○進捗状況
一人で歌うには大きすぎて(仮題) 4500字くらい
7/7に出る予定の『もの書く人々』で王木さんとリレー小説をしてくれませんかと提案されたが、王キさんとは成立できそうにないのでやんわりと辞退した。それでも対談後にきらりとひらめくものがあったので先週からぽつぽつ書き始めた。延べ日数3日でこれぐらい。一日1500字。1万字くらいで収まればいいなぁ。こういう時はだいたい1万2千ぐらいかな。途中でどんなにアイデアがふくらんでも2万は越えないだろう。『黒髪の殻』を出すのとどっちが早いかな。
『黒髪の殻』を何度も読んでいて気付いたことがある。
この作品の冒頭で正人という主人公が大工に弟子入りして親方に鍛えてもらう。おいおい今時弟子入り(笑)なんだけど、最初に親方が正人のプライドを傷つけたものだから彼は親方に対して殺意を抱いているわけで、いつか殺してやろうと腹の中で思っていて、でもそのまま殺すのはプライドが許さないから大工として一人前になってから殺してやろうというちょっと屈折した感情を持っているわけだ。
この正人が大工として腕を上げて棟梁になるかどうかというのが前半の筋なのだが(これ一本で良かったかもしれない)、正人と親方の関係がまさに私と夏目先生の関係にそっくりだと気付いてちょっとびっくりしたことがある。もちろん私と夏目先生は直接会ったわけではないけれど『吾輩は猫である』を読んで、それまでもっていた自信を根本からぶち折られたあとはけっこう長く恨んでいた。コイツがいたせいで書けなくなったと思っていたし、死んでくれねえかなとも思っていた(まぁ実際に死んでいるんだけど、存在的な意味でね)。
『黒髪の殻』で正人が刑務所から出たあと、大工道具を砥石で研いでいて、親方との違いを認識する場面があるんだが、そこなんて私が『真論君地の猫』を書き終わったときに感じたこととまさに同じで、それに気付いた時は(うわ〜、マジか~)と心の中で声が出てしまった。
どれだけ頭を絞ったところで、結局は自分の中から出てきたものだから、自分の影響は避けられないのかもしれない。
書いているときはもちろん、数回読んだだけでは気付けなかった。
もしかするとまだ気付いていないだけで他の人間関係も、かつて自分が体験したことが下敷きになっているのかもしれない。
菊池寛は人生経験を詰んでから小説を書けと言っていたし、夏目先生も猫を書いたのは40手前だ。小説みたいなフィクションだって体験が大事なのかもしれないね、と思った雨の日。冒頭の今書いている話だって『もの書く人々』の影響はあると感じている。
(2016/06/13 22:26 牛野小雪 記)
余談:”にちじ”と打つと西暦年月日、日時まで出てくることに気付いて驚いている。
牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪
一人で歌うには大きすぎて(仮題) 4500字くらい
7/7に出る予定の『もの書く人々』で王木さんとリレー小説をしてくれませんかと提案されたが、王キさんとは成立できそうにないのでやんわりと辞退した。それでも対談後にきらりとひらめくものがあったので先週からぽつぽつ書き始めた。延べ日数3日でこれぐらい。一日1500字。1万字くらいで収まればいいなぁ。こういう時はだいたい1万2千ぐらいかな。途中でどんなにアイデアがふくらんでも2万は越えないだろう。『黒髪の殻』を出すのとどっちが早いかな。
『黒髪の殻』を何度も読んでいて気付いたことがある。
この作品の冒頭で正人という主人公が大工に弟子入りして親方に鍛えてもらう。おいおい今時弟子入り(笑)なんだけど、最初に親方が正人のプライドを傷つけたものだから彼は親方に対して殺意を抱いているわけで、いつか殺してやろうと腹の中で思っていて、でもそのまま殺すのはプライドが許さないから大工として一人前になってから殺してやろうというちょっと屈折した感情を持っているわけだ。
この正人が大工として腕を上げて棟梁になるかどうかというのが前半の筋なのだが(これ一本で良かったかもしれない)、正人と親方の関係がまさに私と夏目先生の関係にそっくりだと気付いてちょっとびっくりしたことがある。もちろん私と夏目先生は直接会ったわけではないけれど『吾輩は猫である』を読んで、それまでもっていた自信を根本からぶち折られたあとはけっこう長く恨んでいた。コイツがいたせいで書けなくなったと思っていたし、死んでくれねえかなとも思っていた(まぁ実際に死んでいるんだけど、存在的な意味でね)。
『黒髪の殻』で正人が刑務所から出たあと、大工道具を砥石で研いでいて、親方との違いを認識する場面があるんだが、そこなんて私が『真論君地の猫』を書き終わったときに感じたこととまさに同じで、それに気付いた時は(うわ〜、マジか~)と心の中で声が出てしまった。
どれだけ頭を絞ったところで、結局は自分の中から出てきたものだから、自分の影響は避けられないのかもしれない。
書いているときはもちろん、数回読んだだけでは気付けなかった。
もしかするとまだ気付いていないだけで他の人間関係も、かつて自分が体験したことが下敷きになっているのかもしれない。
菊池寛は人生経験を詰んでから小説を書けと言っていたし、夏目先生も猫を書いたのは40手前だ。小説みたいなフィクションだって体験が大事なのかもしれないね、と思った雨の日。冒頭の今書いている話だって『もの書く人々』の影響はあると感じている。
(2016/06/13 22:26 牛野小雪 記)
余談:”にちじ”と打つと西暦年月日、日時まで出てくることに気付いて驚いている。
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