数カ月前から夜11時には眠るようにしようとしているのだけれど、結局なし崩し的に日をまたいで起きている。というか、実はこのブログも今11時を越えて書いている。ダメだ。
そもそも眠れないのが悪い。眠ろうという気はある。実際に眠い時もある。でも眠れない。
もう何年も睡眠の本を読んでいるのだが、睡眠については分からないことばかりだ。最近知ったのは、眠いのと眠れるは全然別物ということ。
眠気がどれだけ強くなっても、眠りのスイッチが入らなければ人間は眠らない。逆に眠りのスイッチが入れば真っ昼間でもすぐに眠ることができる。眠りのスイッチが入らない病気は不眠症だが、スイッチが入りやすい病気はナルコレプシーという。これは全然眠くなくても突然眠りに入ってしまう病気だ。しかし眠気はないので、眠ったすぐに起こすとすぐに目覚めるらしい。眠れないのも大変だが、眠ってしまうのも大変だ。
世の中は個人の眠気ではなく、社会の都合で回っているので、都合のいい時に眠りのスイッチをパチンと押して、朝が来たらパチっと元に戻せたら良いのに。いや、そうなると眠らなくなったりして。過労死が流行りそう。
先週はアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んでいた。この人めちゃくちゃ凄いなっ!! と驚くと同時に、これだけ書けても有名にはなれなかったんだなとビックリする。少なくとも私が彼女の名前を知ったのはここ数ヶ月前のこと。あとがきの解説によると、パリの文壇からはほとんど無視されている人らしい(読者からの人気はあった)。やっぱり有名になるにはメインストリームに乗らないとダメってことなのかな。それとも翻訳した人の腕がうまいだけ? ふだん小説を読んでいない人でもスラスラ読めそうなすっきりとした文章で、各章ごとに物語がクローズされているので、かなり読みやすかった。子どもでも読めるんじゃないかな。子どもに読ませたい内容じゃないかもしれないけど。
今もそうなのかは知らないけれど、Google的には引用(リンク)の多さが評価されるらしい。誰かが話題にしないと埋もれていくだけだと思っていたけれど、レビューを見るとかなり数がある。どうやら映画化されていたらしい。やっぱりこういうことがあると人気が出るんだ。眼と耳に訴えかけるものがあれば、自然と興味が湧くものなのかもしれない。でも、音楽業界は不振だっていう。映画も。そういう問題じゃないのかな。
この本について書いていると、何故か『ライ麦畑でつかまえて』が気になった。
Amazonで検索すると、作者のサリンジャー自身ではなく『ライ麦畑でつかまえて』の解説本が何冊も出てきた。 やっぱり引用が多いと作品自体の人気も出るのかな。いや、人気があるから解説本が出るのか。どっちなんだろう。でもやっぱり人気が出ないとわざわざ解説本なんか書こうと思わないから、やっぱり後者かな。ちなみにこの本はまだ世界中でウン十万部単位で売れているそうだ。ハリーポッターは今どれくらいなんだろう? この前ニュースで見たような気がするけど忘れてしまった。ハリーポッターも元々ベストセラーだったが、映画化してさらにさらに大ベストセラーとなった。GLAYでたとえるなら『BELOVED』でブレイクしたと思ったら『HOWEVER』で大ブレイクして国民的ロックバンドになったみたいに。(どこでブレイクしたと捉えるかは個々人で差があるかもしれないけど。『BELOVED』はミリオン越えしたからここをブレイクとした。ちなみに後に出た『REVIEW』は500万枚越え。どれだけブレイクしていたかがうかがえる)
そういえば『もの書く人々』の王木亡一朗さんとの対談で、お互い10代の頃にGLAYを直撃した世代だから、当時はGLAY派だったかラルク派だったかを話題にしようとしていたんだけど、書くこととあまり関係はないので結局話題に出さずに終わってしまった。王木さんならどっちでもなかったなんて、別のアーティストの名前を出しそうだけど。
しかしパリの文壇って何なんだろうね。アメリカの作家ヘミングウェイでもパリの文壇がうんたらこうたらと出てくる。芸術の都ともいわれるし、もしかして欧米文学の中心もパリにあるのだろうか? 最近の物ではあまり見ないが、古い映画や本だと上流階級の子女にフランス語を習わせているシーンもあった。パリとは不思議な場所だ。そういえば芥川賞作家の辻仁成もパリに移住していた。パリ症候群という病気にかかる日本人もいるらしい。やっぱり変な場所だ。日本にそんな場所はあるだろうか?
日曜日に部屋の掃除をしていた。部屋に積み上げたAmazonの箱をひとつずつ開けていくと、昔書いた小説が出てきた。 5年前のものもある。やっぱり若いなぁと我ながら思ってしまう。色々と目につくところはあったが、文章の瑞々しさは負けていると思う。才能だけで書いたような文章だ。当時の私が今書いているものを見たら、オジサンだなぁ、と思うのだろうか。5年前の自分がちょっとうらやましくなった。
そうだ。若いといえば対談したついでに王木さんの本を読んだ。一番古い『他人のシュミを笑うな』という本だ。
この前noteに連載していた『
とにかく『明子先生の結婚』は明子先生への尊敬とラブにあふれているからオススメ。そして若いパッションと才能が詰まっている。
もし17歳ぐらいの時に今ぐらい書けていたら一体どんなものが書けたのかと、よく考える。一番上手いのは今だけど、10代の頃が一番感性がキレていた。歳を取るとどうしても瑞々しさが失くなってしまうようだ。自覚できるものではないが、他人を見ているとよく分かる。
この前、ある人のエッセイを読んでいて、スマホが使えたりインターネットができることを自慢気に語っていて、ああ、この人も歳を取ったんだなと少し寂しくなってしまった。 まだまだ若いってことを主張したくなるのは年取った証拠。現在進行形で若さを謳歌している子が、スマホ使ったり、インターネットに触れていることを喜々として話したりはしないだろうから。
お歳を召すとどうなるか。動きが鈍くなるというのが一般的だが、実は動作自体は若い時とそう変わらないらしい。ものによっては動作がこなれて、若い時より上手くやれるものもあるのだとか。たしかに私より早く階段を登られるおじい様はおられる。ただし、初動はてきめんに遅くなるそうで、何かをやろうとしても、心の中でうんとこしょと気合を貯めないと動き出せなくなるらしい。本当かな。
最近、ブログを書くにしても執筆するにしても、一昔前よりうまく書けるようになった気はするが、書き始めるまでに時間がかかるようになってしまった。もう老化が始まっているのかもしれないなんてことを考える。もう若くはない歳だもんな。でも夏目先生が猫を書いた年よりはまだ若い。
そういえば執筆のことについて全然書いていない。実際書いていないんだけど。
『黒髪の殻』を出すまでは何も書かないと決めているんだけど、2ヶ月ってけっこう長いなぁ。本当に書けるんだろうか?
(2016年6月5日 牛野小雪 記)
牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪
そもそも眠れないのが悪い。眠ろうという気はある。実際に眠い時もある。でも眠れない。
もう何年も睡眠の本を読んでいるのだが、睡眠については分からないことばかりだ。最近知ったのは、眠いのと眠れるは全然別物ということ。
眠気がどれだけ強くなっても、眠りのスイッチが入らなければ人間は眠らない。逆に眠りのスイッチが入れば真っ昼間でもすぐに眠ることができる。眠りのスイッチが入らない病気は不眠症だが、スイッチが入りやすい病気はナルコレプシーという。これは全然眠くなくても突然眠りに入ってしまう病気だ。しかし眠気はないので、眠ったすぐに起こすとすぐに目覚めるらしい。眠れないのも大変だが、眠ってしまうのも大変だ。
世の中は個人の眠気ではなく、社会の都合で回っているので、都合のいい時に眠りのスイッチをパチンと押して、朝が来たらパチっと元に戻せたら良いのに。いや、そうなると眠らなくなったりして。過労死が流行りそう。
先週はアゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んでいた。この人めちゃくちゃ凄いなっ!! と驚くと同時に、これだけ書けても有名にはなれなかったんだなとビックリする。少なくとも私が彼女の名前を知ったのはここ数ヶ月前のこと。あとがきの解説によると、パリの文壇からはほとんど無視されている人らしい(読者からの人気はあった)。やっぱり有名になるにはメインストリームに乗らないとダメってことなのかな。それとも翻訳した人の腕がうまいだけ? ふだん小説を読んでいない人でもスラスラ読めそうなすっきりとした文章で、各章ごとに物語がクローズされているので、かなり読みやすかった。子どもでも読めるんじゃないかな。子どもに読ませたい内容じゃないかもしれないけど。
今もそうなのかは知らないけれど、Google的には引用(リンク)の多さが評価されるらしい。誰かが話題にしないと埋もれていくだけだと思っていたけれど、レビューを見るとかなり数がある。どうやら映画化されていたらしい。やっぱりこういうことがあると人気が出るんだ。眼と耳に訴えかけるものがあれば、自然と興味が湧くものなのかもしれない。でも、音楽業界は不振だっていう。映画も。そういう問題じゃないのかな。
この本について書いていると、何故か『ライ麦畑でつかまえて』が気になった。
Amazonで検索すると、作者のサリンジャー自身ではなく『ライ麦畑でつかまえて』の解説本が何冊も出てきた。 やっぱり引用が多いと作品自体の人気も出るのかな。いや、人気があるから解説本が出るのか。どっちなんだろう。でもやっぱり人気が出ないとわざわざ解説本なんか書こうと思わないから、やっぱり後者かな。ちなみにこの本はまだ世界中でウン十万部単位で売れているそうだ。ハリーポッターは今どれくらいなんだろう? この前ニュースで見たような気がするけど忘れてしまった。ハリーポッターも元々ベストセラーだったが、映画化してさらにさらに大ベストセラーとなった。GLAYでたとえるなら『BELOVED』でブレイクしたと思ったら『HOWEVER』で大ブレイクして国民的ロックバンドになったみたいに。(どこでブレイクしたと捉えるかは個々人で差があるかもしれないけど。『BELOVED』はミリオン越えしたからここをブレイクとした。ちなみに後に出た『REVIEW』は500万枚越え。どれだけブレイクしていたかがうかがえる)
そういえば『もの書く人々』の王木亡一朗さんとの対談で、お互い10代の頃にGLAYを直撃した世代だから、当時はGLAY派だったかラルク派だったかを話題にしようとしていたんだけど、書くこととあまり関係はないので結局話題に出さずに終わってしまった。王木さんならどっちでもなかったなんて、別のアーティストの名前を出しそうだけど。
しかしパリの文壇って何なんだろうね。アメリカの作家ヘミングウェイでもパリの文壇がうんたらこうたらと出てくる。芸術の都ともいわれるし、もしかして欧米文学の中心もパリにあるのだろうか? 最近の物ではあまり見ないが、古い映画や本だと上流階級の子女にフランス語を習わせているシーンもあった。パリとは不思議な場所だ。そういえば芥川賞作家の辻仁成もパリに移住していた。パリ症候群という病気にかかる日本人もいるらしい。やっぱり変な場所だ。日本にそんな場所はあるだろうか?
日曜日に部屋の掃除をしていた。部屋に積み上げたAmazonの箱をひとつずつ開けていくと、昔書いた小説が出てきた。 5年前のものもある。やっぱり若いなぁと我ながら思ってしまう。色々と目につくところはあったが、文章の瑞々しさは負けていると思う。才能だけで書いたような文章だ。当時の私が今書いているものを見たら、オジサンだなぁ、と思うのだろうか。5年前の自分がちょっとうらやましくなった。
そうだ。若いといえば対談したついでに王木さんの本を読んだ。一番古い『他人のシュミを笑うな』という本だ。
この前noteに連載していた『
Our Numbered Days』
と全然違う。読み物としてはもちろん今のほうが断然上手い。でも、最後の『明子先生の結婚』なんか読んでいるとコイツ天才なんじゃないかって感じるフレーズもある。若い時にしか書けない文章ってあるよね。とにかく『明子先生の結婚』は明子先生への尊敬とラブにあふれているからオススメ。そして若いパッションと才能が詰まっている。
もし17歳ぐらいの時に今ぐらい書けていたら一体どんなものが書けたのかと、よく考える。一番上手いのは今だけど、10代の頃が一番感性がキレていた。歳を取るとどうしても瑞々しさが失くなってしまうようだ。自覚できるものではないが、他人を見ているとよく分かる。
この前、ある人のエッセイを読んでいて、スマホが使えたりインターネットができることを自慢気に語っていて、ああ、この人も歳を取ったんだなと少し寂しくなってしまった。 まだまだ若いってことを主張したくなるのは年取った証拠。現在進行形で若さを謳歌している子が、スマホ使ったり、インターネットに触れていることを喜々として話したりはしないだろうから。
お歳を召すとどうなるか。動きが鈍くなるというのが一般的だが、実は動作自体は若い時とそう変わらないらしい。ものによっては動作がこなれて、若い時より上手くやれるものもあるのだとか。たしかに私より早く階段を登られるおじい様はおられる。ただし、初動はてきめんに遅くなるそうで、何かをやろうとしても、心の中でうんとこしょと気合を貯めないと動き出せなくなるらしい。本当かな。
最近、ブログを書くにしても執筆するにしても、一昔前よりうまく書けるようになった気はするが、書き始めるまでに時間がかかるようになってしまった。もう老化が始まっているのかもしれないなんてことを考える。もう若くはない歳だもんな。でも夏目先生が猫を書いた年よりはまだ若い。
そういえば執筆のことについて全然書いていない。実際書いていないんだけど。
『黒髪の殻』を出すまでは何も書かないと決めているんだけど、2ヶ月ってけっこう長いなぁ。本当に書けるんだろうか?
(2016年6月5日 牛野小雪 記)
牛野小雪の小説はこちらへ→Kindleストア:牛野小雪
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