっただろうけれど、それはどこか縁遠いものであって、宝くじが当たったらと同じようなものだったんじゃないかと私は思っている。
そこにKUがきて、金の匂いが漂い始めると夢がマジになり始めて、マジになると色々汚いものやトゲトゲしたものが出てくるようになって、最初に思っていたのと違うっていう人が出てくると思う。
8月にKUが始まってからたくさん読まれてたくさん稼げるようになった(何度も言うが大した額ではない、今までと比べてという意味)。でも同時にそこはかとないしんどさみたいなものも感じている。『エバーホワイト』を書いている間は非常に疲れていた。2016年はほとんど書けていない。今年出したのは4つだが、書いたのは2つだけ。どうやら他の人も同じようで、みんな筆が鈍っている。月刊記録が途絶えた人もいた。私はKUが原因じゃないかと密かに思っている。
2015年だって、2014年だって何かはあっただろう。何かあっても書いてきた人がほとんどのはずだ。なぜ2016年になって筆が鈍るのか。
たぶんだけど、今までのいわゆるKDP作家という人達は来年消えていくだろう。作品はストアに残ってもアクティブな作家としてはいられなくなる。それに代わって最初からマジな人達が参入してきて、私の頭に何となく存在しているKDP界隈は変わるか消えるかするだろうというのが来年の予想。
もちろんAmazonは商売でやっているのだから、それは喜ばしいことだし、マジな人達にとってもその方がいい。私だってKUが始まってたくさん儲かって嬉しいとは思っている。でもそれと同じくらい嫌な気持ちにも襲われているのだ。
私はKDPに何を求めているのだろう?
なんで小説を書いているのだろう?
こんな暗いことを考えているのは私だけだといいな。
年末に書いたことは実現しないというので、ちょっと暗い話を書いてみました。来年がいい年でありますように。
(2016/12/31 牛野小雪 記)
今年いっぱい99円。たぶん元日の昼に値段が変わります。360円。
牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪
2016年の私的な事件といえば4月の終わりに『幽霊になった私』を出したことで、翌月の5月には初めて一月に100冊以上売れたという恐ろしい本だった。
同じ5月でいえば 『雑誌なんか うっかり創刊号』でいつの間にか『火星へ行こう君の夢がそこにある』が文学賞を受賞していたこと。なんだかよく分からないけど『なんか文学賞』っていうらしい。しかも第一回。そのせいか5月から火星がちょくちょく出ている。昨日各本の一年間のDL数を計算してみたら『ターンワールド』と並んでいたので驚いた。しかもDLが増えている5月から。はっきりと数字で出ている。これって文学賞効果なんだろうか(正直、あの雑誌を読んで私の本に辿り着いた人が何人いるかあやしい。だって私が見た時と閲覧数がそんなに増えていない気がするから・・・・読者層が濃い?)。
あとは11月に『エバーホワイト』を出したこと。かなり悪評がつくと思っていたが、反応はわりと良いので安心している。手心を加えられただけかもしれない。『黒髪の殻』から続くこの流れは、あともう一歩深く書くつもりだ。『エバーホワイト』は今年いっぱい99円セール中。明日から360円になります。
周辺の話題だとやはりkindle unlimited(以下KU)が始まったことだろう。もうそれ以前、以後と分けられるぐらい変わってしまった。とあるアダルト漫画を書いている人は月に100万以上稼いでいるとか。鈴木みそさんと違って、無名(もしかしたらその筋では有名な人かもしれないが)の状態から稼いだというのがニュースだ。
しかし、私はそこに暗い影を感じている。たぶん来年はいわゆるKDP作家という人が減るだろうと感じているのだ。KUが始まってたくさん読まれるようになり、お金も多少入ってくるようになった(自慢するほどではないけど)。公表している人は少ないが他の人も読まれているし儲かっているのは何となく漏れ伝わってくる。それなのに来年は減るだなんて自分でも理屈は通らない。だけど、そう感じるのだ。
しばらくこの奇妙な予感について考えてみた。
たぶんだけど、KDPはマジな場所になると私は感じているのかもしれない。数年前のKDPはどこか牧歌的なところがあって、みんなそれなりに夢や野心はあっただろうけれど、それはどこか縁遠いものであって、宝くじが当たったらと同じようなものだったんじゃないかと私は思っている。
そこにKUがきて、金の匂いが漂い始めると夢がマジになり始めて、マジになると色々汚いものやトゲトゲしたものが出てくるようになって、最初に思っていたのと違うっていう人が出てくると思う。
8月にKUが始まってからたくさん読まれてたくさん稼げるようになった(何度も言うが大した額ではない、今までと比べてという意味)。でも同時にそこはかとないしんどさみたいなものも感じている。『エバーホワイト』を書いている間は非常に疲れていた。2016年はほとんど書けていない。今年出したのは4つだが、書いたのは2つだけ。どうやら他の人も同じようで、みんな筆が鈍っている。月刊記録が途絶えた人もいた。私はKUが原因じゃないかと密かに思っている。
2015年だって、2014年だって何かはあっただろう。何かあっても書いてきた人がほとんどのはずだ。なぜ2016年になって筆が鈍るのか。
たぶんだけど、今までのいわゆるKDP作家という人達は来年消えていくだろう。作品はストアに残ってもアクティブな作家としてはいられなくなる。それに代わって最初からマジな人達が参入してきて、私の頭に何となく存在しているKDP界隈は変わるか消えるかするだろうというのが来年の予想。
もちろんAmazonは商売でやっているのだから、それは喜ばしいことだし、マジな人達にとってもその方がいい。私だってKUが始まってたくさん儲かって嬉しいとは思っている。でもそれと同じくらい嫌な気持ちにも襲われているのだ。
私はKDPに何を求めているのだろう?
なんで小説を書いているのだろう?
こんな暗いことを考えているのは私だけだといいな。
年末に書いたことは実現しないというので、ちょっと暗い話を書いてみました。来年がいい年でありますように。
(2016/12/31 牛野小雪 記)
今年いっぱい99円。たぶん元日の昼に値段が変わります。360円。
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