山を一つ越えると一軒の家が見えた。屋根と壁は崩れ落ち、柱が剥き出しのままになっている。念のため外から家の中を覗いてみたが、人の気配はもちろん、使えそうな物もなかった。
その家を後にして、そのまま歩き続けると建物がまた見えてきた。今度は何軒もある。町に出たようだ。どの家も窓ガラスは割れていたり、外壁が剥がれ落ちていたり、屋根の瓦が無かったりした。割れた窓からは部屋をかき回された跡が隠しようも無く残っていた。まともな家は一軒もない。どれも見慣れた光景だ。
中にはドアを強引にこじ開けられた形跡のある家もある。その家は窓に板を打ち付けていて、外からは中の様子が見えなかった。開いたままのドアからもやはり見えない。光は玄関までしか届かなかった。かつての住人の悲惨な結末を想像すると、中に入ろうとは少しも思わなかった。さらに歩を進める。
道路はどこもひび割れていて、そこから雑草が膝より高く伸びていた。
そのさまを見るとレツヒト(烈人)は大きく息を吸って、背中のザックを小さく持ち上げた。そして吸った息を吐く。
まともではない家をいくつも通り過ぎると、ようやくまともな家を見つけた。瓦が一枚落ちているが、外壁はどれも真っ直ぐ貼り付いていたし、窓ガラスは割れていない。レツヒトは窓付きの家を見つけたのはいつの事だったかと思いを巡らした。それは一ヶ月前のことだったと思い出す。もう一年も前に感じられた。
世界が変われば、時間も変わる。一ヶ月前が一年前で、三年前が昨日のように感じる。
レツヒトはドアの前に立ちノックした。チャイムも押してみたが音は鳴らない。
もう一度ノックをしてからドアを開けた。鍵はかかっていない。
ほこりがかぶっているとはいえ、家の中はきれいに整っていた。荒らされた形跡もない。一ヶ月前の家よりはるかにまともだった。かつてまともだった世界がここにはあったので、自然と玄関で靴を脱ごうという気にもなった。
靴からスリッパに履き替え、ザックを玄関に降ろすと中に入った。
玄関脇の部屋を覗くと、革張りの黒いソファーに箱型のステレオ。本棚にテレビ。大きなクリスタルの灰皿があった。昔風の趣味だが、ここにはまだ人が住んでいるのかもしれない。
レツヒトは大きく咳払いをして、壁を手のひらで何度か叩いた。
続けて声を出そうとしたが、もうずいぶん長いこと言葉という意味で声を出していないので、自分でも言葉が浮かんでこなくてとまどった。それでもう一度壁を手のひらで叩き大きな音を出した。
しばらく待っても声は聞こえなかったし、何かが動く気配もなかった。
レツヒトは鼻から短く息を吐いて、さらに家の奥へと進んだ。和室が一つあって、そこにはこたつと皿に盛られたミカンがあった。ミカンは干からびている。胸の中にかすかな違和感が湧いた。今までいくつも干からびた野菜や果物を見てきたが、こんな場所で見るのは初めてだった。
さらに進んで廊下の突き当たりまで来た。二つの部屋はドアが開いたままだったが、ここだけはドアが閉まっていた。念のためにドアをノックする。
「誰かいるか?」
久しぶりに出した声は意外にも大きく滑らかに出たので自分で驚いた。もう一度ノックをする。返事も無く、物音も無かった。
レツヒトはドアをゆっくり開けると、部屋にある物を見た瞬間ドアを閉めた。
体中の血が勢い良く巡る音がした。それに合わせて顔が熱くなる。部屋の中には首を吊った死体があったのだ。
記憶の中でもう一度部屋の中を見ると、死体はやはり干からびていて、目玉の無い黒い目でレツヒトを見下ろしていた。
もう一度部屋の中を見ようとドアをゆっくり開けたが、その途中で濃厚な死臭を嗅いだので、レツヒトはえずきながらドアを閉めた。
壁に手をつきながらソファーのある部屋に戻って、ソファーに体を投げた。ほこりが高く舞ってまた咳き込む。
それも落ち着いてくると、両手を頭の後ろに回して目をつぶった。こんな世界でもソファーは柔らかい。久しぶりの柔らかい感触だった。
よし、今日は良いねぐらを見つけた。ここを拠点にしてこの町を探索しよう。今までの経験からこういう場所では食べ物が見つかる。歩きづめの野宿生活は疲れたから、まだ日は高いけれど、ここで眠ってしまおう。
そんなことを考えながら眠りに入ろうとしたが、さっきの首吊り死体が見下ろしているような気がして何度も目を開けた。
長い野宿生活で墓地に寝たこともある。レツヒトは幽霊をすっかり信じなくなったが、それでも気になるものは気になる。墓地で寝たのも暗くて気付かなかったからだ。もし気付いていたならさらに歩いて、違う場所で寝ただろう。
しばらく何の考えも頭に浮かばない静かな時間があって、レツヒトは突然立ち上がると本棚から本を一冊抜き出して部屋を出た。
ザックに本を放り込むと、すぐさまこの家を出ることにした。
レツヒトはドアノブに手をかけると、ドアの内側に張り紙があることに気付いた。そこにはこう書かれている。
『侵入者に災いあれ 永遠の呪いを受けろ』
白い半紙に墨と筆で書かれていた。
恐怖に駆られてその張り紙を剥がそうとしたが、その寸前でやっぱり止めた。
すぐさまその家から出て、逃げるようにそこから離れた。何度も後ろを振り返り、その家が見えなくなると、やっと胸の中が落ち着いてきた。
日陰があったので、そこにザックと腰を降ろして一息着いた。
体を休めて再び歩きだすと、すぐに大きな四角い建物が見えた。スーパーだ。看板には『セブン』と書いてあった。
玄関のドアは破られていて、店の棚には干からびた果物さえ無かった。それでも何か使えそうな物はないか入ってみることにした。無ければ無いで、ここを今夜のねぐらにするつもりだ。
店内を一通り巡ると食品棚は掃除したみたいに何も無かった。缶詰の棚も同じだ。併設の小さな薬局に風邪薬の箱が三つ残っていたのでその内の一つを手に取った。包帯の箱はあったが、蓋は開いていて小指より小さくなった包帯が一巻きある。誰かがここを拠点にしていたようだ。
一度店から出て倉庫に入った。ここもやはり人が入った跡があって、ざっと見たところ目ぼしい物がなかった。倉庫の隅に綺麗に積みあがった発泡スチロールの箱があったので、不思議に思って中を見ると、すっかり干からびた秋刀魚が詰まっていた。干物ではなく、無加工の丸太状態だ。どうりで誰も手を付けていないはずだ。
ひっくり返ったダンボールを1つずづ調べていった。略奪する時は誰もが急いでいるので意外と残っているものだ。その証拠に3つ目のダンボールを持ち上げると、スナック菓子の袋が1つ落ちてきた。
空のダンボールは畳んで隅に積んでいく。日が暮れるまでそれを繰り返して缶詰が10個とスナック菓子を3つ見つけた。
その日の夜はスナック菓子を食べてから、倉庫の隅に積んだダンボールのベッドに潜りこんで眠る。ダンボールも積み上げればそこそこ柔らかく、侮れない寝心地の良さが味わえる。久しぶりにぐっすりと眠り、朝日が登るとスーパーを出た。
コンビニに立ち寄り、新聞があったので立ち読みをしてみると3年前の日付だった。それに以前読んだ記事だと気付いた。それでもレツヒトはその新聞をザックの中に入れた。新聞紙は軽くて役に立つことが多い。
昼になった。日陰を探して昨日のスナック菓子を二つ食べた。それと服も一枚脱いだ。夏は過ぎて冬になろうとしているが、歩いていると体が熱くなってくる。冬でも太陽の下なら半袖で過ごす事ができるほどだ。世界が変わる前は想像もしたことがなかったことだ。
それからまた歩き続けて、夕方になる前に建物が途切れ始めた。今度は町を抜けて野原をあるくことになりそうだ。
町と野原の境目に頂上が開けた小さな山を見つけたのでレツヒトはそこに登った。通る人がいないので草が膝より伸びていて、ジーンズの表面をずっと撫でた。
夕方になる前に焚き木にできそうな枝を集めた。それから山の頂上に立っていた銅像のそばで枝を組む。そこは玉砂利が敷かれていたので、寝るにはちょうどいい場所だった。焚き木を組んでから気付いたが、銅像は源義経だった。銅版に謂れが書かれてある。ここから四国に上陸して屋島に向かったらしい。
太陽が半分以上沈んだがレツヒトは火を付けなかった。それどころか焚き木から離れて町をずっと見ていた。太陽が沈んでから完全に闇に包まれるまでそれを続けた。
暗い闇を見渡し、どこからも明かりが出てこない事を確認すると、レツヒトはやっと焚き木に火を着けた。今夜は月の無い晩で辺りは完全なる闇だが今まで何度も繰り返してきた事なので、目をつぶっていてもできることだ。
焚き付けから小枝へ、小枝から太い枝へ火が移ると辺りが明るくなった。それでも星が見える程度には暗い。レツヒトはもう一度立って山から辺りを見渡したが、空の端で山の形に星空が切り取られているのが解るぐらいだった。炎の色も蛍光灯の色も見えない。
彼は鼻から落すように息を吐くと焚き木に戻った。
それからザックから小鍋を出すと、昨日スーパーで見つけたガルバンゾーの缶詰を開けて汁ごと鍋に入れた。鍋を火のそばに置く。そこは石を三つ置いてコンロのように使える。火が通ってくると次にトマトの缶詰を入れて、さらにオイルサーディンの缶詰も入れて一度混ぜた。鍋の側面からふつふつと泡が立ち始めると、最後にプロセスチーズを一つ、ちぎりながら鍋に放り込んだ。チーズからは良いダシが出るのだ。
チーズが完全に溶けたのを見ると火から鍋を離した。
大きなスプーンで鍋の中身をカップへ移していく。チーズのダシが利いていて、スープが美味かった。
豆とトマトのスープをカップ三杯食べるとお腹が膨れたので鍋の蓋を閉めた。残りは朝に食べる。
レツヒトはザックから寝袋を出して横になった。上を見ると星空の真ん中に天の川が見える。世界が変わる前は写真でしか見た事がない光景だ。どの星も目に飛び込んでくるような明るさだった。ふと小学生の頃に理科の宿題で探したオリオン座を探してみた。当時はそれほど苦労した覚えはないのだが、その時はこれほど星が多く見えなかったからだろう。今は空を埋め尽くすほど星が見えているので、かえって探しづらかった。
焚き木の燃える音を聞きながら星を見ていたのだが、結局オリオン座は見つからず、レツヒトはいつの間にか眠っていた。
肌寒さで目を覚ますと焚き木はすっかり消えていた。久しぶりの熟睡だった。
まだ暖かい豆とトマトのスープを腹に入れると、レツヒトは山を降りてまた歩き始めた。山から見た限りではこの先誰も耕すことがなくなった田んぼの野原が広がっている。
今日は風のない日でレツヒトの歩く音だけが静かに聞こえた。
(おわり)
この世が最悪の世界だと見抜いたタクヤは、
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。
夜行バスに乗り徳島へ家出したが
彼の乗ったバスは徳島へ到着しなかった。









